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ー 科学と技術で産業を考える ー

優れたことづくり例

技術者のバトン

株式会社モハラテクニカ 茂原亮太 社長/ インタビュー

2023 年 05 月 31 日

株式会社モハラテクニカ
代表取締役社長
茂原 亮太

生年月日 :1987 年4月 11 日生まれ
出身地 : 群馬県
入社日 : 2014 年1月
代表取締役就任日 : 2021 年7月
家族構成 : 妻、長女、長男、次女
趣味:ゴルフ、スポーツ観戦


Q.最初に御社(モハラテクニカ)について教えてください。

 創業は 1958 年 10 月に、私の祖父の茂原宏が個人事業として始めたのがスタートです。
 個人事業として創業した当初は「世の中に物が足りない時代」でしたので、自分で商売を始めたいという思いから、単発プレスを使って一人で事業を始めたとのことでした。
 創業当時は順調で、早い段階で新工場を設立しプレス用の金型製作にも着手しました。
 その後、1974 年 2 月に株式会社茂原製作所として法人を設立し、さらに工場を拡張することになりました。
 1970 年代後半に、私の父である茂原純一が大学卒業後に入社し、家業を手伝うことになりました。父が入社した当時は、従業員は 10 名程度だったそうです。父は、入社後に祖父のプレス事業だけではなく、板金加工などへと事業を拡大していきました。
 後に父から聞いたのですが、父は「プレス事業を一生の仕事にすることはできない」と考えていたようです。これはプレス加工という技術を否定していたわけではなく、これからの製造業を考えた時に、大量生産品を得意とするプレス事業だけでやっていくことができるのかという疑問から、様々な事を検討してきた結果でした。その結果、父はプレス事業から板金加工を中心とした事業へと拡大していくことを目指しました。
 ちょうど 1980 年代になると、大量生産から多品種少量生産へと移行していく時期でしたので、この転換はうまく時代に適合したと言えます。生産数が 5 個くらいの単品小ロットの製品など、プレス加工前の試作品といった高価格の仕事の依頼が入ってくるようになり、これがとても父にとって面白かったそうです。
 そして、レーザー加工機の導入や生産管理システムなどの導入を進め、工場を拡張しながら、1998 年に祖父の茂原宏が会長となり、父の茂原純一が2代目社長に就任することになり、翌年の 1999 年には社名を株式会社モハラテクニカへと変更しました。
 父が社長の時代にモハラテクニカは一気に板金事業化を進め、ドイツ製の板金加工機を導入しながら大きく成長することができました。これをきっかけに、事業範囲を創業時のプレス加工や付随する機械加工、マシ二ングセンターや3D プリンターなどへと加工領域を拡大し、金属加工全般における加工技術の習得を進めることができました。
 現在のモハラテクニカは他社との差別化が進み、マシンなどの設備もそうですが「他社ではできない仕事ができる会社」であることが認められるようになりました。「モハラテクニカに頼めば、何とかしてくれる」と言われるようになり、いつでも即納できる体制づくりを行ってきました。

2 代目 茂原純一氏と創業者 茂原宏氏

 2代目だった私の父は、こうして現在のモハラテクニカの基礎を確立しました。父の「普通とは異なる視点からものづくりを見ることができた」ことが、当社の技術の差別化につながったと思います。
 残念ながら、今から3年前に父は 61 歳という若さで他界してしまいましたが、様々な多角的な点から物事を捉えるという視点や、現場にいろいろなアイデアを持ち込むという考えは、私にとって学ぶことがたくさんありました。そして 2021 年に私が代表取締役に就任してから3年間、おかげさまで毎年売り上げを伸ばし続けることができています。

Q.茂原社長の経歴をお聞かせください。

 私はもともと次男でしたので、学生の頃は「自分が会社を継ぐ」という意識はありませんでした。ただし、祖父の頃から自宅と工場が隣接している状態でしたので、ものづくりの現場はとても身近なものでした。
 子どもの頃は、学校から帰ってきてお手伝いをすればおこづかいがもらえるということで、兄弟でよくお手伝いをしていましたね。
 私自身はスポーツが好きで、小さい頃からサッカーをやっていました。高校でも特待生としてサッカーを続けていましたので、将来はプロを目指していこうという思いがなかった訳ではありません。サッカーを続けながら大学に進みましたが、その頃には教員を目指そうかなという考えもありましたが、何より自分自身がプレーをすることが大好きでした。
 そんな大学生時代に、父からの紹介でNCネットワークという会社を紹介され、社会に出た際に自分にとって必ず役に立つという助言から、大学3年生の頃からインターンシップで NC ネットワークの仕事をさせてもらう機会を得ました。大学4年生の時もほぼずっとNC ネットワークを通じて、社会勉強をさせていただくことができました。この時のつながりから、卒業後はそのまま NC ネットワークに入社しました。
 NC ネットワークは、約 22,000 社が登録する製造業向けポータルサイト等を展開している会社です。私が入社して担当したのは営業職でしたので、取り扱うのはホームページの作成、動画の制作、会社紹介のパンフレットの制作などの受注が中心でした。顧客は全国にありましたので、北海道から九州まで多くのお客様を訪問し、いろいろな方に出会うことができました。これは板金事業だけではなく、ものづくり企業が対象でしたので、様々な材料を扱う会社だったり、独自の加工技術を持っている会社などいろいろな業種の方々と知り合うことができました。これは、私自身にとってかけがえのない財産になりました。
 もっとも印象に残っているのは、お客様と仕事をする際にはそのお客様の中に深く入り込むことで会社をきちんと知ることができるという経験です。ホームページや動画の制作などは、その会社をきちんと知らなければ良いものがつくることができないというのは、実践で学ぶことができたと思っています。また、ベトナムに1年半常駐していたことがあり、現地の人たちと仕事ができたのも思い出深いものがあります。
 その後、27 歳になった時にモハラテクニカに入社しました。私の兄はすでにメーカーに就職しており、兄自身が学生の頃から「自分にはやりたいことがあるので、会社は継がない」という意思表示をしていたので、父の思いも次男の私へと変わっていったのだと思います。
 ちなみに、サッカーはやめたわけではありませんよ。時間がなくてなかなか自分がプレーをする機会は減ってしまいましたが、今は小学生の息子がサッカーを始めたので、そちらに期待しているところです。

Q.入社後に取り組まれたことについて教えてください。

 NC ネットワークで6年半社会人としての経験を積んできたとは言え、2014 年にモハラテクニカに入社した時には、自分は最年少の社員でした。従業員としては、24 人目くらいの入社だったと思います。私が入社した時に最も年齢が近かった先輩社員でも、8歳くらいは年齢が離れていましたね。
 入社後は「モハラテクニカとしての現場の知識を得るためにはどうすればよいか?」ということについて考えました。そして父と話し合った結果、自分が最初に配属されたのは「検査・出荷」工程でした。これには理由があって、最初に板金図面に慣れる必要があると考えたからです。受注した製品についての加工方法や、どういう工程でどんな技術が必要なのかがわからない。これを知るためには「まず受注した製品の図面を理解できるようになること」これを最初に目指しました。完成した製品を目の前にして、図面との整合ができるようになることは最も重要です。そのためには測定器の使い方を覚える必要がある。こういった考えを持って現場に入りました。
 これができるようになってくると、改めて各工程で行われる加工や技術が理解できるようになっていきました。それからは、機械加工、マシニングセンター、ワイヤー放電加工機、フライヤーなどを担当して覚えていきました。
 ただ、私の担当はそれだけではありませんでした。当時、営業を担当していたのは、社長だった父だけでしたので、私も営業を担当するようになりました。営業をするようになり、私も専務となったのですが、最初は顔つなぎみたいな感じで1年くらいは外回りをしていました。慣れてくると社長の判断で、客先には私が行くことが多くなりました。取引先だけではなく、外部の協力会社にも行くようになり、ネットワークを広げていったというわけです。
 ただ、こういう状況になってくると現場も担当していたので、私のところで仕事が溜まってしまい、ボトルネックになってしまうこともありました。周りの現場の人たちもその辺は心得ていてくれて、私が忙しく駆け回っていると「こちらは自分たちで回しておくので大丈夫です」と担当者から声を掛けてくれるようになり、ずいぶん助けてもらいました。
 この頃はとても忙しく動き回っていましたが、ここで一気にいろいろなことを覚えていったことが現在の私の仕事の基本になったことは間違いありません。
 現在も客先から依頼があると、まず私自身がすべて内容を確認します。その上で図面化が行われるのですが、その図面についてもすべて私自身が目を通しており、加工方法や手法についての検証も行っています。

Q.社長になられたタイミングについてお伺いします。

 入社後に現場を覚え、客先や取引先を訪問する中で経験を積んでから専務となり、営業的な仕事を行ってきましたが、その後父に癌が見つかりました。検査を行い、様々な治療方法を模索しましたが、残念ながら治療が困難な部位だったこともあり、余命宣告を受けることになりました。
 ただ、余命宣告を受けてから、この与えられた時間を使っていくという父と私の共通認識がここに生まれました。医師からは半年から1年という期間を告げられていましたが、父は2年7カ月持ちこたえてくれました。闘病期間中は、私に経営上の引き継ぎから、自分がいなくなっても会社が困らないようにするために必要なことまで、多くのことを教えてくれました。この与えられた時間は、今考えてもとても密度の濃い父との時間を過ごすことができたと思っています。
 そして、私が 2021 年に代表取締役となり現在に至るのですが、父からは節目節目で教わったことで覚えていることがたくさんあります。
 例えば、自分がモハラテクニカに入社した直後に言われたのは、「今ここで働いているのは、自分と一緒にやってきた従業員だ」ということを言われた時に「現在の従業員は父を支えている人たちであり、自分と一緒に仕事をする従業員は自分で選び出すことも仕事なのだ」と考えるようになりました。早速、採用について面接などはすべて自分で行うようにして、現在 43 名の従業員のうちの約半数は自分が採用を決めた人となっています。
 あとは今にして思えば、父が営業を担当していたので、当時は父が開拓した3社の大口の取引先がメインとなっていました。自分が入社して営業経験を積んでいく中で、父から積極的に営業に送り出されることで、現在は全体売上げの6~7割が私が入社後の取引先としてつながることができたことも大きいです。
 特に自分が社長になってからは、専務の時とは異なり「自分で判断して決めなければいけないこと」が増えたことを実感しています。

Q.設備と加工技術について教えてください。

 まず特徴的なのは、現在のこの本社工場を 2010 年に増設しているのですが、建築にあたって大容量の自動倉庫を設置することを起点として工場設計しているということです。
 本来、生産効率などを考えると「在庫を持たない」ということが現代の考え方ですが、私たちはそういう視点ではありません。お客様から急ぎの仕事があった場合、あまり使われない材料などによる難しい加工であったとしても、できるだけ即納できる体制を確保することが私たちの姿勢です。そのために、一般的な工場では大きな投資をすることがあまりない、大容量の自動倉庫を優先的に導入しました。
 加工は1階と2階のエリアで行っていますが、1階エリアは大容量自動倉庫を起点に、ブランク工程や中型サイズ以上の製品の曲げ工程とロボット溶接・機械加工などの工程をまとめ、直接出荷可能な中型サイズ以上の製品の検査・梱包をするための検査室があります。
 まず1階エリアですが、ダイフク製の 4’✕4’ 58 パレットの自動倉庫からは、ブランク工程の最新式ファイバーレーザーマシンに直接、クレーンを使って材料のセットができるように工夫しています。レーザーなどのブランク工程は「段取りが8割」と言われており、いかにこの時間を減らしてマシンの稼働時間を確保するかという点を重視しています。

ダイフク製 大容量自動倉庫

材料が直接セットできる TruLaser1030

 また、同じブランク工程では、自動搬入搬出装置付きのパンチ・レーザー複合マシンで切断と成形加工が必要な複合加工を行っています。

パンチ・レーザー複合マシン TruMatic7000(自動搬入搬出装置付き)

 曲げ工程については、半自動旋回式の自動ベンディングマシンを導入しているのが特徴ですが、特に大物曲げ加工などの製品については、ブランク工程からの製品搬送がすぐに行える動線を確保しています。

TruBend Center5030

TruBend5085

 また、曲げ終わった製品を最新のファイバーレーザー溶接ロボットを使って、素早く最適な溶接加工を行うことができます。その他にも、マシニングセンターやワイヤー放電加工機による簡易金型を使った小型プレスによる加工も行っています。

ファイバーレーザー溶接機
FLW-3000 ENSIS

ワイヤー放電加工機
SL-600Q

マシニングセンター
VCN-530C

マシニングセンター
CMX-1100V

 次に2階エリアですが、1階で加工されたブランク製品の中でも小物製品については2階で曲げ加工、バリ取りや洗浄を行い、ハンディ溶接後にすぐに梱包作業が行えるように工程をまとめ、作業を集中させた効率的なレイアウトになっています。
 またここでは、加工条件をデジタルデータとして保存し、必要な時に呼び出して使うことができる最新のデジタルツールを使って、情報とノウハウの共有を行うことが可能です。

小物曲げ加工機

洗浄工程

バリ取り工程

加工情報を保存する
α-DOC

ハンディ YAG 溶接

梱包作業エリア

 このように目的やサイズ・加工条件に応じて、1階エリアと2階エリアを使い分けた効率的な生産体制をとっているのが、モハラテクニカの特徴です。

主に2階エリアで加工される小物製品

Q.モハラテクニカがこれから目指していることについて教えてください

 おかげさまで私が社長になってまだ3年ですが、今のところ順調に業績を伸ばすことができました。これはモハラテクニカの技術が他社とは差別化できているということで評価いただいている部分だと思います。
 特に差別化できている加工としては、精密板金加工技術と機械加工技術を組み合わせた「複合加工技術」による製品加工があります。それぞれの技術によって加工された製品を高度な溶接技術で一体化し、しかも高品質加工を可能にしました。しかも様々な要望に対応できる各種材料を保有し、熟練技術者のノウハウと最新加工設備による短納期を実現する。これは一長一短でできるものではなく、これまで積み上げてきた成果だと言えます。
 現在のモハラテクニカは 30 代がもっとも多く、平均年齢は 36 歳となります。私自身は、このモハラテクニカでしかできない技術を若い世代にも継承するとともに、さらに磨いていくためには従業員の教育とコミュニケーションが重要と捉えています。基本的に技術者の教育は OJT で行っていますが、技術というものはきちんと覚えていけば習得できるものです。これを丁寧に行うことで、個人の自信にもつながっていき、結果にも結びついていくものだと思います。
 また、私の考えや会社の方針をきちんと伝えていくことも重要です。
 1年に2回、土曜日に集まって「経営戦略会議」を行っており、ここで共通認識を持つ取り組みもかなり根付いてきました。同時に各部署の責任者を集めて、自部門の目標達成についての意見交換を行い、これを部署のメンバーへと伝えていくという方法で、コミュニケーションもかなり高めることができるようになりました。
 今年の 12 月には、第2工場が完成する予定です。
 ここでは、他社ではあまり導入しないようなマシンを導入する予定で、ニッチな市場を狙っていこうと考えています。まだ、設備内容や詳細についてはお話できませんが、昨年くらいまで世界中のメーカーでしのぎを削っていた「ファイバーレーザー発振器の出力の大型化」という流れとは異なる、超微細加工に取り組んでいくとだけお話しておきます。
 またモハラテクニカでは、自社製品のブランドとして「U-Sonic(ユーソニック)」という鳥獣撃退装置の開発と販売を行っているのですが、これは野生動物が一般設備や鉄道路線、農場などさまざまなエリアに侵入してくるのを防止する装置です。罠などによって野生動物を傷つけたり捕獲したりするのではなく、スピーカーから出力される「音」によって野生動物の侵入を防ぐという独自商品になります。すでに納入実績もあり、効果が確認されているので、こちらの事業についてもさらに進めていこうと考えています。

主に 2 階エリアで加工される小物製品

 私自身も若さを活かして、いろいろなことにトライしていくことで、新しい複合加工技術やモハラテクニカ独自の加工技術が生まれてくることに期待していますので、これからも積極的に挑戦していこうと思っています。

ありがとうございました。

 


株式会社モハラテクニカ会社情報
【沿革】
・1958 年
 群馬県高崎市石原町にて茂原宏がプレス加工業を個人で創業
・1964 年
 群馬県高崎市上大類町に新工場を設立
・1970 年
 第一期工場拡張 金型製作を開始
・1974 年
 株式会社茂原製作所を設立
 資本金 250 万円
・1974 年
 第二期工場拡張
・1985 年
 群馬県高崎市矢島町に第二工場を設立
 資本金 1000 万円に増資
 機械加工を開始
・1990 年
 第三期工場拡張群馬県伊勢崎市日乃出町に新築移転
 三菱製レーザー加工機 1.6kW HB を導入
・1995 年
 ツボタテクニカ製 生産管理システムを導入
・1996 年
 三菱製レーザー加工機 2kW LXP を導入
・1998 年
 代表取締役会長に茂原宏 就任
 代表取締役社長に茂原純一 就任
 設計・製作・販売を始める
・1999 年
 アマダ製パンチ・レーザー複合機 APELIO-357V 導入
・2000 年
 群馬県高崎市矢島町に新工場を設立
 株式会社モハラテクニカに社名変更
 トルンプ製レーザー加工機 3kW L2530 導入
 ミツトヨ製非接触 3 次元画像測定器クイックビジョン 導入
 ISO9002 取得
 高崎市優良中小企業表彰
・2002 年
 群馬県 1 社 1 技術 選定
 群馬県 IT 推進モデル企業表彰
・2003 年
 ISO9001 に移行
 アマダ製高精度パンチプレス MERC-722 導入
・2004 年
 2 次元レーザー測定器 VIRTEK 導入
 アマダ製 YAG レーザー溶接機 YLM-500P 導入
・2005 年
 窒素発生装置 導入
 ISO14001 取得
・2006 年
 トルンプ製レーザー加工機 3.2kW L2530 導入
・2007 年
 Fronius 製半自動 MIG/MAG 溶接機 TPS2700CMT 導入
・2008 年
 鳥獣撃退装置ウルトラソニック 販売開始 ホームページ開設 http://www.u-sonic.jp
 ㈶群馬県産業支援機構 チャレンジャーシップ事業認定
 群馬県育児いきいき参加企業に認定
 厚生労働省 都道府県労働局 職場意識改善計画の認定企業に選定
・2010 年
 工場増設
 材料自動倉庫設備 ダイフク製:4’✕4’ 58 パレット
・2011 年
 トルンプ製パンチ・レーザー複合機 TruMatic7000 Tower Master 導入
 群馬県 1 社 1 技術「鳥獣撃退装置」選定
・2013 年
 太陽光発電 売電
・2015 年
 PSA 式窒素発生装置 導入
 トルンプ製レーザー加工機 TruLaser1030 fiber 導入
 凍結チャッキングシステム ES チャック 導入
 ハイブリッド TIG/YAG レーザー溶接機 LA-630 導入
・2016 年
 NC フライス 導入
・2020 年
 アマダ製ファイバーレーザー溶接機 FLW-3000ENSIS 導入
・2021 年
 代表取締役社長に茂原亮太 就任
 トルンプ製セミオート旋回式プレス機 TruBend Center5030 導入

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