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ー 科学と技術で産業を考える ー

ことラボ・レポート

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三起精工 仙波 勝弘 社長/インタビュー

2022 年 03 月 25 日

三起精工株式会社
代表取締役
仙波 勝弘
1945 年 6月1日生まれ 栃木県出身。
納得することのできるマシンを設計したいと独立し、三起精工を起業。
良品を作り続けることでユーザーから高い信頼を得ている。
いまでもCADに向かって納得いくまで設計に打ち込んでいる。
三起精工株式会社のホームページはこちら


 三起精工株式会社は、独自の技術による油圧プレスマシンを開発・製造しているプレスメーカー。栃木県足利市に本社を置き、企画・開発・製造を一貫した体制をとっているのが特長。
 代表取締役の仙波勝弘氏は、「良品を通して社会に貢献する」という社是を掲げ、「もっと使いやすく、もっと高精度に」を目指し、常に完成度の高い製品を世に送り出す工夫を続けている。その技術への信頼性は高く、国内の自動車産業や製造業に留まらず、海外からのリピーターも多いグローバルブランドとして注目されている。
 そして今回、この社是に込められた仙波社長のお考えと、三起精工についてお話を聞かせていただける機会を得ることができたので、インタビューを実施した。

Q.まず最初に、三起精工について教えてください。

 三起精工株式会社の設立は、1978年11月1日。私が33歳の時でした。
 創業以来、社是である「良品を通して社会に貢献する」という考えのもと、44年にわたりプレスマシン専門メーカーとして活動を続けてきました。
 おかげさまで、この2年に渡るコロナ禍においても、売上全体としては下がっているものの、創業以来 黒字を続けることができています。

 特徴的なのは、徹底的に開発に力を入れているということです。これは「完成度の高いマシンをつくる」という創業時からの私の考えによるものです。
 当社では「油圧プレス」にこだわっていますが、「小さな力で大きな力を発揮する油圧機構」には大きな魅力と可能性があります。当社のマシンは、主に自動車産業を中心に世界中の様々な分野で活躍しています。そのため、常に油圧に関する知識や制御技術、強度計算など、プレスマシンの開発に必要なあらゆる可能性を追求し続けているのが特長です。
 特に技術・開発を中心に社員の配置を考えているため、従業員の3分の1以上が技術職という体制をとっており、マシンが納品された後には開発メンバーで反省会を行うなど、常に次の商品開発を見据えて切磋琢磨できるように工夫しています。

Q.仙波社長の経歴についてお聞かせください。

 私自身は、もともと子供の頃から「機械いじり」が大好きで、自分の身の回りでもたくさんの機械に触れることがありました。当時、町には鍛冶屋や鋳掛屋などがあり、熟練の職人さんたちが腕を振るっている姿を間近で見ていたのを覚えています。そういうことを見ているうちに自分もどんどん興味を持つようになり、高校に入る頃にはオートバイの分解・組立を行うことで、その機構や仕組みを理解することが楽しく、時間を忘れてやっていましたね。

 私自身は兄弟が多く、7人兄弟の4番目になります。最初から機械が好きだったので、進学したのも那須工業高校(第一期)の機械科と、自分の目指す方向もはっきりしていました。

 卒業後に最初に私が就職した会社は、宇都宮機器というベアリングの会社で、そこで社会人としてスタートしました。宇都宮機器では技術課という設計部門に所属し、ニードルベアリングのリテーナー(保持器)を加工する専用機の開発などに約3年間携わり、ここで設計や開発の基礎的なことを習得しました。
 その後、宇都宮機器で技術指導に来られていた方からお話をいただき、宇都宮機器とも取引のあった阿部精機という会社からスカウトされ、ここで本格的にマシンの設計を行うようになります。そこでは、ちょうど自社商品の開発を始めようとしていた時期であり、その会社の最初の設計担当者として移籍しました。
 この阿部精機には約10年間務めましたが、設計者としては比較的自由に仕事をやらせてもらえました。しかし、1973年のオイルショック以降は少しずつ状況が厳しくなり、最後の3年間は営業としてお客様を訪問するようにもなりました。ですが、私自身としてはお客様と直接話すことが出来る機会を得ることができたので、かなり刺激的でした。

 そうした中で、自分の中には「もっと自分自身で考えて、納得することのできるマシンを設計したい」という考えがどんどん大きくなっていきました。
 やはり雇用されていると、その会社の方針や考えに基づいて商品の仕様が固まっていきます。そこでは、どうしても「自分で満足するまでやり通した」という意識が持てなかったということがありました。

 以前に開発したマシンを、次に製造する前には自分では「改善・改造」をしていこうと思っても、納期や予算などから難しいことがある。しかし、ここを直せば確実に良くなると自分は思っているからどうしてもやりたい。しかしその場合、図面の一部に手を入れればどうしても全体に影響が出るため、全体を見直す必要が出てくる。そうなると納期や予算が厳しくなるといった自問自答が続いていました。
 こうなってくると、もう「自分でやりたい!」という思いが強くなり、「納得できる図面をとことんまでやりたい」ということになるわけです。
 結果として、「自分の考える通りの図面を思う存分、自由に引けるような会社をつくろう」という結論に達し、3人の仲間と三起精工を立ち上げた次第です。

Q.三起精工を立ち上げてからはいかがでしたか?

 「三起」という社名は、「3人で起業した」ということが由来となっています。
   独立する前の会社で一緒に働いていた3人で起こした会社です。
 ちょうど同じ頃に退職した3人で、鷺島氏、千葉氏、そして私でスタートしたことに由来しています。

 設立当初からすぐに順調だったというわけではありません。
 三起精工も最初は、機械修理を中心に活動していました。足利周辺の特徴として、プレス金型屋さんが多かったということがありました。古くは中島飛行機をはじめとして、多くの工場や金型工場がプレスを使っていたわけです。ただ、導入しているマシンは古い機械が多かった。そうするとどうしてもトラブルも起こりやすくなってきます。
 工場は、マシンが壊れて停まってしまうと生産が停まってしまい、直接売り上げに響いてきます。だからこそ、早く修理して生産を再開したい。ただ、当時はどうしてもサービスが行き届かなかった部分もあり、どこも困っていたというのが実情でした。そこで私たちは、最初はこのプレスマシンの修理も並行して行っていました。

創業当時の工場

ドラフターに向かう仙波社長

 

油圧プレス1号機
STK-1007-30M

 これには2つの大きなメリットがありました。
 一つは、修理業による基本的な売り上げを確保することができたこと。
 そしてもう一つは、様々なメーカーのプレスマシンを修理するということは、技術的な勉強になるということです。もともと自分は、オートバイの分解・組立などで機構的な理解や技術を習得するという勉強をしていたわけですから、これはとてもよい機会でした。
 こうして、翌年の1979年5月には自社ブランドの1号機として、油圧式トリミングプレス(30ton)を完成させて納品しました。
 続いて、8月にはトライアウトプレス(300ton)を完成させ、翌年の1980年には1年間の間に16台を完成させて納品し、この頃からは順調だったと言えます。

Q.三起精工には特長的な技術がありますが、どのようなきっかけがあったのでしょうか?

 私は運が良かったのか、若い頃からいろいろな技術に触れることができる機会がありました。当時はまだ木造の建物にベルト掛けのマシンを使っているところも多かったのですが、これらはまず基礎や仕組みを知るには大変役に立ちます。そういう現場に足を運び、実際に教えてもらうこともできました。
 そして、油圧を本格的に知るきっかけにもなったのは、柳田鉄工というところに行った際に学ぶことができたということがありましたね。

 油圧プレスは、油の特性を利用して、それぞれの加工に最も適合した機能を発揮することができます。これは「小さい力で大きな出力を得られる」ということです。「圧力調整が簡単」、「速度調整が簡単」、「出力調整が無限」、「加速も自由」、「細かく正確に制御できる」など、たくさんの魅力があります。そこには、メカ式プレスにはない可能性があると私は考えており、この可能性に魅力を感じたからでした。
 あとは、塑性加工における精度を高めるために、剛性にこだわった設計構想を持つということです。フレームやシリンダーなどのビビりを抑えるための対策や工夫。これは一長一短では難しい。これをきちんと残していくために、最初は経験などで行ってきた設計や開発を、できるだけ早い段階で共有できる知識として蓄積するために、CADシステムを導入することも進めてきました。

反転式ダイスポッティングプレス
SDP-1007-30/110°

 また独自の技術としては、反転装置も一つの特長と言えます。
 足利市には有名な靴メーカーであるアキレス株式会社がありますが、ゴム製品の製造なども盛んでした。このゴム製品の製造工程では、熱で金型とゴムがくっついてしまうため、そこには離型剤を塗り、金型を反転させて製品を取り出すため「反転装置」を使っていました。この反転装置を作っていたのが柳田鉄工所だったのですが、ある時期忙しくて対応することができずに、阿部精機でこれを請け負ったことがあります。これを設計するにあたって、いろいろと勉強することができる機会もありました。
 その後、独立してからプレスマシンの金型仕上用の「反転装置」の構想を本格的にスタートさせ、1980年8月に三起精工として初めての反転式ダイスポッティングプレスを完成させることができました。


Q.
社是である「良品を通して社会に貢献する」についてもう少し詳しくお聞かせください

 先ほども申し上げましたが、三起精工は技術を中心とした会社です。
 これをブレることなく支えている言葉が「良品を通して社会に貢献する」という社是です。これは、私が独立した時に「設計にとことんこだわりたい」という思いを言葉に表したものと言えます。
 良品とは、総合的には「品質が高い」と言うことです。
 ここにこだわるということは、「故障しない」、「油漏れが少ない」、「使いやすい」など納品されたお客様にとってのメリットにつながります。故障することのない、品質が高いマシンを使い続けてもらうということは、必ずお客様に喜んでもらえます。
 お客様に納入したマシンが「故障することなく」、「高い精度で」、「使いやすい」のであれば、ここには高い信用が生まれます。これは、営業のメンバーが少ない当社にとっては、納入されたマシン自体が、わが社にとっての「営業マン」として信頼され、活躍していると言えます。
 当社のお客様はとてもリピーターが多いというのも、この効果の表れだと考えています。

Q.現在は非常に難しい時代となりました。これからの三起精工が目指すことは?

 そうですね、確かにいろいろと難しい時代になったと思います。
 当社を取り巻く環境としては、売上もコロナの影響で海外向けはほとんどなくなりました。また、昨今では電気部品の納期がかかる影響も大きく、受注に対して納品が2カ月近く遅れてしまう状況もありました。鋼材の高騰の影響も大きいと言わざるを得ません。
 しかし、悲観することばかりではないと思います。
 当社は平均年齢も若く、次の世代も育ってきており、若手の育成という部分では設計メンバーの経験も積んできているので、あまり心配はしていません。
 今では、電子化や制御技術などが進歩していたりもしますが、機械の技術的な部分はやはり構造です。構造を理解するには実際に触れて理解することが大切です。
 そういう意味では、当社はお客様にも恵まれてきました。
 納入やサービス対応などは、一貫して自社で行っているので、ここでも経験を積むことができます。現在もサービスはとても重視していますし、若い人が経験を積むことができる重要な機会であると考えています。こういった機会を与えられるというのは、お客様と一緒にマシンを育てているという感覚に近いのかもしれません。
 こういった機会はとても楽しい。
 商品を作り、世に送り出すというのはとても大変で責任を伴いますが、完成させて納品して、お客様に使っていただくということを経験すると、これに代わる達成感を得るのはなかなか難しいと思います。
 あとは、技術の進歩はとても早いので、これらの技術にもきちんと目を向けておくとともに、自分のできることや範囲を広げていくことで、楽しさを味わえる範囲を広げることが重要だと考えています。
 当社も創業から44年を経て、世界中に2,137台(2021年末)を超えるマシンを納入してくることができました。「良品を通して社会に貢献する」ためのモノづくりを続けていけば、これからも「必ず必要とされる会社」として認められると私は信じています。

本日は、お忙しい中ありがとうございました。

 

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