ことラボ・レポート
浅川基男・早大名誉教授の「素形材月間記念式典」④
早稲田大学・浅川基男名誉教授による記念講演「日本のものづくりはもう勝てないのか?!」の4回目です。前回から時間が経ったので、これまでの趣旨をかいつまんでお知らせします。
世界では大きな変化が起きているのに、人口の減少が進む日本では変化に対応できていないこと、そればかりか内向きになった日本では国力の低下を止められないでいる。さらにそれに追い打ちをかけるように、研究開発への支援や教育投資も削減され、日本の将来が心配される。さらに日本の製造業の陥った“罠”について指摘がありました。
コモディティ化とデジタル化へのわな
日本の産業界の活性化は①材料をベースにしたものづくりの再強化、②アナログとデジタルのハイブリッド化、③「海外の研究者・海外企業の招聘・女性の活躍、によって推進される。
日本のビデオレコーダーは、1990 年には世界の 75 %を占め、太陽電池も世界の 50 %を占めていた。しかし、これらを世界中にコモディティァ化、すなわち高付加価値商品を安価な商品として市場価値を低下させてしまった。
このようなケースとして①デジカメ、②ノートPC、③プラズマテレビ、④DVDレコーダ、⑤DVDレコーダを上げ、1998 年1月の価格を 100 として 2005 年7月頃までの価格の推移をグラフで示すとデジカメは、発売約2年後(2000 年頃)に価格は5割増しまで上昇したが、その後は反転して下落。2005 年7月には2割から3割下落したが、これはまだ良いほうで、他の商品は調査開始後約2年間は小幅な上下を繰り返していたものの、その後は値崩れが始まっている。高機能商品の価格が低下すると、コストの大半を占める人件費の安い海外での生産に移り、その結果、海外メーカーに市場を奪われる結果となっていった。
日本の戦略を考えるうえで参考になるのが「クオーツ」を巡る“腕時計”の世界の話だ。
セイコーは 1969 年に世界に先駆けて、水晶(クォーツ)を利用した正確な腕時計を開発した。水晶に電圧印加(回路に別の電源などから電圧などを加える)すると、規則正しく振動し、その振動を時間の決定に利用して正確な時計を作った。この原理を発見した米国のベル研究所は、装置を小型化できなかったが、セイコーは腕時計に採用できるまでに小型化し、特許も公開して「大量に、安く」を実現した。これにより日本産クオーツ時計が世界を席巻した。
伝統的に「ウォッチ」に強みをもっていたスイスの時計産業は大打撃を受け、米国の時計産業はほぼ壊滅した。そして腕時計はたちまちのうちにどこでも誰でも作れるコモディティ化商品となり、価値も値段も大幅に下落した。
しかしスイスの機械式時計産業は奇跡のようによみがえった。時計の生産量で見ると、スイスの時計は世界のわずか 2.5 %で年間約 3,000 万個であるが、売上高でみると世界市場の5割以上、10 万円以上の腕時計の約 95 %を占めている。
かつて米国のテレビで『エドサリバンショー』というバラエティ番組があった。あの『ザ・ビートルズ』が初めて渡米したときに出演した番組だし、坂本九が“スキヤキ(上を向いて歩こう)”を歌った番組だ。日本でも一時、NHKで流していたがときどき日本の“漫談”のような出し物がある。ジョークの好きな国民性もあって会場内は爆笑の渦だ。その中で、おばあちゃんに贈ったミンクのコートに“Made in Japan”の札がついているよ、と孫に言われたおばあちゃんが泣き出した、とか“南京玉すだれ”を演じていた芸人が、バラバラになった“玉すだれ”を“Made in Japan”だ、といって会場を沸かせた。要するに“Made in Japan”は安かろう悪かろうの代名詞だった。近代産業社会に、遅ればせながら参加した日本は、先進諸国が達成した成果を追いかけざるを得ず、必然的に「オリジナルより安い」ことで勝負せざるを得なかった。しかし「クオーツ」のような“破壊的”な新技術を客観的に評価できなかったし、その価値が判らずに値付けしてまった。
そしていま台頭してきたアジアなどの新興勢力が、人件費の安さを武器に市場を奪っていった。因果は巡る、ということだろう。しかし正確な情報は伝わっていない。浅川講演の前回は、先進技術をコモディティ化したことで、技術的アドバンテージを失ってきた歴史に触れたが、今回は、それでも強い日本の技術について報告する。
浅川名誉教授が着目するのは、川下である最終製品で高いシェアを有するのはハイブリッド車、カメラ機器、ゲーム機なのに比べて、川中のセラミックコンデンサー、光学レンズ、川上の高張力鋼板、シリコンウエハー、半導体用フィルム、偏光板などは世界市場の 60 %以上を占めている点だ。
産業は具体的な製品(商品)となって人々の目に触れるので、店頭に並ぶのが中国製だったり韓国製だったりして、日本のものづくりは衰退した、と勘違いする報道が増えているが、部品・部材分野では、日本企業が健闘している。最終製品でないのが歯痒いが、不安を感じる必要はない。
以下に、日本製部品・部材の強さの具体例だ。
電磁鋼板
無方向性電磁鋼板は、特定方向に偏った磁気特性を示さないように各結晶の結晶軸方向をできる限りランダムに配置するように構成した 0.2 ~ 0.5 mmの薄板だ。これを丸く打ち抜き内側に向かって同心円状に歯をつける。内周上に 20 枚前後の歯をつけたものを多数重ねて、一見するとそのような形状にワイヤ放電加工機で切り出された部品のように見える。目を凝らしてみると側面に薄い筋が見えるので、薄板を重ねて密着させたものだとわかる。この各極に銅線を巻いてモータの固定子(ステイタ)としている。当然回転する側にもローターとして使用されている。
産業用のみならず、自動車のEV化にともない重要性を増している。薄い電磁鋼板を、複雑な形状に加工するのに、重ねて放電加工機で切り出すか、金型を使って打ち抜くか模索が続いた。電磁鋼板のシート材を考えもなしに打ち抜いていくと、打ち抜きが進みスカスカになったシート材は剛性が低下して、打ち抜き始めと後半では部品の平坦度が変わってしまう。それを最低限に抑えるようにシータ材の打ち抜く個所をランダムに散らばせて、かつ金型自体も打ち抜くたびに角度を変えて平坦度を維持しながら打ち抜いていく。現在、日本製鉄と宝山鉄鋼(中国)・トヨタ自動車との間で係争中であり、日本の虎の子の技術だ。
高強度鋼板(ハイテン)
自動車用高強度鋼板(ハイテン)は、従来の 590 MPa級鋼板の 2.5 倍以上の引っ張り強度にもかかわらず、従来品と同等の加工性を有している。これも日本の独壇場だ。
建築土木用の構造用鋼では 1200 年の耐久性を有する対候性高張力鋼板を 120 mm厚×外径 2.5 mの鋼管にして靖国神社の大鳥居にした。120 mm厚の高張力鋼板を鋼管にできる技術も世界に誇ることができる。
製鉄技術
名古屋駅東口に「モード学園スパイラルタワーズ」がある。地上 36 階、地下3階の巨大な円柱状の建物だが、全体をドリル工具のように上空に向かって捻りながら聳え立っている。周囲の建物と明らかに異なる凝ったデザインで人目をひく、さすがに「モード」を教える学校といえる。ここでは制御圧延と成分設計により 25 mm~ 100 mmの 490 MPa級高張力鋼板が使用された。
スカイツリーの支柱は極低炭素鋼にもかかわらず制御圧延と加工熱処理により管厚 100 mm×外径 2.3 mの大径極厚鋼管は降伏強度 630 MPa、最上部ゲイン塔は板厚 60 ~ 70 mmの 780 MPa級鋼管が使用されているという。
全長4km、φ5mmの明石海峡大橋用 1800 MPa級高炭素高強度から、自動車タイヤ補強用のφ 0.2 mm、4000 MPaスティールコード鋼線までが実用化するとともにミクロン、ナノレベルの計測・解析技術による研究が進んでいる。
高温高圧・高速回転に耐える 600 トンを超える発電用のローターシャフトは、熱間大銅鍛造の内部空隙圧着を独自技術で強化成形している。このように原子力用構造部材を含め高品質の巨大鍛造鋼品を作れる企業は、日本以外にはない。ドイツの輸出用原発メーカーでも信頼性と実績のある日本製の圧力容器が不可欠となっている。
原発機器の製造が長らく途絶えてしまうと、その材料とものづくり技術そしてこれを伝承する人財が失われる。米国や英国では、すでに原発などの素材・部材は製造できなくなったが、その伝承が途絶えてしまったからだ。日本のこの技術を維持伝承することが大切だ。
ベアリング
ベアリングは不純物を徹底的に抑え込んだ鉄鋼材料技術を使い素形材製造技術と高品質化により世界をリードしている。禁断産業で動力が使われるようになると、回転運動を滑らかにするベアリング(軸受け)は機械装置に必須の要素になった。ホンダがマン島TTレースで優勝した陰にはベアリングがあったとの“都市伝説”があるほどだ。
航空機用エンジンと軽量機体
太平洋戦争の敗戦から7年間、日本は航空機産業を破壊されすべての研究・開発を禁じられた。しかしこの間に、終戦直前から実用化され始めたジェットエンジン技術に乗り遅れた。世界は朝鮮戦争、東西冷戦で航空機技術は長足の進歩を遂げていた。しかし平和条約締結で国際社会に復帰した日本は、初の旅客機「YS-11」の開発では、機体は完成させたが航空機ビジネスを知らなかったために、軌道に乗せることに失敗した。そのあとの「MRJ」(のちにスペースジェット)も、航空機ビジネスの複雑さを克服できずに挫折した。
しかし航空機の機体製造技術とエンジン製造技術では長年欧米のメーカーの後塵を拝してきたが、NIMS(ニムス:物質 材料研究機構)が、材料の物性を原子レベルでシミュレートする材料探索を開発し「ボーイング787」のエンジンに採用された。1200 ℃を超える高温中で高速回転するブレードの形状をどのように決めるのかは、模索が続いており、日本は多くのライバルと戦い続けている。その中で新規材料や代替材料の探索は、実材料を使わなくてもブラウザー上で未知分子の海から革新的な材料を見つけ出す手法が確立しつつある。
機体には 50 年以上前に日本で生まれた炭素繊維強化プレスチックが使われるが、東レ、帝人、三菱ケミカルで世界の3割を占めている。
単結晶シリコン
半導体の基板となる単結晶シリコンは、純度 99.999999999 %の高純度のケイ素多結晶シリコンから作られる。これは信越化学工業とSUMCO(サムコ:三菱系と住友系の合弁企業)が世界シェアの半分以上を占めている。
そのシリコン単結晶インゴットを切断するのにディスコの超極薄砥石が使われている。これは世界の需要をほぼ満たす独占状態と言われている。
この他にも田中貴金属工業のボンディングワイヤー、三井金属工業の極薄銅箔、微細加工用ナノインプリントなど産業用のニュースは日常的には流れてこないが、日本の技術が世界をけん引している分野が数多くあることが報告されている。