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ー 科学と技術で産業を考える ー

優れたことづくり例

技術者のバトン

マルシン産業株式会社 提箸庸裕 社長/ インタビュー

2023 年 09 月 27 日

マルシン産業株式会社
代表取締役社長
提箸 庸裕

生年月日 :1963 年8月生まれ
出身地 : 群馬県
入社日 : 1985 年4月
社長就任日 : 2003 年7月
受賞歴:2004 年 群馬県1社1技術選定企業に選出
家族構成 : 妻と男1名、女2名
趣味:草むしり・読書


Q.マルシン産業はどのような企業ですか。

 「現在は、軽搬送ベルトの特殊加工事業を中心とした搬送機器等の設計製作、改造メンテナンスのほか産業機械部品の製造販売をする企業です。創業は 1982 年です。当時 50 歳の私の父が創業しました。もともと商社に勤務していて、独立して創業したのが「マルシン産業」です。元の商社は、いろいろなことをやっていたのですが主にゴムとか化成品を販売する商社でした。戦前生まれの父は、中学卒業後のこぎり鍛冶屋へ丁稚奉公しながら定時制高校へ通い、卒業後上京しさらに働きながら大学へ行った苦労人です。いろいろな職業を経験しながら経理業務に精通するまでになり高崎に戻ってからは染色業や石油販売業などの会社を支える仕事をしてきました。前職では従業員数人のゴム加工を行っていた企業を県内でも主に化成品を取り扱う商社へと発展させてきた経歴の人間です。どの企業も経理担当ということで入社したのでしょうが、「お金は伝票や帳簿を見ていても生まれるものではない」ということが分かりすぎるくらいの人でした。製造をはじめ営業など様々な仕事をしていたようです。人生 100 年の時代ですから定年後創業される方も珍しくはありませんが今から 40 年以上も前のこと、50 歳を超えての創業はかなり馬鹿者扱いされたようです。
 創業の地の高崎は、マーケット規模の割に同種の商社が多くありました。同時期に創業した企業も数社ありましたから、円高不況の厳しい時期だったので売り上げや粗利確保も相当大変な状況だったと思います。

Q.商社としてはそこを乗り越えないと次の展開はありませんね。

 数字に明るい人だったので商社という業種の特徴はわかりきっていたのだと思います。いかに付加価値を高めるか、ということを常に考えて実践する経営者でした。ライバルも多い業種でしたので、価格競争に巻き込まれないような商材を生み出すことが重要だ、との信念があったのだと思います。出来上がった商材を販売するのはもちろんのこと、よりお客様のニーズにこたえられる製品にするための自ら手を加えられる工夫を常に実践していました。現在でもそこで生み出された製品は多く残っています。
 創業から2年半の時が経ったころ私が入社させていただきました。出来の良くない人間だったので拾っていただけたということが実際のところです。尊敬する先輩経営者の方がおっしゃるのですが、“裏口入社”の典型です。ですから、創業者の顔に泥を塗らないようにがむしゃらに寝る間も惜しんで仕事をしました。これが、後になって問題を引き起こすことにつながるわけですが・・・。
 入社当時から創業者が常に口にしていたのが“付加価値”という言葉でした。商材も売り方も何もわからない私は“付加価値”なんて耳元でささやかれても目の前のことで手いっぱいで、何のことやら“粗利”のことだろ程度にしか理解できませんでした。しかし、目の前で仕入れた商材に手を加える姿を見ているうちに何となく理解できるようになったのでしょう。新しいお客様を開拓する過程で何をすればよいのか具体的になってきました。ちょうどそのころ日本はバブル時代に突入し、いろいろな仕事があふれ出す状態になってきて、いろいろなことに取り組むチャンスが、努力しなくとも転がり込んできました。
 コンベヤをはじめ産業機械のメンテナンスやコンベヤラインの計画から製造、設置、立ち上げまでと、こんな私に任せてもいいのか?と疑問を感じることもありましたが、狂った時代だったのかもしれませんね。入社して4年目ぐらいの時期だったと思います、右から左に商品を流すという仕事より面白と感じ、性にも合っていたのでしょう。それまでには手掛けていないことですから、自分が大きく成長したなんて大きな錯覚を起こした時期でした。しかし、少なからず創業者が考えていた“付加価値”ということが理解できるようにはなったとは思っています。また、この過程で創業者はコツコツと社内で手を加える設備を整えていった時期でもありました。
 ところが、出来上がったものを仕入れて販売するということに慣れた先輩たちと、歯車がかみ合わなくなってきました。創業者が自社で手を加え付加価値を高める環境を整えることや、機械設計をする人材を採用するなど出過ぎたことをする裏口入社の後輩に我慢できないようになったのだと思います。まだまだバブルの絶頂期で仕事に事欠かない時期でしたから先輩たちは、“こいつにできるものならやらせてみろ!”なんて捨て台詞を残して翌日から出社しなくなり、揃って新しい会社を立ち上げるために退職していきました。危機の到来です。

Q.企業が成長する過程で避けられないことだったのかもしれません。

 確かにそうかもしれません。しかし、先輩たちが揃って出ていくという事態は無傷では済まされません。代理店となっていたメインのメーカーさんから取引の停止の申し入れもあり最悪の状態となり、筆舌し難い苦労を創業者に強いる事態になってしまいました。そのような状況においても訳のわからない仕事を重ね、失敗を繰り返す息子に対し、あきらめることなく会社を支えてくれた創業者には感謝しかありません。
 あるとき、ベルトメーカーさんより特殊なニーズに対応して欲しいという依頼がありました。その申し入れに創業者は、寝食を惜しんで取り組み3年の年月をかけて完成させました。その製品は、現在でも弊社の看板製品であり、この製品開発が商社からメーカーへの大きな転換点であったと思っています。その後も創業者は、軽搬送ベルトの特殊加工分野で質的な改良を重ねた結果、「特殊なニーズに対応できるマルシン産業」として認知されるようになったのだと思います。経営的に大変な時期がありましたが、今となっては、必要な出来事だったのだと感じています。

【ベルト事業 事例紹介】
クッションベルト:
 製品の加工や包装工程でワークを適度な力で抑えるためのいろいろな材質のものをベルト表面に取り付けることができる。スポンジやウレタンシートなど素材の特性を利用し取り付け方も様々だ。

サイドウォール付ベルト:
 軽搬送ベルトの特殊加工事業に参入したきっかけとなった製品。ワークの大きさや搬送条件にあった様々な大きさや条件に対応できるようになっている。
 製品の軽量化や耐久性など他社製品との違いが際立つ製品。

マーキングベルト
 人手による位置決めを容易にした製品。ワークの形状や位置決め条件に合わせた形状のマーキングが可能。

横桟付きベルト:
 洗浄工程など水槽内の水の抵抗の低減や水切り安さを追求した製品です。

中寄せ桟付きベルト:
 バラもの搬送時、搬送角度が比較的に小さい条件で利用される製品。

【コンベヤ事業 事例紹介】
 サイドウォール付ベルトを利用したコンベヤ。自社で加工した特殊ベルトを利用している。

 1本のベルトで様々なレイアウトが可能なコンベヤ。軽搬送ベルトを利用したコンベヤだけでなくモジュールコンベヤやネットコンベヤなど様々な形の搬送機や機械を製造している。

コンベヤは成形された細かな“駒”を繋ぎ合わせている

 創業者が作り上げてくれたものはとても大きなものだと感じています。その価値や思いが詰まった「バトン」をきちんと受け継げているのかはわかりません。ただこれまで心がけていたのは、思い違いをしないようにしてきたことです。軽搬送ベルトの“特殊”加工といわれる事業に参入し日々を重ねるうちに“特殊”なことが“特別” なものへと思い違いをしないようにしてきました。お分かりだと思いますが“特殊”とは需要が少ないということです。ですから必然的に受注量がどんどんと多くなることは決してありません。ニーズとしては高まる可能性はありますがその成長はゆっくりです。ですから、私の役割はそのニーズへの対応力を上げることと特殊な加工ができることにさらに付加価値を高めることだと考えています。
 マルシン産業の主要業務である「ベルト&コンベヤ事業」は、以下のようなジョブフローになると思います。

ジョブフロー図

 軽搬送ベルトの特殊加工を支えるのは、加工用の道具をタイムリーに作れるかどうかなので、その機能を充実させるためベルトの加工設備とはことなる設備が必要となります。しかし、その設備投資には多くの資金がかかり、その機能を支えるための人材も必要となるため、その投資をペイするための事業も考えなくてはなりません。それを可能にする礎があった。創業者が苦心して受注した部品の販売や私が見よう見まねで手掛けていたメンテナンスや機械製作という仕事です。それをうまく組み合わせることが少しはできているのではないかと思っています。

Q.それでも創業の翌年(83 年)には藤塚町に移転し、その翌年には事務所を増築し、高崎市で創業してから、安中市に土地を取得したり(90 年)、その後も移転や事務所・工場の新築・増築が続いています。事業展開は順調だったのではないですか。

 投資の歴史を見ればそのように見えるかもしれません。先ほども申し上げた通り、安中市に事務所を立てた時期は先輩たちが退職した時期でそれこそ倒産してもおかしくない状況でした。創業者が特殊ベルトの開発に成功してからも、私が数々の失敗を重ねたことで、何度も“もう駄目だ”と追い詰められたことがありました。記録に残していないだけです。運がよかっただけだと思います。代表になって 20 年になりますが、その月日の中で自分の能力、実力は十分にわかってきました。会社を大きくしたいという野心もありませんし自信もない。もともとそんな力はないからです。結果的に成長できればいいですが、それを目標にしてはいません。少なくても社員がここで働いて楽しく仕事をやれれば良いと思っています。逃げですかね?

Q.社員教育には時間をかけていますか

本社2階の事務部門

 社員が自発的に取り組める環境づくりを目指しています。成長できる環境、習慣づくりが重要だと思っていますので長い時間をかけてきました。社員教育でも数々の失敗を重ねていますので定着率も非常に悪い会社であったことも事実です。最近やっと考え方を理解してくれる社員が多くなってきたので主体的に業務を進め改善にも取り組んでくれるようになっています。
 期首には全社員が、1年間取り組むアクションプランを発表し毎日の業務の中で展開してくれています。事業と同じようにアクションプランは”特別“なものではなく、日常で展開されるものだと認識してくれるようになりました。
 受注した様々な案件の振り分けもアクションプランを考慮した中で各グループリーダーが振り分けて、技術力の向上や仕事の取り組み方が実践的に学べるように工夫されています。コツコツと作業の標準化を進めながらカバーしあえる状況にもなっています。そのおかげで社員ひとり一人の個性や特徴を生かすことが上手になり、チームワークも相乗的によくなってきていますし、新入社員も1年目から立派な戦力です。

“量産?”のイメージとは全く異なる工場内

主要設備のひとつ「高周波加熱機」

新入社員も立派な戦力

Q.マルシン産業のこれからの展望についてお話しください。

 前にも言いましたが、会社を大きくすることに興味はありません。「社長の器で会社の大きさは決まる」と言われるので、自分の力で成長することは考えていません。周囲の協力や環境が後押ししてくれるかも知れませんが、いまの私は、一緒に働いている社員の皆さんが、楽しく働きながら成長して行ってくれることを願っています。

ヤマザキマザックのCNC旋盤「Quick Turn 300MY」と提箸社長

マルシン産業本社棟

ありがとうございました。

 


マルシン産業株式会社 会社情報
【沿革】
・1982 年
 マルシン産業株式会社 設立
 工業用ゴム製品および樹脂製品、電動機の販売開始
・1983 年
 事務所を新築(高崎市藤塚町)
・1984 年
 事務所を2階建てに増築
 ベルト・ホース・ゴム板などの在庫を置く
・1989 年
 倉庫を新築(高崎市豊岡町)
・1990 年
 資本金 1,000 万円に増資
 安中市板鼻に土地を購入
 事務所・倉庫・工場を建築
・1993 年
 高周波特殊加工(溶着技術)導入
・1996 年
 本社を藤塚町から鼻高町に移転
・1997 年
 安中事業所の工場を二階建て増改築
・1999 年
 得意先の利便をはかるため機械メンテナンスおよび省力機器の部門を新設
・2001 年
 安中事業所の工場を増築
・2002 年
 創立 20 周年
・2003 年
 社長交代と会長就任
 本社新築と研修センターの機能を充実(設立 20 周年記念)
 新社章の制定
・2004 年
 新工場(機器開発事業部)着工
 資本金 1,500 万円に増資
 群馬県の1社1技術選定企業
・2005 年
 新工場(機器開発事業部)完成
・2008 年
 特殊コンベヤ受注開始
・2014 年
 縦型マシニングセンタ導入
・2015 年
 NC旋盤導入
・2017 年
 新加工工場建設
・2018 年
 材料倉庫切断製缶工場建設
・2019 年
 NCルーター導入
・2020 年
 NC旋盤(ターニング)導入・現地エンドレスプレス3台導入
・2022 年
 ベルト事業部を機器開発事業部へ統合し効率化

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