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キャプテンインダストリーズ 渡辺 敏/【連載#6】「アメリカ市場開拓奮闘記」
株式会社キャプテンインダストリーズ
取締役相談役
渡辺 敏 (わたなべ はやし)
1932 年 10 月1日生 東京都出身
1960 年 日立精機 入社
1966 年 ギブン インターナショナル入社
1974 年 キャプテンインダストリーズ 創業 代表取締役就任
2021 年 同社取締役相談役就任
1974 年の創業以来、工作機械商品や周辺装置部品などにおいて、世界の一流商品を輸入する工作機械のパイオニア商社。
米国、ヨーロッパ等 世界6カ国で名の知れた工作機械商品・部品メーカーと取引きがあり、国内では抜群の信頼関係を持ち、数千社の取引先がある。
《第 6 回》 進む NC 化
「水溶性対策」と銘打った難関突破を果たした日立精機は、アメリカ市場開拓に先発メーカーとしてニューヨークにも駐在員を置き、サービスマンも東西に常駐させて次なる展開を突き進めていった。
その一つに NC 機の問題が浮上した。当時、NC 機開発の元祖であったアメリカ工作機械業界は、NC 機の開発競争にしのぎを削っていた。シンシナティ、K&T(カーニー&トレッカー)、デブリーグ、W&S(ワーナー&スエジー)等々、各社はそれぞれの特徴を生かしたNC 機を開発していた。その中で一頭地抜いていたのは K&T 社であった。ミルウォーキーマティックと銘打ったコラムのヘッドに、回転する工具交換装置(ATC)を抱えたフライス盤の開発である。MC の元祖でもある。私はその一号機を同社工場で見学する機会を得て、日立精機本社にその製造についての技術提携を強く進言した。残念ながらこれは実現せず、後に同社は東芝機械と提携して日本に子会社をつくり、事業をすすめた。
当時、日立精機の社内では、汎用機重視派とNC機開発派が激しくその将来性、戦略について議論を戦わせていた。当然、NC 機の先端を走るアメリカに駐在する我々の意見も重視されたが、会社の機構の中ではまだ若造である我々の意見が通ることは難しかった。そして、本社は部長クラスの幹部を何度もアメリカに派遣して市場調査を実施していたが、当時、工機メーカーとしては珍しく株式市場でもてはやされるほど、汎用機販売で大きな利益をあげていた日立精機社内では守旧派の発言が強く、NC 機派は押されがちであった。これは、将来的には大きく会社の命運を左右することになる。このことについて、これ以上の言及は控えるが、以下のことを述べておきたいと思う。
日立精機では前述の内部対立はあったが、経営陣は NC 機開発にはそれなりの配慮をし、開発部は汎用機のフライス盤、2ML を主体にした NC 機を開発していた。それは汎用機の3軸をボールネジに変え、摺動面にローラーガイドを装備し、NC 装置は富士通製で、サーボ機構は同じく同社製の油圧サーボモーターであった(ファナック創業以前)。
まさにプロトタイプ機であったが、この機械をロスの展示場で展示することを決定した。そして、NC 装置のメンテナンスを担当する技術者とともにロスに送り込んできたのである。
私はこの機会を捉え、オープンハウスを催すことを決定し、西部地区の代理店、ユーザーを招待した。日本の工作機械メーカーが展示会を行うということで大きな関心を集め、展示会は成功したが、来客の中にシアトルの Boeing 社の技術者がいた。彼はある宿題を我々に与えたのである。それは 12 吋(300mm)のアルミの正方形の材料に、内接する円とその上に乗る正三角形を削り出せという宿題であった。サイドから見ると、正方形、それに乗る円、さらにその上に正三角形が重なる形状である。我々はこの時、相手は Boeing 社だということで、興奮して作業にとりかかった。最初、この宿題の厳しいトリックには気がついていなかった。そして作業を進めるにつれて、このことに気がつき始めた。最後に削り出した正三角形の正方形、円と交わる頂点がどうしても 60 度の鋭角にならないのである。約3mm幅の端面が残るのである。約束に従って私はこのサンプルを Boeing 社に持参し、工場長と
面談した。
当然のことながら、彼の回答を得るのに一分とかからなかった。まさに正否は一目瞭然であった。
日立精機の NC 機は、富士通製の油圧サーボモーターと NC 装置を装備した機械であったが、オープンループの機械であり、フィードバック機能は装備されていなかった。
従って加工誤差はそのまま集積され、それが最終加工点である三角形の頂点に3mm の誤差として集約されたのであった。先に触れた日立精機フライス盤の油圧送り機構と同工異曲の問題である。
展示会に来場した企業の中に、Ace Gage Co.というカルバーシティ(カリフォルニア州)に存在する中小企業があった。彼らは中小企業であったが進取の気風に富み、当時、最先端を行く多くのアメリカの NC 機を装備して、高精度を要求される航空機の部品の加工を請け負っていた。彼らは日立精機の NC フライス盤に興味を示し、最終的に購入を決断した。我々にとってはまさに天与の幸運とも言うべき事態で、喜ぶとともに Boeing 社の一件もあり、果たして彼らに満足してもらえるのか危惧の念も大きかった。そして機械を納入したがやはり懸念した通り、トラブルが発生し始めたのである。それは機械ではなく NC 装置についてであった。
Ace Gage の工場は冷房のない工場で、夏場は外気が30度超えになるカリフォルニアで、工場内は 40 度近い温度に上がり、装置のダイオードが故障し始めたのである。サービスマンとともにトラブル対応に当たった。日夜兼行で対応したが埒が明かず、遂に時差のある日本に夜中に電話をし、富士通と国際電話を通じての対応となった。サ-ビスマンは電話片手に、あーでもないこうでもないと指示に従いながら対応したが、改善は不可能であった。
国際電話の交信料が高価な時代、通常は国際電話の使用は禁じられていた。
そして富士通は遂に、技術者の派遣を決断した。
若手技術者が渡米し、一カ月以上にわたって対応し、ようやく Ace Gage は機械の引き取りを承認してくれたのである。1964 年 12 月のことである(日本が電子王国となる以前の一コマである)。そしてこの日立精機の NC フライス盤がアメリカ市場で販売された日本のNC 機の第一号であり、Ace Gage は第一号の顧客となった。
また、この機会に Boeing 社との関係も構築でき、展示していた汎用フライス盤 3MK の販売に成功。Boeing 社への日本製工作機械納入の一号機となった。
株式会社キャプテンインダストリーズ 会社情報
【沿革】
キャプテンインダストリーズの沿革
1974 年 資本金 50 万円、従業員4名で設立 摺動面ベアリング「ターカイトB」の輸入開始
1979 年 厚木営業所・名古屋営業所を開設
1980 年 油・空圧機器用等シールの輸入、販売開始
1982 年 工作機械などの電線、油空圧管等の保護管「キャップフレックス」の製造販売開始
1985 年 キャプテンインダストリーズ台湾支店を設立
1992 年 江戸川区に本社を移転
2002 年 「ローロンスライド」組立開始
2004 年 台湾支店を現地法人 克普典科技股份有限公司に改組
2006 年 本社社屋完成
2012年 堺工場開設 FPMS Fischer Preciseメンテナンスサービスを開始
World-wide Products with Global Support の標語のもと、海外の優れた商品を発掘し日本に輸入するばかりでなく、日本市場に向けた仕上げ・調整さらにメンテナンスも行う輸入商社。また東アジア市場への進出を検討する欧米メーカーの重要なパートナー役を果たしている。
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