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ー 科学と技術で産業を考える ー

ことラボ・レポート

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ファナック新商品発表会で見た新潮流

2025 年 06 月 18 日

新商品発表展示会とは

 ファナックは恒例の『新商品発表展示会』を本社・忍野村の『自然館』で5月 19 日に開催した。新型コロナウイルスの感染対策などで昨年から開催様式が変わり、10 時から4時までの開催時間の中で来場時間を4回に分けて、指定された時間に会場に行く。招待状には“入れ替え制”とあるが、そこは厳密な運用ではない。しかしこの方式になってからは以前のような“渋谷ハチ公前スクランブル状態”のような混在はなかった。ちなみにファナックでは“製品”とは言わない。作っているのはお客様のための“商品”だ、という強い信念に基づいている。これを基準に各社のカタログがどのように表現しているか、調べて見ると面白い。
 新商品発表展示会の歴史は古い。同社の社史『ファナックの歴史』によると 1992 年7月に創立 20 周年記念行事としてスタートした。だから 30 年以上の歴史を持つ。ファナック社内では「社内展」と表現されるように誰でもが見学できる「展示会」ではない。あくまでも関係者にお見せする趣旨のものだ。
 会場の印象は昨年に比べるとロボットの展示が増えた。人不足が深刻化している現代社会に各方面でロボットの利用を促進するために、さまざまな導入例が紹介されていた。

【会場のレイアウト】

 山梨県忍野村にあるファナック本社にいくと判るが、広大な富士山ろくの中に展開する本社工場群は、事務棟や研究棟、工場がバラバラに点在している。中国大陸の広大な工業団地で碁盤の目のように直行する道路が整然と敷かれて規則正しく工場が並んでいる“合理性”に比べると意外な印象を持つ。厳格に合理性を追求するイメージのあるファナックのこの姿勢に気づく来場者は多くないだろう。これは富士山ろくに移転してきたときに決めた自然環境保全のルールに従っているからだ。それは、
①敷地の 80 %は自然のまま残す。
②工場は樹木のない場所を選んで建設する。配置が雑然となるが、それでもかまわない。
③仮に樹木のある場所を開発するときは、木は1本も切らずにそれらの樹木を移動させる。そのための費用は厭わない。
である。
 2000 年3月に『自然館』が完成するまでは、広大な敷地内に展開する多くの建屋のなかで展示会を開催できるスペースを確保して行われていたが『自然館』が完成すると会場はそちらに移った。“自然館”という名前の由来は、自然環境保全ルールから理解できるだろう。

ファナックの変化

 新型コロナへの脅威も収まり人々が集うイベントへの規制も解除されてきたが、今回の取材は、新しい技術を取材することよりも、同社が開発したアプリケーションの多彩さから受けたロボット産業の新しい潮流について報告したい。
 かつての新商品発表会では、ピリリとした雰囲気が漂い、会場の説明員は記憶した説明を緊張の中で話してくれるのだが、質問しても同じ説明が繰り返されることが多かった。「時間入れ替え制」導入以前は大変な人だかりで、説明担当の皆さんも緊張していたのだと思う。今年は、積極的に声をかけられた。質問する心の準備が整わないうちの“先制攻撃”で、今回の取材は今までで一番要領の得ないものになった。しかしそれは会場内のゆとりのある空気のためだとも感じた。
 さらにファナックと言えば商品も制服も社用車も“ファナック・イエロー”で統一されていた。それは白色の本館を除くほぼすべての工場棟などもファナック・イエローに徹底していた。その企業文化に変化が見えてきたのは 2015 年に登場した“協働ロボット”からだと思う。登場したときはグリーンで「協働」という言葉の英語“Collaborative Robot”の頭文字をとって「FANUC Robot CRシリーズ」と名付けられたが、「協働ロボット」という言葉よりも、ファナックが黄色くない(緑色の)ロボットを作った衝撃のほうが大きかった。その傾向は本社周辺に建設されてく建物にも表れていて、白と緑の、ちょうど「CRXシリーズ」のロボットの色調に合わせてきている。
 いまは“ブーム”とも呼べるロボットだが、実は 1980 年に『ロボット元年』と呼ばれた時代から注目を浴びてきていた。それは主に自動車メーカーの“溶接ライン“や“塗装ライン”のように火花や薬剤が飛び交う環境で人間に替わって活躍する時代の到来だった。テレビでは溶接の熟練工が多関節ロボットの先端を持って溶接個所を教える(ティーチング)と、直後に教えられたとおりにスポット溶接を実施する映像が流れていた。
 いまでも製造ラインの両側からびっしりと並んだロボットが“寄ってタカって”溶接する映像は良く流れている。耐久性はもとより速度も重要で、目にも止まらぬ速さだ。当時盛んに議論されたのが、日本人とロボットの相性の良さだ。『鉄腕アトム』や『鉄人28号』などのコミックに幼少期から親しみを持っていた日本人は“ロボット”に親近感を持っている、とされている。その『ロボット』という言葉はチェコの戯曲作家カレル・チャペックの戯曲『ロボット』から生まれた。厳密には画家の兄ヨゼフ・チャペックの口からでたものだと岩波文庫版『ロボット』のあとがきでは紹介されている。本家のチェコ、というより欧米先進国よりも、日本のほうが親しみを持っていた。それは手塚治虫(鉄腕アトム)や横山光輝(鉄人28号)、前谷惟光(ロボット三等兵)などの先人の功績だろう。
 1980 年代は日本の製造業が急激に成長を始めた年だ。日本の工業製品(自動車)が高品質・低価格で世界中に輸出され始めたからだ。市場を荒らされた欧米諸国は、日本が不当に価格を下げたダンピングをしていると非難したが、日本はロボットを生産ラインに投入して、コストダウンを実現したことも原動力のひとつだった。上記のようにロボットに親近感を持つ日本人は、現場で頑張るロボットに“太郎くん”や“花子さん”などと名前を付けて可愛がった。しかし唯一神である神が全てを創造したとするキリスト教世界では、モノであるロボットに名前を付けて“人格化”することなど許されない。ロボットは道具に過ぎないとの扱いだった。しかしその後、日本の高い生産性に対抗しなければならず、さらに欧米社会に大量の移民が流入するに至ってロボットの導入が急速に進んだ。

産業用ロボット工業会からロボット工業会へ

 1972 年に日本産業用ロボット工業会が設立され 1980 年の『ロボット元年』を迎えたが、そのまま産業として拡大したわけではない。“溶接”や“塗装”などのヒトの作業環境としては厳しい現場への導入が一段落すると、次のブレークスルーが必要だった。この頃の事情を判りやすく教えて下さったのが北岡隆・元三菱電機社長だ。確か相談役のときだ「ロボットにはフレキシビリティがある、と言っていたが、それは作り手が思っていただけで、使うほうそのように思っていなかった。端的に言えばロボットが仕事をするロボットハンドだ。メーカーは重要な部分だからと自社で製造していた。それではロボット利用のすそ野は広がらない。ロボットハンドのインターフェイスを標準化して、ベンチャー企業が参入できるようにすれば市場はもっと広がったはずだ」と。「ロボット元年」はマスコミが盛り上がっただけで忘れられていった。
 この頃、ロボット工業会は、2年に1度“産ロボ展”を開催していたが、集客が伸びないと悩んでいた。制御機器の展示会『システム・コントロール・フェア』(SCF)も2年に1度の開催で、ロボット展と同時開催することも時々あったが意図していたわけではなかった。90 年代に、制御機器のオープン化がすすみPLC(シーケンサ)各社は“オープン化”とは真逆の囲い込みでSCFは活気があった。来場者の伸び悩みを打開するために会期を調整するために、ロボット展の責任者をSCFの責任者に紹介したこともあった。

《iREX2023展》のファナックブースに展示された各種のロボットハンド群

 さらに日本産業用ロボット工業会から“産業用”を外そうか、と当時の米本完二専務理事から相談を受けたこともあった。しかし、産業用ロボットが通産省(現・経産省)であるのに対して、建築用ロボットなら建設省(現・国土省)で教育用ロボットなら文部省(現・文科省)、医療用ロボットなら厚生省(現・厚労省)と、縄張り意識の強い霞が関のお役所との調整はどうするのかを問うと「そうなんだよ」と専務理事は下を向いてしまった。それでも 1994 年、工業会は名称を『日本ロボット工業会』に改称した(1994 年)。
 すると産業用ではないロボット、例えば大学の研究室で試作中のアミューズメントロボットなどが産ロボ展に参加するようになった。展示会初日の朝のNHKニュースで「今日から東京ビッグサイトで開催されるロボット展には“こんな面白いロボットが出展します”」と流れる。何が起きたか? 来場者は増えたが、彼らは工業会を支えている産業用ロボット各社のブースを素通りして会場奥にあるベンチャー企業に向かっていく。当然、会員各社から憤懣が噴出した。「どうしたら良いかね」と当時の井村会長に問われて「床のカーペットの色を分けたらどうですか」とよく考えもしないで返事をしたが採用されなかった。そうした試行錯誤期を経てロボットに注目が集まり関連展示会が増えたのは、安全性の向上や使いやすさの強化もあるが深刻な人手不足だ。市場ニーズは多岐にわたり、それらに対応するためにロボットハンドの開発が急がれた。手首のスペックを標準化して、ベンチャー企業が参入できる道筋はまだついていないのが残念だ。

新協働ロボットの登場

 そうしたロボットの仕事の印象をすっかり変えたのが「協働ロボット」だった。それまでの産業ロボットの王道から見ると、どこか頼りない印象で「本当にニーズがあるのだろうか」と不安になった。
 しかし産業界では、ロボットの適用範囲の拡大が求められていたし更なる生産性向上も求められていた。国際規格ISO10218-1では、安全規格の整備を進め、安全柵なしでの人とロボットの共存する運用形態が認められるようになった。日本国内でも2013 年 12 月に法規制が緩和された。

昨年2024年の新商品発表展示会では会場に入ってすぐのコーナーにCRXシリーズが勢揃い

 ファナックでは人の作業が中心の自動車組立ラインに導入できるロボットの開発で「FANAC Robot M-20iA/35M」をベースとした協働ロボット「FANAC Robot CR-35A」を開発した。このとき人がロボットに接触したときの衝撃を緩和するために、金属製のアームをクッション性のあるソフトなカバーで覆うことにした。それ以前、21 世紀に入って間もない頃、自動車業界のエンジニアと産ロボ展会場を取材したとき、彼は出展者に「40kN以上の力で動くロボットが人にぶつかると痛みを感じる。ぶつかった瞬間に動きを止めることはできないか」と質問した。相手の回答はすべて「無理です」というものだった。ファナックの「CR-35M」は、この希望に対するひとつの回答だった。
 ファナックは 2015 年に発表した“協働ロボット”路線を整備・拡大した。ポイントは安全柵が無くてもヒトがともに作業できる、ということだ。市場を拡大するにはロボットに不慣れな現場でも使いやすくかつ安全で壊れない、信頼性の高いロボットを開発することだ。これに応えて 2020 年6月から量産体制に入ったのが「CRXシリーズ」だ。
 ここまでながながとロボットの歴史を振り返ったのは、今回の「発表展示会」がロボット産業の新しい時代に進んだのではないかと思ったからだ。そしてロボット工業会の会長を排出するファナックだが創業の精神は「サーボモータで社会に貢献する」ことだった。しかし社会が便利であることを追求してきた結果として、安全性や堅牢性よりも、早く使えることを求めてきた。ユーザーは安全や堅実なサポートを要求してきたことにより、今回の「新商品発表展示会」では、多数のアプリケーションが紹介されていた。

展示アプリケーションを一部紹介

今回の会場には2台のCRXがパレタイジングにAIを駆使したリ簡単教示で上手に積み上げる

ギガキャストの金型に離型剤を塗布する大型ロボット

950 kg可搬ロボットM-950の使いまわしの良さをアピール。工作機械へワークのロード/アンロードにも十分活用できる

無機質の数字の指令から始まったコンピュターの世界が「視覚」や「接触」を取りいれ「音声」も守備範囲に入ってきた

会場で紹介されていた各種アプリケーション

 記事スペースの制約で画像を紹介する制限がある。しかしこれだけ多くの現場で人手不足が起きていることの警告を兼ねて列記した

①倣い制御で経路生成~どんな曲面でも簡単ティーチング。
手首ホルダー、力センサをつかい20 Nで押し付けることで薬剤塗布などのムラを発生させない。
②30 kg持っても軽々ダイレクトティーチング。
③30 kg可搬の「CRX-30iA」には手首に3つのボタンがあり、3つの操作を割り振ることができる。
ここではねじ締め作業を展示。
④どこでも持ち運べるポータブルCRX
⑤ゼロ教示でアーク溶接
⑥手吹き塗装は「CRX Paint」にお任せ
防爆協働ロボットと防爆制御ユニットで、ガス、蒸気を扱う現場の爆発事故を防ぐ。
進む現場のロボット化。ニーズは世界で数万件になる。
⑦離れた場所から力を感じてロボット制御
作業ポイントで受けた感触(職人技)を、離れた場所にいるリーダロボットに伝えて職人技を実現。
⑧プログラミングレスで簡単パレタイジング
コンベアから荷物をパレットに積むアプリケーションで(1)システム設定、(2)積みパターン、(3)システム稼働で多数個とり個別とりも可能
⑨パレタイズ(積み込み)もデパレ(荷下ろし)もCRXで簡単自動化できる。
⑩ロングリーチで重可搬が可能~大型ロボットによるギガキャストへの離型剤スプレー
M-1000ラインアップ
⑫有効的な動作範囲でコンパクトなレイアウト
⑬世界最速の高デューティスカラロボットによる高速ハンドリング
サイクルタイムは 78 サイクル/分。平均サイクルタイム 0.765 秒

⑭食品対応ロボットと「mGrip」で食品をそのままハンドリング。
10 kg可搬の食品対応ロボットにエアで把持する「mGrip」を装着。
柔らかく逃げるゴム利用で鳥のから揚げのような不定形なものを弁当に盛り付け可能。

 今回の「発表展示会」で一番印象に残った。前述したように「ロボット元年」で話題になったのが「ロボットに生卵は掴めるか」だった。ファジー理論だとかいろいろな議論があったが、結論は誰からも聞けなかった。多分、真面目な議論をする価値もなかっただろうが確か、三菱電機やオムロンなども参加していた。ちょうどその頃、つまり 1980 年代の後半でコンビニが誕生した頃、焼き立ての食パンを潰さずに掴んでパレットに並べられるか、も話題になった。早朝のコンビニに焼き立てのパンを届けるためにパン工場の作業は夜中になる。その作業を担当するのが高齢者や不法入国者だというのが問題だった。焼き立てのパンを掴んで袋詰めして搬送用パレットに並べるのにロボットを使おうと産業界が動いていた。驚いたのは最初に聞いたのはトヨタ自動車で、次に聞いたのはYHP(横河ヒューレット・パッカード・現:日本ヒューレット・パッカード)で、さらに日本IBM、三木プーリからも聞いた。いまは「人手不足」がキー・ワードだが、あの当時はコンビニという新しい業態に対応する仕組みを“社会的弱者”が補っていたことだ。それを多くの企業が知っていて、なんとか対策を講じようとしていたことが忘れられない。
⑮M-170に食品対応ロボットがラインアップ。
⑯AIで最後の1個までしっかり取り出し。ワークとハンドの干渉を低減して取り残し防止
⑰本格加工ロボットで高精度・高速レーザ切断
「FANUC Robot M-800」(第 11 回ロボット大賞 経済産業大臣賞受賞)、「IPG Fiber Laser Oscillator」、「iR Vison 2DV」で実演。

⑱高剛性・高精度ロボットによるウェット加工
± 0.1 mmの高精度の本格加工ロボットでウェット加工
⑲工作機械を簡単に自動化
20 kg可搬CRXによる工作機械へのワークのロード/アンロード
⑳CRXなら検査もコンパクトに実現してシンプルな検査セルを実現
 今回は人手不足からニーズが高まるロボット部門に焦点を当てた。FAとロボマシンについては機械を改めてレポートする。