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日本工作機械輸入協会 元専務理事 山下 敏久/【連載#1】「日本工作機械輸入協会 専務理事としての8年間」
日本工作機械輸入協会
元専務理事
山下 敏久(やました としひさ)
1948 年 11 月19 日生 広島県出身
1972 年 機械商社(広島) 入社
1980 年 千代田機械貿易(現シーケービー)広島営業所入社
2012 年 同社を定年退職
2013 年 日本工作機械輸入協会 専務理事就任
2021 年 専務理事退任、顧問に就任
1955 年に設立された日本工作機械輸入協会は、今年で 67 年を迎える。金属切削型工作機械、鍛圧機械、測定・検査機器、産業ロボット、CAD/CAM システム、切削工具、工作用付属機器等 金属加工製造設備及び技術の健全な輸入の発展と会員共通の利益を増進するための事業を行うことを目的に活動を開始した。
この輸入協会の専務理事として、2021 年まで活躍された。
《第 1 回》 日本工作機械輸入協会との関わり
そのころ私は株式会社シーケービーに勤めており、「IMTP2009第3回国際工作機械と周辺機器展」開催にあたり千葉雄三社長(当時輸入協会会長)から見本市委員長を命ぜられ、展示会主催者の日刊工業新聞社に「マシンツールフェアOTA」に特別協賛として共同参加をするために小間代金等の交渉に行ったことから輸入協会との関わりが始まった。
その縁もあり、2011 年から始まった第一回企画委員会にも参加することとなった。なぜか 2012 年のJIMTOFでは千葉雄三会長に依頼され、輸入協会内の小間割りの最終決定段階にも参加することになった。その時は希望する小間数が取れない会員が多くあり、振り分けがかなり難航していた。理事会にも出席させていただき窮状を説明し、「一升マスに一升五合は入らない」と訴えた思い出がある。何とかしてあと数小間調整すればいいところまで来たので、最後は理事の各会社内で調整をお願いし、最終的には会長会社であるシーケービーと理事会社の有志に泣きを見てもらった。感謝しかないが、正式な事務局でもない自分がここまで苦労しなければならないのか疑問に思っていた。
シーケービー社内では数年前からJIMTOFの担当をしていて、小間数を増やしてくださいと輸入協会に交渉する立場であったのに、今度は既に与えられていた小間数を減らすことになっていったのだから矛盾していた。しかし、全体の小間割りを任せられると、そんなことは一切頭をよぎらなかったのは不思議な経験だ。定年がこの年の 11 月末に迫っており 11 月1日から開催されたJIMTOFは、シーケービー最後の仕事であり、感無量であった。
その後 2012 年 11 月にシーケービーを定年退職となり千葉会長から専務理事就任を依頼された。当時から仲の良かった金子一彦理事(現副会長)に相談し、「是非にとも」と薦められた。自分としては不安があったため、千葉会長とお話しさせていただいた際に、「しばらくは千葉会長に会長職を続けていただきたい」ということをお願いした上で、この機会に専務理事職を引き受けることとした。その後、1期2年間は会長職を務めていただき、その間に独り立ちできるよう様々な点で学んでいった。
自分が事務局に入り、初出勤したのは 2013 年1月 15 日のことであった。