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ー 科学と技術で産業を考える ー

優れたことづくり例

技術者のバトン

兼希工業株式会社 細渕敦 社長/ インタビュー

2022 年 11 月 22 日

兼希工業株式会社
代表取締役社長
細渕 敦

生年月日 :1979 年8月6日生まれ
出身地 : 群馬県
入社日 : 2002 年 4月 1日
代表取締役就任日 : 2021 年 10 月
家族構成 : 妻、長女、次女、猫
趣味 : 音楽鑑賞、ウィンドウショッピング
【団体などの公的な活動の履歴】
一般社団法人 日本トラス協会:理事長
群馬県中小企業家同友会 伊勢崎支部
公益社団法人 伊勢崎青年会議所
伊勢崎商工会議所 青年部
一般社団法人 伊勢崎法人会青年部


Q.最初に御社(兼希工業)について教えてください。

 創業は 1949 年 10 月に私の祖父である細渕希八が兼希工業株式会社を設立しました。当時は戦後間もない時期でしたので、米や麦などの食料がとても重要な時代であるとともに、戦争が終わった復興時期でしたので、最初はとても苦労したと聞いています。
 兼希工業という社名ですが、これは私の曽祖父にあたる「細渕兼太郎」の名前と、創業者の祖父の「細渕希八」の名前からそれぞれ一文字ずつ「兼」と「希」を継承することで付けられた社名です。
 祖父についてですが、私自身は生まれて間もない頃に祖父が他界しているため、残念ながら直接の祖父の記憶というのはあまりありません。写真などの記録と両親や叔父たちから教えてもらった程度ということになります。祖父の頃の事業ですが、1958 年にいわゆるガスや電気が普及していなかった時代に「石油コンロ」の製造販売、そして独自で開発した「軽量米びつ・コーンメジャー」の製造販売を行っていました。米はいつの時代でも貴重であり、この米を保存するという目的から「コーンメジャー」を開発したのですが、これが瞬く間にホテルなどの宿泊施設の厨房や、家庭へと拡がっていきました。創業期の兼希工業独自の開発・販売によるヒット商品である「コーンメジャー」は、現在は初期型の円筒形のタイプと、その後に発売した角型のタイプを弊社のロビーに展示しています。
 その後、群馬県は自動車工場などの製造業が盛んであり、そこからの仕事が中心となっていったため、アルミやダイキャストなどの金属加工製品の製造受注が増え、金属加工業へと本格的に移行していきました。私の父である細渕健也が 2 代目の代表取締役となった 1982年には、アルミダイキャストのショットブラストなどによる金属加工が中心でした。

「かねき コーンメジャー」

 私の父はモノづくりが大好きで、現在も現場に立っています。そんな父は兄弟では末弟なのですが、二人の兄から「この会社を継ぐなら健也しかいないな」と言われていたと聞いています。現場にいろいろなアイデアを持ち込み、現在の木工パネル加工の現場でも役立っている治具などがたくさんあります。ただ、父は若い頃から眼の難病を患ってしまったため、社長業を続けることが困難になり、1999 年に 3 代目として私の母である細渕春美に代表取締役を譲りました。そして昨年、2021 年に私が代表取締役に就任しました。
 現在の兼希工業は、金属加工業から「木造住宅用省力化パネル」へと事業の中心を移しています。おかげさまで、コロナ禍の中でも住宅建築の需要が伸びたことで、当社の売上と受注も着実に伸びています。

Q.細渕社長の経歴をお聞かせください。

 当時の自宅は工場の 2 階でしたので、祖父と父の会社を継ぐという意識が小さい頃からありました。当然、生活環境の近くに工場があるわけですから、小さい頃から出入りをしていました。工場という現場が楽しくて出入りしていたのですが、今にして思えば当時の従業員の方にとっては邪魔ばかりしていたのかもしれません。
 そんな中で、父が金属で様々なモノを作り出しているのは、とても不思議な感じであり、楽しそうに見えていました。そんな父を子供の頃から見ていたので、自分も将来はこの会社で働くのだと考えていました。小さい頃の学校の文集などにもはっきりと「跡を継ぐ!」と書いていましたね。そういう思いもあり、高校は地元の工業高校に進みました。その頃には、現場の手伝いもしていました。

音楽活動をしていた頃の細渕社長

 趣味は中学生の頃からずっと音楽が好きで、友人たちとバンドを組んだりと音楽活動に熱中していました。現在も音楽は大好きなのですが、当時は音楽で食べていけたらと漠然と考えた時期もあります。
 工業高校卒業後は地元の専門学校へ進みました。ここで金属加工について学び、卒業後は修行のために地元の金属加工の会社へと就職しました。ただ、入社して 1 年も経たないうちに、兼希工業の金属加工事業の経営が非常に厳しい状況になり、すぐに会社に戻ることになりました。20 歳で一度、新卒で別の会社に入社したものの、すぐに再スタートを兼希工業で始めることになってしまいました。
 当時の金属加工業は海外への流出が激しく、コスト削減などから大変厳しい状況であり、兼希工業も同様でした。
 しかし、私が入社する頃にちょうど新しい事業の話があり、現在の兼希工業の事業の中心である「木造住宅用省力化パネル」の開発を行いました。これは、都内にある工務店を父の長兄(私の伯父にあたります)が経営しており、その会社からの相談で「在来工法における木工住宅用パネルの開発」を依頼され、これを試行錯誤しながら作り上げた結果、当社にとって大きな成果となりました。
 伯父からは、「この事業を永続的に、責任を持って携わる責任者を任命することが発注の条件」という話があり、入社と同時に私が専属的に担当することになりました。こうして当時の兼希工業は 2 つの事業の柱ができ、父と母が金属加工業、もう一つのパネル事業を私が新人として入社した時から担当しました。

Q.「木造住宅用省力化パネル」について詳しくお聞かせください。

 商品名を「KANEKI パネル」と言います。「壁パネル」と「床パネル」を開発し、住宅建築における現場作業を軽減するために、事前に工場でユニット化されたパネルとして製造するという独自の展開をしています。
 ユニット化されたパネルのメリットは大きく、
 ・安定した品質 ・・・ 断熱性能、耐震性能、現場加工不要による廃棄物削減
 ・職人不足による現場作業の軽減 ・・・ 高齢化対策、工期短縮、危険な作業からの解放
 ・自由度の高い設計 ・・・ オーダーメイド対応、サッシ付きパネル対応
などがあります。

「KANEKIパネル」の商品パンフレット

 住宅建築に必要な面材や断熱材を、事前に施工先の寸法に合わせて工場で一体化したパネルに加工することで安定した品質と工期の短縮が可能になり、建築現場の効率化をはかることができました。

「KANEKIパネル」の構造を模型を使って解説する細渕社長

 これは熟練した作業者が要らないということではありません。パネル化によって省力化対応できるところは「KANEKI パネル」で作業を行い、熟練した経験やノウハウを持っている作業者の方々には、もっとその知識や経験が必要なことに関わってもらいたい。いわゆる分業という考え方です。現場で 30 ㎏もある材料を運んで組みつけるような重労働的な作業を、熟練の知識を持つ方に担当してもらうのは危険ですしもったいない。建築の技術や技能は、きちんと後世に伝えるべき重要なことだと考えています。
 私たちの商品は、そういう現在の建築業界の持つ課題を解決できる「在来工法の新しい形」としての提案です。
 「KANEKI パネル」は自由度が高く、形状・材料の厚さ・種類などは 1 棟 1 棟の設計図に合わせた対応が可能となっているため、規格品と異なる「完全オーダーメイド」の商品です。直近では窓枠(サッシ)まで最初からはめ込んだ新しいパネルユニットの開発も行い、さらに活用の現場を広げています。
 おかげさまで現在の「KANEKI パネル」は、年間 2,000 棟分の生産を行うまでに成長し、年商も昨年度は 15 億円を達成することができました。

Q.社長になられたタイミングについてお伺いします。

 今にして思えば、私にとって非常にありがたかったのは、入社してすぐにパネル事業を任せてもらえたということです。最初は小さい頃から金属加工のために学んできたことが、いきなり建築という分野に関わることになったため、自分の中で悩んだこともありましたが、入社と同時に経験のない自分と一緒に、ベテランの従業員が担当する体制をつくってもらえたことは大きかったです。当時の工場長と経験の長いベテランの方、中途入社の方と私の4 名でスタートしたのですが、様々な部分で支えてくれたので心強かったですね。特に工場長の知識と経験が役に立つことが多く、若かった自分にはとても勉強になりました。小さい頃から工場が遊び場で出入りしていたので、工場長や従業員のみなさんも自分のことをよく知っていて、最初から非常に仕事がしやすい環境でした。入社についてもパネル事業という柱を育てるということについても、とても好意的で温かく迎えいれてくれたことを今でも感謝しています。
 昨年(2021 年 10 月)に代表取締役に就任した際も、とてもスムーズでした。2001 年にスタートしたパネル事業も、20 年を経て兼希工業の大きな柱に育ったこともあり、代表取締役の交代のきっかけにもなりました。
 最近は事業承継の話を様々なところで聞きます。確かに事業承継がとても難しい時代だと思います。ただ、私からこれから事業承継について考えたり悩んだりしている人に向けて言えるのは、「譲る方は譲る覚悟。受け取る方は受け取る覚悟」が何よりも重要だと思います。譲る方も受け取る方も中途半端な考えではなく、そこには真剣な姿勢が必要です。
 私の場合は、小さい頃から父と母の姿を見てきましたので、事業承継を意識するのは早かったと思います。ただもう一つ、一代で事業を成功させた伯父からいろいろなアドバイスをもらうことができたので、経営学としては伯父から学ぶことができたのはとても恵まれた環境でした。

Q.パネル加工の製造ラインについてお聞かせください。

 現在の本社工場の敷地は 4,400 坪あります。ここに 1,000 坪の鉄筋平屋工場を 2018 年に建て、ここが現在のメイン工場となります。ここには 4 本の生産ラインを設けており、材料の搬入から完成品までの工程の流れを一方向にしてあります。
 ラインにはそれぞれ個性を持たせてあり「大手ビルダー向け」「メインライン」が各 1 本ずつ。「少数精鋭による特殊ライン」が 2 本となっています。この中でも「少数精鋭による特殊ライン」は、加工が難しいパネル製造も存在するため、大人数で加工すると生産効率が落ちてしまうので、技術力の高いリーダーがハンドリングして加工を行うというラインです。
 現在は正社員・パートを含めて 64 名、18 歳から 68 歳まで幅広い年齢層が働いており、そのうち約 3 割が女性です。外国人実習生も現在は 2 名が在籍しています。
 主材料は木材ですが、基本となるのは「面材(構造用耐力面材)」「木材」「断熱材」の 3種類となります。

面材

木材

断熱材

切断工程

組立工程

組立工程

組立工程

梱包工程

組立用治具

出荷準備

出荷準備

出荷

 建築部材の加工については、その仕様や部材の条件などについて法律で厳しく定められているので、各工程でしっかりとした体制で加工する必要があります。
 一般的な住宅建築の場合、1 棟を建てるために必要なパネルは、4ton トラックで 2 台分になります。ここで出荷待ちの状態のパネルも本日中にすべて出荷されるので、明日の朝にはすべてこのエリアは空になっています。

Q. 兼希工業ではブランディングの取り組みを進められていますね。

 代表取締役になる以前からの活動として、ブランディング活動に力を入れてきました。私たちのような製造業は BtoB 企業ですので、社会的な認知度はどうしても高くありません。
特に当社のような自社商品を持つ会社は、まず会社と商品を知ってもらうことが大切です。そのためには、ブランディング活動をしっかりと進める必要があると考え、社内の選出メンバーと私でプロジェクトをつくり、活動を行ってきました。
 過去には、パネル事業の認知度を高めるために展示会にも出展していました。特に、2013年から 2015 年までは「エコハウス&エコビルディング EXPO」、2016 年には「第 22 回 建築・建材展」に出展しています。

エコハウス&エコビルディングEXPO(2014)

第22回 建築・建材展

 展示会に出展するだけでは直接的な売上拡大にはなかなか結び付きませんが、ここで得られたのは社員と一緒にお祭りのような活動を行うことで、一体感や同じ方向性を見出す「共業」という意識です。経営者が一方的に進めていくという方法もあるのでしょうが、私はやはり社員に積極的に関わってもらうことで、自分たちの会社を一緒に高めていくことが重要だと考えています。こういった考えに至ったのも、伯父からのアドバイスなどが刺激になりました。

 具体的な活動としては、ホームページの作成やロゴマークなどの制定、さらに社員全員が目標を共有できるように経営理念、使命・目的をまとめました。カタログなどのツールは、外部展示会に出展する際に揃えたりしてきたのですが、これらは昔の音楽仲間のつながりから助けてもらったりしています。
【経営理念】
「優価値創造業」
※ カチをカタチにする会社 ※
【使命・目的】
幸福追求 関わる全ての方々の満足を追求し、幸せの実現に貢献します
活 人 財 健康と安全第一を厳守し、社員が最大限の能力を発揮して自己実現を達成する組織をつくります
優 価 値 あらゆるニーズを探求し、優れた価値を提供します
創 造 業 創意工夫で日々技術を進歩し、技術力を会社の軸にします
永年存続 地域・社会に貢献し、信頼される企業にします
 その中でも新しいロゴマークは、一見すると手裏剣のように見えますが、これは縦方向のグリーンの四角は「壁パネル」を表しており、横方向のオレンジの四角は「床パネル」を表していて、これを組み合わせた形状となっています。
 また、マスコットキャラクターの「かねたろう」は、ロゴマークと同じく仲間が考えてくれたキャラクターです。当初は名前がなかったので社内で名前の応募をしたところ、もっとも多かったのが「かねたろう」です。兼希工業の頭文字でもありますが、やはり自分にとっては、偶然にも曽祖父の名前となったことはとても嬉しかったですね。

 もう一つ、当社で作っている手帳型の「経営指針書」があります。これは社外秘として従業員に配布しているもので、経営理念や経営者の想いから、今期の経営目標や部門方針、社内行事のカレンダー、沿革、組織図、設備一覧など会社概要を 1 冊にまとめています。経営幹部が参加して作り上げているこの冊子は、社員がいつでも見ることができるので、目的と意識の共有ができるツールと考えてトライして 3 年になります。
 ブランディング活動はまだまだ道半ばですので、さらにみんなで進化させていきたいと考えています。

手帳型の経営指南書(社外秘)

Q.兼希工業がこれから目指していることについて教えてください。

 兼希工業は、おかげさまで創業から 73 年を迎えました。その間には、金属加工事業からパネル事業へのメイン事業の移行など、様々なことがありました。しかし、ここまで企業活動を継続してこられたのは「人々との出会い」に恵まれてきたからだと感謝しています。
 そういう意味で、私の目指しているものは「幸せ」が一つのキーワードとなります。私がまず優先したいのは、兼希工業に関わるすべての方々に幸せになっていただきたい。それは、取引先や建築現場で実際に作業をされる方々、住宅を建てられる施工主の方々、そして当社の従業員の働く環境や従業員の生活を安定的に守るということ、これが第一です。そのためには、何をやらなければいけないかを考えることがとても大切だと思っています。
 時代の流れはとても早いので、あれをやってみたい、これをやってみたいという気持ちもありますが、その時代に合った事業を突き進めればよいと思っています。
 まず重要なのは、現在の本事業の拡大です。当社の中核であるパネル事業は、昨今の時代に上手く合っている商材と言えます。ただし、まだまだニッチな商品なので、パネル事業をこの業界の「工法スタンダード」まで育てていきたい。そのためにはシェア拡大を図るためのチャレンジが必要ですが、伸びしろはあると思っています。
 また、パネル事業の「川上(上流)」にあたる林業・製材業、そして「川下(下流)」にあたる建築・工務店・ビルダーという縦方向の軸に向けて事業を広げていくという考え方。そしてもう一つは、左右方向の横軸に事業の幅を広げていくということになります。今年発売した商品は、窓枠(サッシ)までを最初からはめこんだパネルなんですが、これは横軸に事業を広げるための商品ラインナップの拡充の一つと言えます。
 パネル事業を核としながら、パネル以外に付随する納材もセットで取り扱うことで現場が楽になり、工期がさらに短縮される可能性はまだまだあります。
 配送事業の強化や現場納材機能、施工や取付けなども当社が行うといった「セット提案」を進めていくのも、私は「必要」だと思っていますので、これからのチャレンジに期待してください。

ありがとうございました。


兼希工業株式会社 会社情報
【沿革】
・1949年
 群馬県伊勢崎市東町五番地に資本金100万円にて兼希工業株式会社を設立
 精米麦機の製造販売を始める
 設立者 細渕希八
・1958年
 石油コンロ、軽量米びつ(コーンメジャー)の製造販売を始める
・1970年
 日鉄アルミサッシから請負を開始、受注・加工・組立を始める
・1975年
 金井金属ダイカストから請負を開始、受注・仕上・加工を始める
・1982年
 代表取締役交代 細渕健也が代表取締役に就任
・1984年
 群馬県伊勢崎市日乃出町に新築移転
 敷地400坪、鉄筋平屋工場200坪、1階事務所50坪、2階社長宅50坪
・1985年
 アルミダイカストの仕上、加工を始める 
省力化機械の設計、製作、販売を始める
・1999年
 代表取締役交代 細渕春美が代表取締役に就任
・2001年
 在来工法用壁パネル(高断熱住宅用壁パネル)を商品開発し、新事業を立上げ
 設計・製作・販売を始める
・2002年
 壁パネルの受注が増え、売上が伸長し、群馬県伊勢崎市西久保町に兼希工業
 株式会社パネル工場を設立 敷地600坪、工場・事務所200坪
・2006年
 業務拡大に伴い、パネル工場を群馬県伊勢崎市八寸町に移転
 敷地650坪、鉄筋平屋工場450坪、木造平屋事務所15坪
・2011年
 業務拡大に伴い、パネル工場を群馬県伊勢崎市三室町に移転
 敷地2,000坪、鉄筋平屋工場1,000坪、事務所28坪、2階建築管理棟84坪
 同時に、本社をパネル工場跡地(伊勢崎市八寸町)に移転
・2012年
 業務体制の変更に伴い、事業部名称をパネル事業部(伊勢崎市三室町)
 金属加工事業部(伊勢崎市八寸町)に変更
 同時に、本社を群馬県伊勢崎市三室町(パネル事業部内)に移転
・2014年
 業務向上を図り、金属加工事業部をパネル事業部内に移転
 同時に、工場名称を本社工場(伊勢崎市三室町)、八寸工場(伊勢崎市八寸町)に変更
・2016年
 東京営業所開設/営業機能を東京営業所(東京都新宿区)に統括
・2018年
 業務拡大に伴い、本社ならびに本社工場を群馬県伊勢崎市日乃出町に移転
 敷地4,420坪、鉄筋平屋工場500坪、木造2階建事務所200坪、テント倉庫200坪
・2020年
 業務拡大や対応エリア拡充に伴い、東京営業所を神奈川県相模原市に移転
 同時に、拠点名称を首都圏営業所に変更
・2021年
 建築業許可を取得:群馬県知事許可(般-3)第25242号
・2021年
 代表取締役交代 細渕敦が代表取締役に就任

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