メールマガジン配信中。ご登録はお問い合わせから

ー 科学と技術で産業を考える ー

ことラボ・コンテンツ

岩波徹の視点

スポーツと社会②

2024 年 08 月 21 日

 約 100 年ぶりに開催されたパリ五輪が閉幕した。前回はゲマインシャフトとゲゼルシャフトという堅苦しい話をしたが、ポイントは「情実」に訴えるよりも「客観的事実」に基づいて判断しよう、と呼びかけたものだ。
 太平洋戦争中に、大本営発表に輪をかけたような美辞麗句を並べたマスコミは今でもその体質は変わっていない。「客観的事実」を無視して“感動”を演出して「ニッポンを応援しよう」と暴走する体質は、スポーツの場面だけでなく、社会のあらゆる場面で、日本人の論理的な思考能力を劣化させている。出場する選手の中にも「感動を与えたい」などと的外れなことをいう選手も出てきた。「感動」など与えられるものではなく、自発的にするものだ。「のぼせるな」と言いたい。ちなみに私は「感動」そのものを否定しているわけではない。個人的に今でも深く感動するのは 1992 年のバルセロナ五輪の陸上男子 400 mの準決勝で、英国のデレク・レドモンド選手だ。彼はスタート後 100 mを過ぎた辺りで右足に肉離れを起こしコースにうずくまった。他の選手がゴールした頃に立ちあがり左足だけでピョンピョンと進み始めた。会場は割れんばかりの拍手だが、まだ 300 mくらい残っている。第3コーナ―を回ったあたりで一人の初老の男性がコースに飛び込んできた。選手に触れたら失格になる、と審判員がその男性を止めようとするが彼は審判員を振り払ってレドモンド選手の腕をとり肩を組みゴールを目指す。共に練習をしてきた父親だという。息子は父親の肩に顔をうずめて泣き出したが、父親は彼を励ましゴール手前 10 mくらいで彼を放し、息子をゴールさせた。他にも感動した場面はあるが、金メダルをとることが感動ではないことをスポーツメディアは肝に銘じてほしい。

 下の表は、メダル獲得数順に1位から 10 位までを並べたもので、その国の人口をメダル総数で割ったものだ。「メダルラッシュ」と連呼するよりも、世界と戦うことができる人が、各国の人口の中で何人いるのか、その国民の体格・体位がどれほど優れているかを比較する参考になる。
 人口が多い国が(選手が多いのだから)メダルを多く取って当然だ、と考えた。「メダル総数」で「人口」を割ったら、1個のメダルを取るのに何人必要だったか、という指標になる。
 これを見るとオランダは 52.3 万人で1個のメダルを得ているから1位。次はフランスの 102.9 万人、さらに英国の 104.8 万人、イタリアの 150 万人、韓国が 159.3 万人、豪州が 163.4 万人と続く。すると日本は人口の割には「メダルは少ない」ということになる。ベスト 10 の中で、日本より効率の悪いメダル取得国家は 1550 万人で1個のメダルを獲得している中国だけだ。この表を見ても「メダルラッシュ」と評価するのだろうか?

 この表をGDPで作っても面白いかもしれない。「日本のお家芸」とか「○○ニッポン」と軽々しく表現すると、世界の中の日本の客観的な評価を見誤る。
 すこしスポーツの世界に深入りしたが、深入りしたついでに私たちが気のつかない「お金」についても触れる。水泳の池江璃花子さんは練習拠点を豪州に移して、落ちた体力のリカバーに取り組んだが、目標の決勝進出を果たせなかった。家人が悪性リンパ腫だったことから、彼女の復活をわがことのように応援しているが、会場のパリに向かう飛行機代は国から出なかった、という。多分、国のやることだからナショナル・フラッグであるJALを使うことになっていて、豪州→パリ便はないはずだから、自費で来い、ということなのだろう。北口榛花さんのチェコからパリもそうなのか?
 報奨金の多寡も初めて知った。競技団体次第だという。頑張っても食べていけない選手もいるらしい。東西冷戦時代の東側諸国(ソ連や東ドイツなど)には“ステートアマ”と呼ばれて、国に選ばれた選手は仕事=スポーツで、国威発揚のために訓練していた。あの頃の五輪のブランデージ会長はコテコテのアマチュア主義者で、西側のプロ選手は参加させない、と頑固だった。メダル獲得競争は米国、ソ連、東ドイツと変な競争が続いていたが、日本でも自衛隊や企業雇用の選手たち。いまはアーバンスポーツなどに企業スポンサーがついて支援してくれる。日本の豊かさが嬉しいが、マスコミが騒ぐ割には、メダルの数は少ない、というのが今回の話です。さらに五輪を楽しんだあとには“お勘定”を払わなければならない。これに使われているお金についても、マスコミは無関心すぎる。パーティを楽しんだら「今日のお勘定」までを心配するのが大人だ。
 メディアは、本番前に騒ぐのではなく、選手育成に、国も国民ももっと関心を持つように常日頃から呼び掛けて欲しい。そしてあらゆるスポーツを支援して欲しい。やり投げで金メダルなど夢のまた夢だった。近代五種や馬術、飛び込みやフェンシング、セーリングなど守備範囲が広がったのは、日本が豊かになったことの証明だ。ブレイキンなどの若者スポーツに利権欲丸出しの大人が参入するのは見たくない。“初老”もいたけど若者の頑張る姿は、人生の折り返し地点を過ぎた者にも嬉しくて元気が出る。皆さんの頑張りを応援します。