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ー 科学と技術で産業を考える ー

優れたことづくり例

技術者のバトン

株式会社ウイルビック 柳田陽平 社長/ インタビュー

2022 年 10 月 26 日

株式会社ウイルビック
代表取締役
柳田 陽平

生年月日 : 1977 年7月 31 日生まれ
出身地 : 群馬県
入社日 : 2001 年 4月 1日
代表取締役就任日 : 2010 年 10 月
家族構成 : 妻、長女、次女、長男
趣味 : ゴルフ
【団体などの公的な活動の履歴】
(公社)伊勢崎青年会議所・伊勢崎商工会議所青年部

 


Q.最初に御社(ウイルビック)について教えてください。

パレット

 創業は 1984 年 2 月になります。社歴としてはそんなに古いということではないかも知れません。もともとは私の父である柳田保夫が、30 代後半に「株式会社マサル工営」として創業しました。それまで父はメーカーの営業職として働いており、このメーカーでは制御盤や配電盤関係を板金加工からアセンブリーまでを一貫して行っていました。ここから独立する形で創業したわけです。
 創業当時は、従業員 4~5 名でスタートしました。当時の仕事の中心は、父が務めていたメーカーとは円満退社の形での独立でしたので、そこから仕事を回してもらう形だったため、事業の中心は板金加工でした。マサル工営で製造していたのは架台や鋼構造物などが中心だったと聞いています。父は営業でしたので、実際に現場で加工を行うということではなく、経営視点で会社を起業しました。しかし、実は営業といっても取引先や現場を回っており、現場の人たちと懇意になる中で製品や加工に関する知識も自然と得ることができたため、実はかなり現場についての知識も持っていたようです。
 その後は仕事の幅も広がり、配電盤などの各種電気設備機器の製作や各種工作機械の修理・据付工事なども行うようになり、2000 年には配管設備工事業にも進出しています。そして 2007 年に会社名を「株式会社ウイルビック」へと変更しました。
 社名の「ウイルビック」というのは造語です。
・WILL ・・・ 「未来を表す決意」を意味しています。
・WILLOW ・・・ 「柳」を表します。しなやかや強さをイメージしています。
・BIC ・・・ 「中身を含む大きさ」を表しています。
 この 3 つの言葉を織り込んで作り出したのが「ウイルビック」となります。イメージとしては、「未来に向かってしなやかに大きくなっていきたい」という意味だと思ってください。
 次に転換期となったのは、2012 年です。拡大していた事業を、板金事業と塗装事業に集約した事業形態へと移行し、本社所在地に本格的な塗装専用工場を設立しました。今ではこの塗装事業がウイルビックの中核事業であり、もっとも差別化できる技術を持った分野となりました。
 塗装工場で扱っている製品は、各種金属製品、木材、樹脂製品などが中心ですが、最も多いのはやはり金属製品です。小ロットから対応していますが、金属製品ですと板厚 1.0mmくらいのものから厚いものでは 20.0mm くらいまでの焼付け塗装が中心です。また乾燥炉も大型のものを設備しているので、最大 8,800mm×3,000mm×3,800mm(W✕H✕L)までの大型製品まで、お客様の要望に合わせて幅広い製品に対応できる体制となっています。

制御盤

オイルタンク

 現在は板金工場は自前と言う形ではなく、当社の技術者を取引先に派遣して加工を行うという形にしていますが、当社でノウハウを蓄積し続けている大切な事業であることには変わりありません。

Q.柳田社長の経歴をお聞かせください。

 父が独立した当時、私はまだ子供でしたが、よく会社をのぞきに行っていました。単純に子供にとって面白そうだという興味からだったのですが、従業員のみなさんにもよく相手をしてもらっていました。今考えると邪魔をしていただけだったのかもしれません。
 従業員数が多くなかった分、みなさんとは家族ぐるみのお付き合いでしたので、会社でバーベキューなどのイベントをやることも多く、集まる機会が何度もあったのでとても居心地のいい環境で自分もそういうイベントを楽しみにしていました。
 子供の頃の私は恥ずかしがり屋で引っ込み思案でしたので、そういう私にとって居心地のいい環境はとても思い入れのある場所でした。ただ、当時は父の仕事を手伝いたいとか会社を継ぐという考えは持っていませんでしたね。
 大学は東京の大学に進学しており、そこで法律を学んでいましたので、そのまま東京で就職するという考えでいました。当時はアパレル関係に興味があり、そちらの業界へ進もうかと漠然と考えていたのですが、就職を考え始めた頃にふと実家の事業のことを考える機会がありました。この時に心が動いたと言いますか、父の姿を思い起こしたんです。そうしてみると、子供の頃から当たり前のように出入りしていた父の会社の居心地の良さや父の仕事に対する姿勢など、いろいろなことを考えるようになりました。仕事をしている父のことは尊敬していましたから、自分がこの会社でできることがあるのではないかと思い、その気持ちを父に伝えて入社することになりました。その時の父はあまり感情を表に出さなかったのですが、後日、母からは「会社を継いでくれるということをとても喜んでいた」と聞かされ、そんな一面もあるんだなと思い、自分も少し照れ臭かったことを覚えています。
 入社にあたっては最初から会社に入るのではなく、修行と言いますか勉強のために同業他社に一度入社してお世話になることにしました。そこでいろいろな仕事のことや工場内のこと、経営などについて教えてもらうつもりで 3 年くらいの予定でいたのですが、就職して 1 年も経たない時に父が脳梗塞で倒れたため、そのタイミングで急遽マサル工営に戻ることになりました。
 そういう経緯でしたので、実際は会社に入ってから様々なことを覚えなければならなくなり、自分にとって社会人としてのスタートはかなり大変でしたね。ちょうどその頃に、元富士重工にいた方が専務として営業的なことをされていたのですが、その仕事の進め方や手法について勉強させてもらいました。入社の際には従業員のみなさんも子供の頃から出入りをしていたのでよく知っていたこともあり、スムーズに迎え入れてくれたことにはとても感謝しています。その後、父も順調にリハビリを重ねて、現場に復帰することができましたしね。

Q.板金加工からスタートしたウイルビックが、塗装中心に集約した経緯を教えてください。

 もともとは板金加工でスタートした会社でしたので、塗装については協力会社に出し、検品した上で最終製品として発注元に納品するところまでを行っていました。当時は、常時 4社くらいの外部の塗装工場に依頼していました。この時に納期やロットへの対応可否、協力会社の忙しさの状況などを私が管理して各社に割り振っていました。
 こうした体制で進めていたのですが、個々の協力会社の持つ課題(高齢化による廃業やコストへの対応、クオリティコントロールや新しい技術の習得など)から、配分が難しくなっていったという経緯があります。
 そこで当時、私たちの会社へのメインの発注元だったメーカーや主要な取引先と相談して、それなら当社で塗装まで一貫してできる体制を構築したいと思うがどうだろうかという提案をしたところ、みなさんにご快諾いただき、当社で塗装工場を設立する方向で進めることになったわけです。
 私自身が塗装工場への割り振りをしていたことから各社の現場に何度も通い、そこで現場の作業者の人や実際の製品の可否判断、設備の状況や塗装に関する知識に触れることが多かったので、この経験が塗装工場の設立にはとても役に立ちました。全体管理をしているうちに、自然と多くのことが身についていったという感じですね。
 実はこの伊勢崎市周辺は、塗装工場は比較的多い方なんです。そういう意味では競合が多く、価格競争で叩き合ってしまうため、地域的に比較的安くなってしまう地域と言えます。私たちの競合になりうる会社もあったのですが、やはりどの会社も先ほどと同じような悩みを持っていたり、まとまったロットがないと対応が難しかったりという課題があることがわかりました。今後の安定した製品の供給を考えた場合、それならここで思い切って自社で塗装設備を構築する方が良いものができるという決断をしました。かなり思い切った判断だったと思います。

Q.塗装に集約していった結果はいかがでしたか?

 これはまだ通過点なので、結果は出ていません。まだまだこれからも続いていくと思っています。2012 年に塗装工場を設立し、スタートしてからちょうど 10 年が経ちました。この間も今回のコロナ禍も含めて、本当にいろいろなことがありました。
 当社だけではなく、近隣の工場やそれこそ大手メーカーなども苦しんでいたのを見てきましたので、常に工夫を続けていくことが重要な時代になりました。
 私自身は 2010 年に代表取締役に就任してからは、2 つの方針で進めてきました。
 一つは、経営理念の明確化。
 これは従業員にとっても取引先にとっても、ウイルビックが目指していることを明確にわかりやすく伝えるための指針です。私を含めて、常に反復することで初心を忘れることなく取り組んでいく姿勢を保ち続けるためには重要なことだと考えています。

【経営理念】
顧客の要求を満たし、信頼の継続的な向上に努めると共に広く社会に貢献する。

【品質方針】
顧客に満足と信頼をいただける品質を提供する。
また、常に品質の維持・向上を図り、顧客のニーズに応える。

【スローガン】
「TRY&MOVE!」
~挑戦し、とにかく動け!~
失敗を恐れず日々挑戦!
とにかく止まらず動け!

【信条】
「挨拶と感謝」
いつ誰にでも元気に挨拶し、日々の感謝の気持ちを言葉にしよう!!

 もう一つは、設備の見直しです。
 顧客のニーズに対応するには、塗装設備はやはり重要です。直近 2 年間くらいは大きな設備投資を続けてきました。これは財務面の見直しを図ったことで資金繰りが改善したこともあり、動くことができました。

Q.塗装の設備について教えてください。

 塗装工場を設立するにあたり、取引先からの受注を前提に動いていたので、最初から粉体塗装の設備構築からスタートしました。一般的な塗装工場は溶剤塗装からスタートするところが多く、粉体塗装から入るところはあまりないようです。粉体塗装設備を最初に導入したことで大きな投資は最初に済んでいたので、安定した品質と納期を守るという課題を解決することができました。
 次に、直近 2 年間で積極的に導入したのが溶剤塗装の設備です。実は国内ではまだまだ溶剤塗装の需要が高い状況です。同時に粉体塗装で難しい色などは、溶剤塗装の方が向いている場合もあります。特に製品によっては、密着率の高い塗装が求められたり、耐光性が求められたりといった要望もあります。あとはメタリック塗装の目を揃えるなど、顧客の要望は様々です。その TPO に応えるためには、粉体塗装だけではなく溶剤塗装という選択肢が必要でした。

塗装工場

塗装ブース

 塗装の分野はかなり奥が深いんです。そういう意味では、「設備+ノウハウ」の両方が必要とされる世界です。最初に粉体塗装のための設備を導入していたので、溶剤塗装用にミスト対応の塗装ブースを 3 機増設しました。塗装設備は広い場所と集塵システム、あとは循環による空気清浄が必須です。特に今の時代は、環境への配慮や抗菌・抗ウイルスといった配慮も必要ですので、常に新しい塗料や材料の知識も必要になっています。
 溶剤塗装は、前処理、下塗りを行い、その後上塗りを行います。ここで重要なのは、気温と湿度。梅雨の時期は塗装が難しいと思われがちですが、実際には梅雨の時期よりも冬場の方が難しいことが多いですね。気温や湿度、材質への反応などから、その日の塗装の被膜や吹付のエアー量などの調整、塗料の濃度調整や吹付の厚さ調整など、細かい対応にはまだまだ経験の高いベテラン作業者の知識が必要だと思います。

塗装作業(溶剤塗装)

塗装前製品

塗装後製品

 上塗り塗装を終えた後、乾燥炉へ入れるのですが、今の時期なら約 20 分程度で 140°Cまで上がりますので、そこから同じく約 20 分で乾燥が完了します。これで塗装完成となります。

乾燥炉

乾燥中のサンプル①

乾燥中のサンプル②

 塗装作業では、いろいろなことがわかります。一番わかりやすいのは、板金加工の技術レベルですね。塗装前の板金加工の状態で製品を確認すると、きれいに塗装が仕上がるかどうかということがすぐにわかります。製品を見るだけで、その板金工場の技術レベルがはっきりとわかりますよ。あまりひどいと、塗装前に私たちの方で修正することもあります。

Q.塗装ノウハウの継承などについて教えていただけますか?

 塗装作業というのは、まだまだ手わざの世界と言えると思います。
 先ほどもお話したように、温度や湿度の影響などを受けるので、これに臨機応変に対応できるだけの知識と経験が必要です。そういう知識と経験が必要なのですが、高齢化により現場からたくさんのベテラン作業者が離れていっているという現状があります。
 当社では運が良いことに、今年に入って塗装のベテラン作業者を新たに 2 名雇用することができました。60 代と 30 代の 2 人ですが、これは現場にとっても良い刺激になっているようです。今までの従業員の知識による塗装方法やアプローチと異なっていることがあった場合、いろいろと話し合いながら進めることができるので、こういったことは大歓迎です。
 海外からの従業員も現在 2 名が働いていますが、とてもまじめなのでどこまで技術を習得できるかを楽しみにしています。これも技術のバトンの一つかもしれないですね。

Q.ウイルビックがこれから目指していることについて教えてください。

 やはり塗装事業に経営を集約してきましたので、今後も塗装を中心に拡げていきたいと思っています。ちょうど今年から稼働を開始するのですが、木材塗装を中心に行う第 2 工場を設立しました。本社から車で 5 分くらいのところなのですが、コロナ禍の影響で少し予定が遅れたものの何とか立ち上げることができました。これから新しいもう一つの拠点となるのでがんばっていきます。
 それとこの伊勢崎市周辺の他の塗装会社との連携も開始しました。単純な仕事のシェアということではなく、それぞれの会社が得意とする分野などを活かしてお互いにサポートし合うような体制づくりと言いますか、仲間づくりですね。これも賛同者を増やしつつあるので、もっと力を入れていきたいところです。
 あと基本的には、他社と同じことはやらずに自社のノウハウを武器に差別化を図っていこうと考えていますので、拡大に合わせて人員も増やしていく予定です。
 そのために、商社や塗料メーカーからの新しい塗料の情報や技術情報などに常にアンテナを張っていたりしているので、日々情報を更新しているような状態です。最近では、農業用ドローンのカバー塗装など、新しい製品の塗装などにも挑戦しています。

木材パネル(ヒノキ)

農業用ドローンカバー

 今後は工業製品において塗装で差別化されるような商品、例えばリラックス効果のある塗料を使った展開や今の時代に求められる環境配慮や抗菌はもちろん、SDGs への対応など、やれることはたくさんあると思っています。
 また当社は「ファイテン株式会社」の地域販売会社でもあるので、部屋をまるごとリラックス空間にリフォームする「ルームシャワー」の施工も行っており、こちらの事業も好調です。
 まだまだウイルビックの事業は通過点なので、これからどういう方向に進んでいくのかというのは、私自身も期待しながら進んでいきたいと考えています。

ありがとうございました。


株式会社ウイルビック 会社情報
【沿革】
・1984年  境町小此木(現伊勢崎市境小此木)に資本金300万円にて柳田保夫が鋼構造物、各種電気設備機器の製作、販売、各種工作機械の改造、修理、据付工事等を主とした「株式会社マサル工営」を設立
・1985年  建設業(鋼構造物工事業)群馬県知事(60)第12904号認可される
・1992年  資本金600万円に増資
・1994年  建設業(電機工事業)群馬県知事(般5)第12904号認可される
・1995年  資本金1,000万円に増資
・2000年  配管設備工事業に業務拡大する
・2007年  事業拡張のため、現所在地の伊勢崎市境伊与久に本社を移転 。また社名を「株式会社マサル工営」から「株式会社ウイルビック」に変更
・2010年  代表取締役に柳田陽平が就任
・2012年  板金部門、塗装部門に事業集約し、本社所在地に塗装工場設立
・2020年  アネスト岩田社製 塗装ブース導入
・2021年  栗田工業社製 乾燥炉導入
・2022年  パーカエンジニアリング社製 塗装ブース導入
・2022年  木材塗装をメインに第2工場(伊勢崎市境上渕名)稼働

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