ことラボ・レポート
ハイテンション社会からの脱脚
今、日本で起きていることについて「ことラボSTI」としての考えをまとめた。ことづくりラボSTIは「科学と技術で産業を考える」ことを企業理念に置いているが、「産業」はその前提として「社会」が必要だ。その「社会」が劣化してきたことをこれまで何度か書いてきたが、これ以上、見てみないふりができなくなった。
陳腐化する悪

オットー・アドルフ・アイヒマン
目下のフジテレビのスキャンダルでハンナ・アーレントが書いた『イエルサレムのアイヒマン』(みすず書房・1969 年)を思い出した。
オットー・アドルフ・アイヒマン(1906 年3月 19 日~ 1962 年6月1日)は、ドイツの親衛隊隊員。最終階級は親衛隊中佐でゲシュタポのユダヤ人移送局長官で、アウシュヴィッツ強制収容所 へのユダヤ人大量移送に関わった。
ドイツの敗戦でアルゼンチンに逃亡して平凡なサラリーマンとなりひっそりと生きていたが、1960 年、ナチス犯罪を絶対に許さないイスラエルの秘密警察「モザド」に捕らえられ、超法規的処理でイスラエルに送致された。その彼を裁く法廷のレポートを書いたのが政治哲学者ハンナ・アーレントだ。
裁判でアイヒマンは「命令に従っただけだ」と主張し、ハンナ・アーレントは“組織の中の悪”について考察を深めた。“極悪人”アイヒマンを前にしてユダヤ人であるハンナ・アーレントが冷静な分析レポートを書いたことで、彼女はユダヤ人社会からバッシングを受けた。しかし彼女は考察を進め組織の中の平凡な人間が悪に加担するのは「思考しない悪」に陥っているからだ、と論を進め、複雑化する現代社会の中で陥りやすい“悪への道”に警鐘を鳴らしていた。
さて私たちはいま、豊かな社会に生きていて、世界中で起きている“争いごと”には無縁でいられる。平和ボケしているからこそ、いまのようなやりきれないスキャンダルが起きているのだと思う。アイヒマンが生きていた狂気のドイツ社会とは無縁だ、と思っている。
“凡人アイヒマン”はどうして狂気のような仕事を淡々とこなしていったのか?アーレントは 「陳腐化する悪」という言葉で説明を試みた。あの時代のドイツを襲っていた「ナチスという狂気」の中で、ユダヤ人を大量に殺戮しても「悪いことをしている」という感覚がマヒしていた。そして「命令に従っていただけ」という“免罪符”を手に入れていた。皆が悪に染まっているときに、命令に従って仕事をしていただけだ、というわけだ。
良く考えるとマスコミという、ハイテンションでなければやっていけない世界にいる人は、アイヒマンと同じ環境に置かれているといえる。芸人やマスコミ関係者が女性に暴力をふるうことは昔からあったと言われているし、いまでは“推し活”という不思議な言葉で、芸人を持ち上げる風潮もあって、ナチスと同じ“興奮状態”、“トランス状態”で、世間の常識とは相いれない異常なことでも当たり前になっている。それに参加しないと受け入れられない。現代の「ハイテンション社会」の危険性を認識するべきだ。NHKには「NHKです~」と、この言葉を免罪符のように使ってズカズカと家庭に上がり込む番組がある。当然、事前の下打ち合わせの上なのだが、視聴者には「有名人が突然我が家にやってきた」ように見せている。テレビで放送されると「いまはそのような時代なのだ」と許されているような気になる。しかし“闇バイト”による強盗傷害事件が多発している現代では、強盗のお先棒を担いでいるようだ。NHKは、そんなことも考えないのか? 私が尊敬する芸能人に永六輔氏がいる。彼の著作『芸人たちの芸能史 河原乞食から人間国宝まで』には、出雲の阿国から始まった日本の芸能史が紹介されていたが、いま天狗になっている芸人たちに読ませたい本だ。
「ことラボSTI」の動画を見た方から「もう少し(私が)テンションを上げたほうが良いのでは」とアドバイスをいただいたことがある。そうしないと今の“ハイテンション社会”の中で生き残れないゾ、という親切心からだ。しかしその直後に「あっ違う。いまのままでいいや。持ち味というものがあるからネ」と言われた。しかし私は、その時から「テンション」について考えるようになっている。
日本のメディアの歴史
日本のメディアの歴史について学んだのは中央公論刊『日本の近代』第7巻の『権力とメディア』が初めだ。仕事の関係で他にも参考になる本を読んだが、この本から受けた衝撃はいまも続いている。それによると明治維新後に近代化を急いだ新政府は「新聞」というものを発行しないと“一人前の国”になれないらしい、と政府主導で新聞社を作ったというのだ。いまは手元に現物はないが、記憶を辿ると多くの新聞社がその方針で生まれた。メディアの仕事のひとつに“権力の監視”があるが、これでは日本のメディアには期待できない。“生みの親”を批判できるわけがない。欧米社会のメディアには、日本とは違う重みを感じているが、日本にはそれがない。例えば毎日新聞社の「西山記者事件」を覚えているだろうか。沖縄返還に付帯する密約で、日米間の金銭のやり取りなどを暴露したものだ。しかし、その情報は、西山記者が外務省の女性事務官と不倫によって入手したと、報道の核心は“沖縄密約”から“男女の問題”にすり替えられた。西山記者も入手した情報を野党に渡し「報道の自由」から逸脱してしまったが、本質は日本と日本人の国益に直結する問題なのに、やはり日本のメディアは、その誕生秘話に相応しい“低レベルな問題”にすり替えてしまった。
そうした後ろめたさからか、日本のメディアは異常にテンションが高い。まるで肝心な問題から国民の目を逸らさせようとしているようだ。昨年だったらMLBの大谷選手の活躍やパリ五輪・パリパラでのはしゃぎぶり。何か重要な事件があった日も“大谷選手の活躍”がトップだったときは「さすがにそれはないだろう」と思ったものだ。
そして目下の『フジテレビ事件』だ。事件の根底には「メディアの奢り」がある。上述のように日本のメディアは「権力を監視する」ためでも「民主主義を守る」ためでもない。明治初期にお上の要請で始まった“権力の“お抱えメディアは、その原点は江戸時代の瓦版屋だ。人々の好奇心を満足させる目的で、とても社会のため公共のためという精神とは程遠い。しかし欧米のメディアの目覚ましい活躍を見て、自分たちも“同族だ”と無邪気に勘違いして、今日に至っている。
こんな経験もある。日本のある機械メーカーがASEANのある国に工場を建設したときだ。ジャンボジェット5機をチャーターして世界中から関係者が招かれ盛大な式典が開かれた。工場見学後の宴会が終わりメディア仲間はステージのあるナイトクラブに移動した。初めての海外への招待取材で、どのように振舞うのか判らずに、先輩記者についていくだけだった。8人くらいの同業者がテーブルについて何が起こるか見ていると、突然隣の男が「広報は何をしている!全く俺たちをほったらかしにしやがって。これは一発書かなきゃいかんな」と大声を上げた。ヤクザでも紛れ込んだのか?と思ったが、彼はその後何回も顔を合わせる某社の営業畑の男だった。そんな男でも随分出世した。彼も心得たもので、経営陣にはヘイコラするが下の者には横着に振舞っていた。メディアとはその程度の世界だ。
彼は品がなかったが、多くのメディアは“思いあがっている”。テレビや大新聞は上から目線で自分たちは「公器としてのマスコミ」だと思っている。立法・行政・司法を指して「三権」と言われるがメディアを“第四の権力”と言う人もいるほど。しかし日本のメディアが持つ権力とは何だ?
発行部数が 100 万部以上の大新聞や国から与えられたある周波数の電波を武器に、多くのメディアが寄ってタカって、同じ事件を追いかけまわし、何の役に立っているのだろうか。「めっちゃうまい」と言うだけで深みの無い表現で食レポをするグルメ番組、スタジオにズラリと並んだ“タレント”が面白いことを言うだけの時間の浪費。
マスメディアの本当を姿として強く印象に残っている多くの事例の中でひとつだけ紹介する。つらい記憶だが東日本大震災のときだ。被災地に入れないから、と多くのメディアが上空から映像を取っていたときに、香港からCNNの女性記者が来日した。彼女は上野からクルマに乗り国道4号線を仙台に向けて北上する。1時間ごとにクルマを止めてそこから現場レポートを届ける、と。さすがに世界に誇る「速報のCNN」だ。
日本が近代社会になってからこれまで、軍事大国時代は高い税金に苦しめられ、男性は戦場に駆り出された。敗戦後は巧妙な米軍の支配下、理念の無い国家のなかで、楽しみは“バカ騒ぎ”と“グルメ三昧”だけの国になってしまった。「日本」を見失う前に建て直さないといけない、と真剣に思う。その処方箋を考えてみたが、病巣は多岐にわたる。
昨年2月に、キャプテンインダストリーズの創業者・渡辺敏氏にインタビューを行った。愛国少年だった氏は「日本を完膚なきまでに叩き潰した米国とはどんな国なのか、この目で見てやろう」と、就活時に“米国駐在”を条件にして日立精機に入社した。1年後に渡米、約6年間の米国生活を経験した。新卒で米国に行ったので氏のビジネス流儀は米国仕込みだ。
インタビューで彼は、日本の民主主義は米国から与えられたもので、日本人はそれを獲得するために“血”を流してこなかった。日本の将来を考えると、そのことが一番の気がかりだ、と語った。渡辺氏は昨年9月に 92 歳で逝去されたが、2月のインタビューで語られた「借り物の民主主義」が生んだ社会の歪が、いまの“ハイテンション社会”を生みフジテレビを始めとしたメディアのさまざまなスキャンダルに繋がっている。自覚されていない病巣を見出し、次世代に健全な社会を引き継ぐために必要な行動は「21 世紀の哲学」を始めて社会の病巣を治癒していくことだ。「陳腐化する悪」などを持ち出さなくても、日本人はこの問題については既に経験している。あの「赤信号、みんなで渡れば怖くない」だ。われわれは笑っていたが、笑い事ではなかった。
哲学をする心
ここで「哲学」という言葉を使うと一気に腰が引けるかもしれない。「哲」という漢字が持つ意味を見ると、「哲」①あきらか、さとい。懸命で物事の道理に通ずること。②しる。明らかに知る。③かしこい人。懸命な人。見識が高く、道理の明らかな人。(廣漢和辞典・大修館書店)とある。「哲学」は漢字圏にはない言葉で、明治維新で日本に輸入された“philosophy”の日本語として明治時代の思想家・西周(にしあまね 1829 年~ 1897 年)が考案した言葉だ。
しかし「タテ社会」の日本では深く語り合う文化がないために、哲学は日本文化の大きな潮流にはならなかった。さらに日本の哲学者の多くが、ソクラテスから始まりカントやヘーゲルさらにサルトルと、海外の著名な哲学者の思想を研究する、という一見すると「哲学ガイド」のような活動が目立ち身近なものにならなかった。何よりも明治維新から最近まで、日本では“殖産興業”“経世済民”で、腰を落ち着けて形而上的問題を考える時間や文化はなかった。“ものづくり立国・ニッポン”を強調するマスコミは、GDPが下がったと騒ぎ立てるが、戦後 80 年を経過して、これまで無理してきたほころびが目立ち始めたいまこそ「哲学」に向き合う土壌が整ったのではないか、と痛切に思う。
実は「哲学」という言葉では判りにくい。Philosophyという言葉はsophy(知)をphilo(愛する)という言葉で構成されていて、英和辞書をみると「哲学」の他に「ものの考え方」という和訳がある。この時代に、その意味で今の時代に向き合うヒントを提供しているのが池田晶子氏の著作である。昔の哲学者の言葉を伝えるのではなく、自分の言葉で世界を語っている。残念なことに彼女は 2007 年に 47 歳の若さで亡くなったが、多くの著作を残している。しかも若い頃は若い女性向けファッション雑誌『JJ』のモデルをしていた美しい女性で、かつて「哲学者」としてイメージされる“がり勉”とは程遠いところが新鮮だ。
彼女は、自分の頭で考えろ、という。悩むな、考えろと言う。例えば、
「そもそも私たちは、自分の決断で生まれたわけではなく、自分の決断で死ぬのでもない。生まれて死ぬという、人生のこの根本的な事態において、私たちの意志は全然関与していない。気が付いたら、どういうわけだか、こういう事態にさらされていたわけです。
このことの不思議に思い至れば、人間が自分の人生について、自分の意志で決断してどうのこうのということが、いかに小賢しいことであるかにも気がつくでしょう。人間が自分の意志でできることなんか、たかが知れているのです。人生は自分の意志を超えているのです。」『わからないのは当たり前』(幸福に死ぬための哲学・池田晶子の言葉・講談社 2015 年より)。
彼女のように深く考えてみると、マスコミやSNSに踊らされている自分の時間が浪費されていることに気づくでしょう。これまで何度か言ってきたが、テレビのリモコンを手に持ち、5~ 10 秒ごとにチャンネルを変えていく。グルメ番組とバラエティ番組のオンパレードで、国民をくすぐって笑わせて黙々と税金を払っていれば良い、という“平和の方程式”が機能していることに気づくでしょう。
この蟻地獄のような状況から脱出するには、まず「視聴率」という「中身は考えない数字だけの指標」の弊害から解放されること。そのためにも公表することを禁止すること。そして池田晶子氏のいうように「考える」こと。
今回は「ことラボSTI」の守備範囲のギリギリのところで意見を書いたが、このままでは日本は本当にダメになる。