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ー 科学と技術で産業を考える ー

ことラボ・レポート

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浅川基男・早大名誉教授の「素形材月間記念講演」③

2024 年 04 月 17 日

 「素形材月間記念式典」(2023 年 11 月2日)で行われた早稲田大学・浅川基男名誉教授による記念講演「日本のものづくりはもう勝てないのか?!」の3回目です。
 ①②では、世界では大きな変化が起きているのに、人口の減少が進む日本では変化に対応できていないこと、そればかりか内向きになった日本では国力の低下を止められないでいる。それに追い打ちをかけるように、研究開発への支援や教育投資も削減され、日本の将来が心配されることを伝えました。
 3回目の今回は、日本の製造業の陥った“罠”について考えます。

コモディティ化とデジタル化へのわな
 日本がものづくりで勝つための3つの方策について。①材料をベースにしたものづくりの再強化、②アナログとデジタルのハイブリッド化」。③「海外の研究者・海外企業の招聘・女性の活躍、について論じる。
 日本のビデオレコーダーは、1990 年には世界の 75 %を占め、太陽電池も世界の 50 %を占めていた。しかし、これらを世界中にコモディティ化、すなわち高付加価値商品を安価な商品として市場価値を低下させてしまった。
 ここで①デジカメ、②ノートPC、③プラズマテレビ、④DVDレコーダ、⑤DVDレコーダの 1998 年1月の価格を 100 として 2005 年7月頃までの価格の推移を折れ線グラフが紹介されている。デジカメは、調査開始直後は価格が上昇し約2年後(2000 年頃)には価格は5割増しまで上昇したが、その後は反転して下落に転じ、2005 年7月には2割から3割下落した。デジカメはまだ良いほうで、他の商品は調査開始後約2年間は小幅な上下を繰り返していたものの、その後は値崩れが始まっている。高機能商品の価格が低下すると、コストの大半を占める人件費の安い海外での生産に移り、その結果、海外メーカーに市場を奪われる結果となっていった。
 もう一つ著名な事例が「クォーツ」を巡る“腕時計”の世界の話
 セイコーは 1969 年に世界に先駆けて、水晶(クォーツ)を利用した正確な腕時計を開発した。水晶に電圧印加(回路に別の電源などから電圧などを加える)すると、規則正しく振動し、その振動を時間の決定に利用して正確な時計を作るのだが、もともとの原理を発見した米国のベル研究所は、装置を小型化できなかった。それをセイコーが腕時計に採用したのは、いかにも日本的だった。特許も公開して「大量に、安く」を実現した。これにより日本産クォーツ時計が世界を席巻した。スイスの時計産業は大打撃を受け、米国の時計産業はほぼ壊滅した。そして腕時計はたちまちのうちにどこでも誰でも作れるコモディティ化商品となり、価値も値段も大幅に下落した。
 しかしそのさなかにスイスの機械式時計産業は奇跡のようによみがえった。時計の生産量で見ると、スイスの時計は世界のわずか 2.5 %で年間約 3,000 万個であるが、売上高でみると世界市場の5割以上、10 万円以上の腕時計の約 95 %を占めている。
 これでは「働けど働けど、わが暮らしは楽にならざりき」で、コモディティ化がもたらす「どこでも誰でも大量生産・大量消費」から「量よりもブランドと付加価値の最大化」を目指すべきではないか。
 日本は具体的には質の高い、長持ちする部材・部品・商品を高価格帯であっても世界の人々が欲しがる「ハイ・クオリティー化したものづくり」へ転換するべきだ」
 SONYの創業者のひとり盛田昭夫氏は、すでに 1980 年代に「価格は高くてもよろしい。高いだけ良いものであればそれでよい」と言いはなち「大量に安く」をモットーにしていた当時の日本の産業界に警鐘を鳴らしていた。

※松下幸之助の「水道哲学」について
 この問題は産業のあり方を根本的に考えさせられる。松下幸之助氏の「水道哲学」は「いいものを安くたくさん作るのが生産者の使命だ」という。この言葉だけが独り歩きしては危険なので補足する。「水道哲学」が生まれたときは、日本は貧しく産業力も弱かった。工業製品は高額で、購入できる人は一部の人に限られていた。松下幸之助は産業界が技術力を上げて、「安くたくさん作」り、蛇口をひねれば水が何時でも出てくるように、社会が工業製品で溢れ、誰でもが買い求められるようにするのが製造業の使命だ」といった。日本の産業史の中では、「水道哲学」が骨の髄まで浸み込んでいて、コストダウンに励むことが習い性になっている。
 製造業の努力は、新たなものを生み出すことだけでは終わらない。とりあえず完成品が生まれたら、次のステップでは①製品の改善点を探し、より良いものにしていく。②製造コストを少しでも削減して利幅を増やし市場価格の低減に努める。③完成したもののバリエーションを増やして市場ニーズの細分化に対応していく、などきりがない。
 さて産業革命誕生の地、欧州では工業製品とそれを作り出した機械設備は、「考案した者が偉い」。だから欲しい者は、いわれる価格で買いなさい、という論法になる。「欲しけりゃ売ってやる」という態度だ。これは 1990 年代までの欧州の工作機械メーカーの基本的スタンスだった。そこに“親切な”日本メーカーがやってきたから市場は混乱した。それまでは使うほうもそれなりの実力が必要で、購入した機械設備を使いこなすために、自分で工夫し装備や工夫が付加されて、購入したメーカーにも見せなかった。ユーザーは機械や技術についての研究を惜しまない。
 しかし日本では様子が違う。「お客様とともに」という言葉があるように、提供した機械設備を使いお客様が“稼げるように”お手伝いする。こうした努力は局面的に見れば、メーカーとユーザーの関係は良好だろう。しかし、「良いものを安く」という「日本式ものづくり」は低価格のジレンマに陥ってしまった。21 世紀の現代は「水道哲学」の呪縛から踏み出さなければいけない。
 工作機械の動きをコンピュータで制御するNC(数値制御)は、米国で生まれたが、それを積極的に利用したのは日本の工作機械メーカーだった。目の前にある金属を思うとおりに削ることに神経を費やしていた加工現場に、電卓や計算尺を持ち込んでNC装置にプログラムを入力しないといけなくなった。当然、ユーザーの戸惑いは大きかったが、工作機械メーカーの中には「NC装置を使いこなせるまでわが社の社員が現場でご指導します」という営業スタイルを打ち出す企業も出てきた。当時の欧米の機械産業では考えられない営業戦略だった。
 この問題はグローバルに見ると、日本の産業界の基本的ビジネスモデルである「良いものを、安く、早く、大量に」を組み立て直す必要がでてきた、ということだ。しかし、前回までに見てきたように、日本は「科学」と「技術」に投資することを怠り、産業を取り巻く環境の劣化は激しい。
《閑話休題》

材料とものづくりはなぜ強いのか
 日本のものづくりはGDPの 20 %前後ではあるが、民間研究開発費の 90 %以上、輸出の 95 %前後を占めている。日本の①最終製品(川下)、②部品(川中)、③部材(川上)が世界に占める割合を見ると、最終製品(約 18.7 兆円)の 27 %を日本企業が占めているが、部品(21.3 兆円)では 51 %になり、部材(3.6 兆円)では 65 %を日本企業が占める。最終製品の工場が海外に移転する例はあるが、部品や部材の工場のほとんどは国内に残っている。素材・部材・部品産業は、研究・開発要素が高く、中間財(部材と部品)を供給する「川上産業」は簡単には技術移転しにくく、日本企業の占有率は増している。ここに目を向けると、これからの産業戦略が見えてきそうだ。
 日本は民主主義国で人口も多く、GDPもまだ高い経済大国だ。その要が“ものづくり”だ。GDPに換算して 100 兆円強および約 1,000 万人が従事しているのはG7の中で日本とドイツぐらいだ。その日本が得意とする分野の世界シェアをピックアップすると…。
(1)最終製品(川下)
ガソリン自動車(62,7 兆円)は 25 %
医療用機器(11 兆円)は 10 %
テレビ家電(7兆円)は 20 %
ハイブリッド乗用車(6.4 兆円)は 85 %
コンピュータ情報端末(5.3 兆円)は 28 %
通信機器(4.3 兆円)は3%
カメラ機器(1.7 兆円)は 91 %
工作機械(1.6 兆円)は 25 %
ゲーム機(1.6 兆円)は 89 %
(2)部品(川中)
ベアリング(1.5 兆円)は 25 %
セラミックコンデンサー(0.4 兆円)は 68 %
光学レンズ(0.12 兆円)は 64 %
(3)部材(川上)
炭素鋼(8兆円)は9%
高張力鋼(2.9 兆円)は 80 %
シリコンウエハー(0.58 兆円)は 70 %
半導体用フィルム(0.5 兆円)は 90 ~ 100 %
偏光板(0.43 兆円)は 60 %

ここで川下、川中、川上の各占有率を数字だけ列記して比較すると…。
川下:25 %、10 %、20 %、85 %(ハイブリッド車)、28 %、3%、91 %(カメラ機器)、25 %、89 %(ゲーム機)
川中:25 %、68 %(セラミックコンデンサー)、64 %(光学レンズ)
川上:9%、80 %(高張力鋼)、70 %(シリコンウエハー)、90 ~ 100 %(半導体用フィルム)、60 %(偏光板)

 浅川名誉教授が着目するのは、川下である最終製品で高いシェアを有するのはハイブリッド車、カメラ機器、ゲーム機なのに比べて、川中のセラミックコンデンサー、光学レンズ、川上の高張力鋼板、シリコンウエハー、半導体用フィルム、偏光板などは世界市場の 60 %以上を占めている点だ。
 産業は具体的な製品(商品)となって人々の目に触れるので、店頭に並ぶのが中国製だったり韓国製だったりして、日本のものづくりは衰退した、と勘違いする報道が増えているが、部品・部材分野では、日本企業が健闘している。最終製品でないのが歯痒いが、不安を感じる必要はない。
 次回は、日本製部品・部材の強さの具体例を紹介する。