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ー 科学と技術で産業を考える ー

ことラボ・レポート

ことラボ・レポート

浅川基男・早大名誉教授の「素形材月間記念講演」②

2023 年 12 月 27 日

 「素形材月間記念式典」(2023 年 11 月2日)で行われた早稲田大学・浅川基男名誉教授による記念講演「日本のものづくりはもう勝てないのか?!」の2回目です。現在の製造業が抱える問題点を網羅的に取り上げています。前回分の要旨を含めていますので、ご確認ください。

目次(一部編集あり)

1.限りなく続く国力の衰退
イーロン・マスクの車作りの衝撃:クルマのリアーボディ部品を 70 部品から2部品へ。発想の転換。
国力の衰退:歴史から学ぶ。ヴヱネツィアの衰退。マレーシアのマハティール元首相の箴言。
人口減少と日本:日本の人口はジェットコースターで急降下する直前。移民を入れても遅すぎる。
上昇しない日本の賃金と物価:日本だけ伸びない時間当たりの賃金。
「億ション」の話:“高嶺の花”だった億ションも、諸外国では射程距離に入ってきた。
内向きになった日本の企業:リーマン後の日本企業の内部留保は 250 兆円から 520 兆円へ。

2.ものづくりの衰退
コピー商品から世界一のものづくり大国へ:先進諸国の製品を分解コピーで成長してきたが、バブル経済の崩壊で高度成長はピークアウトした。欧米の豊かさに辿り着く前にブレーキがかかった。そして世界は「工業化社会」から「情報化社会」に転換し、日本は乗り遅れた。
勢いを失う日本の研究開発動向:主要国の研究開発費の政府負担割合は、日本では 15 %程度と、OECD諸国中最下位。
国の教育行政の後退:国立大学法人化に伴い文科省の「運営費交付金」は、毎年約1%ずつ削減。予算削減のしわ寄せは研究費縮小に。そして「競争的資金の科学研究費補助金」で財務省が予算決定権を掌握。評価額 10 億ドル以上のベンチャー企業(ユニコーン)は米中とも 100 社以上だが日本では僅か数社。また、大学の評価を注目研究重点主義で決める弊害は極めて大きい。
ものづくり伝統と今の中国:ものづくり技術の優等生は日本とドイツと思われているが中国も見逃せない。2~3千年前から豊かな工芸品があり、現代のロストワックス技術に繋がる。それらの技術が清朝末期と共産主義時代に眠りに入ってしまったがやがて目覚めるだろう。
技能五輪の入賞者も、日本人は激減している。日本の大学の図書館はいつも閑散としているが、中国・精華大学の図書館は朝の7時には座れない。
(以上前回)
3.教育力の衰退
大学進学率および理工系への進学の少なさ
専門教育の劣化と教養教育の欠如
敬遠される博士号取得
人材に投資しない日本の企業
個人の存在
(以上今回分)
4.材料をベースにものづくりの強化
コモディティ化とデジタル化へのわな
材料とものづくりはなぜ強いのか
材料を主体とした日本の誇るべきものづくり事例
5.アナログとデジタルのハイブリッド化
DXを先駆けたインクスおよびコマツ
DX(Digital Transformation)とものづくりとその事例
ハイブリッド化からシステム化へ
6.ものづくり産業の活性化策
自らチャレンジしなくなった日本
外国人の招聘
外国企業の誘致
女性の活用
7. ものづくりエンジニアへのメッセージ
敗戦から高度成長へ
研究や仕事への“思い”
若者へのアドヴァイス
学業および仕事
思いおよび信念
教育をどうする
リーダーとは
外から日本を見る
日本および日本人の良さ

では今回のお話しです。
3.教育力の衰退
大学進学率および理工系への進学の少なさ
 OECD先進国の大学進学率は平均で 60 %であるのに日本のそれは 50 %前後と最低部類に入る。さらに先進国の大学進学者のなかで理工系は4割、韓国・ドイツでは6割を超えているが、日本では2割強だ。日本の8割に当たる文系進学者の多くが、理数系の訓練を受けていない。
 欧州や中国では理数系出身者が国の政治・経済を動かしている。日本でもそうしていれば、毎年「先端技術」の言葉だけを追い求め予算化する愚も少なくなるだろう。

《記者の補足》
これは実名を出すと弊害があるのでオブラートに包みますが実話です。
ある企業が、昔からある機種の構造にNC制御をつけて画期的な新製品を開発しました。審査員のひとりが「これはNC以来の革命だ」と叫んだほどです。各賞を受賞しましたが、用途開発にコストがかかるだろうと国に申請するように先生に進められました。提出書類を整えて申請しましたが不採用でした。それを聞いた先生が中身を見ると問題ない。しかしタイトルをみると仰々しく目的を書き連ね、正確を期したものでした。アドヴァイスした先生は「中身は変えずにタイトルだけ“超○○”にしなさい」といいます。翌年、申請は認められ高額の補助金がおりました。結果は良かったのですが違和感が残る話です。
《閑話休題》

 文理に関係なく①複素関数、②行列、③微積分、④統計学、⑤Excel活用による実計算法などは社会に出てから定量的な思考に不可欠であり小中高の時から数理的基礎を叩き込む必要がある。そうすることでマスコミや政府から発信される科学技術情報を、自分で分析し、資料を集め直し、自分で考えることができるようになる。

《記者の補足》
 日本人には科学的思考法が身についていない、と米国生活を経験した方に指摘された。日本はデジタルよりアナログ、論理的より情緒的な思考法を好む。3.11 で原発が大事故を起こす前には東電の広報宣伝費は莫大な金額だったらしい。それでメディア対策をしていた。大新聞の記者だった者から聞いた話だが、福島原発の招待取材があったとき、実は取材は早々に終わり宿舎に移り御馳走の数々と高価な手土産をもらう。批判的なことを書けるわけがない、と。ヒトがコントロールできない原子力を産業に利用しようとするときに考えなければならない科学と技術を冷静に取材しなければならないハズの大手新聞の記者でもこの体たらくだ。
《閑話休題》

専門教育の劣化と教養教育の欠如
 米国、中国、韓国と日本の高校生の意識調査によれば日本の高校生は、①偉くなりたくない、②起業したくない、③のんびり過ごしたい、が他の3か国に比べて“”圧倒的”に多い。「生きる意欲の低下」が顕在化している。
 日本では職業選択の予備知識が教えられていないために、話題性があり資格に訴えるロボット、自動車、航空宇宙、最近では情報系などの学科や科目に人気が集中しやすい。バイオエンジニアリングも少し前に人気があった。
 ※ここで興味深い情報が紹介されている。
各国の「生物」教科書の「頁数×判型(面積)」を算出した結果だ。対象国は米国= 55 ㎡、スロベニア= 39.6 ㎡、英国= 30 ㎡、中国= 16.7 ㎡、韓国= 13.5 ㎡に対して日本= 10.0 ㎡に過ぎない。
米国の5分の1以下だ!
 さらに大学初年の「機械材料」の教科書の比較で、米国は“多色刷り”“B5判”“約千頁”で価格1万円超え、に対して浅川名誉教授の著わした「基礎機械材料」は、“モノクロ”“A5判”“ 200 頁”で 3000 円以内が通常のテキストだという。

 さらにいまの大学では、背景にある科学的・数学的思考の訓練に役立つ基礎科目までに関心が及んでいない。職業教育の基礎となる学問をそれぞれの分野に応じて「必修科目」として教育すべきだ。例えば機械系学科では、基礎となる物理・数学および材料力学・熱力学・流体力学を必修として、各産業分野との関連を明確にして体験させることが肝要だ。
 1975 年の材料力学の問題を 2000 年の現役学生に出題したら、75 年の学生の平均点の半分以下だった。卒業条件が 1960 年代は 180 単位だったものが現在は 124 単位に減少。すると7割近くの学生が最低の 124 単位しか取得しない。「最小の努力でどうやって卒業証書を獲得するか」のいじましいほどに精力を使う。
 文科省が 1977 年からはじめた「ゆとり教育」の結果、家庭で学習する時間が1時間以内、米国は2時間、韓国は3時間というデータがある。学生の自由意志の尊重という美名のもと、必修科目を削減し学生の選択に委ねた科目が増える傾向にある。しかし現状は「楽勝科目の選択」となっている。
 さらに専門理工系科目以外に教養の研鑽を積むことが世界の潮流だが、かつては教養として習得していた法学、政治、経済、哲学、文学、芸術などは夢のまた夢になっている。1990 年代以降は教養科目も選択科目の一部に成り下がっている。
 ここで日本を代表するピアニストのエピソードが紹介されている。楽団と共演したあとの打ち上げで音楽談義に花が咲くのだが、その先に“ニーチェ的な意味でフィヒテ的な自我で”と演奏を分析されるとお手上げで、それでも音楽がテーマなうちはまだよくて、話題が文学や美術、演劇など文化全般に移っていく。そこに加われず酒だけ舐めてぼんやりとしていて非常な劣等感に襲われる、と述懐している。「日本人から国籍と会社を除いたら何も残らない」と揶揄される状態から早く脱しなければならない。

《記者の補足》
 これには全面的に賛成だ。欧州企業のトップと話していると“文化的な背景”を感じることが多い。大学では“Latin Philosophy”を勉強していた、と言われた。ラテン哲学?と工作機械にはどんな関係があるのか、と聞くと、Philosophyとは「哲学」ではなくて「ものの考え方」という意味で、いまでいう大学の教養課程のようなもの。工作機械産業が社会と向き合っている、と知った。
 UCIMU(イタリアの工業会)に招待されたとき、ミラノで開催されている展示会を取材するのだが、それだけで帰国するつもりを知った当時のイタリア貿易振興会(ICE)のボニート副所長は「君は人類の文化遺産の6割(当時)があるイタリアに招待されたのに機械展を見るだけで帰るのか」と怒り出した。日本の企業で海外取材の機会に“観光旅行”をする文化は日本にはないと思ったがICEの日本人に言わせると、展示会だけで帰るなどイタリアに対する侮辱に近いとアドヴァイスされた。ローマのICE本部のジョルダーノ機械部長を表敬訪問することを理由にシスティナ礼拝堂の「最期の審判」(ミケランジェロ)を見学してきたが、このときの経験は産業と社会の関係を考える契機となった。
 翌年 1995 年にミラノで開催された《ミラノEMO》の開催中、主催者が海外からの出展者とメディアを「スカラ座」に招待した。著名なオペラ歌手のコンサートだった。わたしはJIMTOFでも同じように海外から来日した人を歌舞伎座に招待することを提案したが、工業会の長老から「日本は世界中から嫌われているから、そんな点数稼ぎのようなことをすると逆効果だ」と意見された。
 私は、日本の「産業」は「社会」と向き合っていない、と主張してる。江戸幕府を全否定することで成り立った明治政府は、欧米から近代産業をワンセット輸入して殖産興業に走った。主なユーザーは帝国軍。これが日本の産業界の歴史的な環境条件を規定している。
 敗戦により最大の顧客・軍隊が無くなると、賠償指定から残った機械をつかって鍋釜から始まり生活必需品を作り始めた。軍需工場から廃棄された機械類は分解されて、油を入れたブリキ缶に入れてさび落としのために煮沸され、その匂いが東銀座界隈に漂っていたらしい。当時、その界隈は“ベアリング通り”と呼ばれていて、日本の産業の復興に一役買っていた。そして玩具などの軽工業、家電、ミシンなどの精密工業、カメラなどの光学機器、テレビ・ラジオの電子製品、自動車、半導体へ産業力を強化していった。同時に日本は“奇跡の復興”を遂げていった。このとき、作ることに専念したメーカーの製品を総合商社が世界中に売りまくるパターンで世界を席巻した。この時も日本の産業界は日本社会と向き合うことは少なく、水俣病や四日市喘息、イタイイタイ病など「“公害”という名の“私害”」が社会に爪痕を残した。産業が、もう少し社会と向き合う考えを持っていれば未然に防げたと思うのは私だけではないと思う。
《閑話休題》

敬遠される博士号取得
 「科学技術指標2017」で紹介されている“人口 100 万人当たりの博士号取得者数”を見る。
比較されている国は日本、米国、ドイツ、フランス、英国、韓国、中国の7か国。比較は 2008 年から 2015年または 17 年と各国まちまちだ。取得者数は、その期間でフランスはほぼ同じで、日本は 135 から 120 人に減少していたが残りの5か国は増加している。つまり日本人だけの“博士”が減少している。それは日本の企業では、博士は「視野が狭い」「柔軟性がない」などのイメージが先行し、博士号取得者の採用に消極的だから企業に採用されているのは全取得者の1割強に過ぎない。
 米国では博士号を持つ研究者の4割は企業に所属する。また海外では博士号の取得していない研究者・技術者は一人前に扱ってもらえない。
米国の博士課程(PhDプログラム)を紹介する。
基本学費、生活費、医療保険(年間 400 万円前後)のサポートは当然ある。経済的な理由で学業を断念する心配はない。というよりも、これが無ければ大学側は学生をとることはできない。米国では優秀な学生を確保するための熾烈な競争が大学間で繰り広げられている。
これに対して日本は驚くほど無関心で冷たい。
運よく日本学術振興会(学振)の博士課程特別研究員に選ばれたとして、アルバイトは禁止、支給される年間 240 万円の中から、学費・家賃・電気代・通信費・本やコンピュータなどの経費を出さなければならない。しかも博士課程の前半にある修士課程にはこのようなサポートはない。日本は博士課程の人材育成を拒否しているとしか思えない。
 米国では、博士課程に限らず学生に高度な学力をつけさせようとする対応が丁寧だ。寄付の要請が卒業した日米の大学から来るが、どちらかと言えば米国の大学に寄付する。米国の大学に寄付が集まるのはこんなところに理由がある。
浅川名誉教授の経験:ある国際会議で、ある若者が必至でパソコンを叩き、会議が終わると同時に参加者に議事録を配布した。彼は博士課程の学生で、エンジニアリング教育の一環で出席しており大学の実践的教育を垣間見た。
人材に投資しない日本の企業:日本は経済規模に比較して驚くほど人材投資をしていない。ドイツ、フランス、イタリア、英国、米国と日本を比較すると、1995 年~ 2000 年(前半)と 2001 年~ 2010 年(後半)のデータを比べると、欧米5か国はGDPの 0.77 %から 1.59 %なのに対して日本では 0.42 %(前半)、後半は同じく 1.84 %から 1.41 %なのに対して日本は 0.24 %だった。
 大学修士課程に入学する 30 歳以上の学生は韓国・ニュージーランドは 50 %、米国・英国は 40 %、スウェーデンは 30 %であるのに対して日本は 10 %。大学のリカレント教育、企業のリスキリングと公的支援が大事だが、日本の為政者にその意識があるのか。
個人の存在
戦前の日本では旧制高等学校と旧制帝国大学は定員がほぼ同数で、希望の大学に入学できた。陸軍士官学校と海軍兵学校と合わせて、基本的に全寮制で過ごしエリート層の揺籃の場となっていた。英国のチャーチル首相は「Noblesse oblige:自分の利益と関係なく、特別の任務を受諾し実践する階級、がない国は亡びる」と指摘した。日本のかつての藩校で育成された武士道に通じるものだ。幕末に日本を訪問した外国人が武士と接した際に、日本への崇高の念を深くした要因もここにあった。

《記者の補足》
平凡社ライブラリーに『逝きし世の面影』(渡辺京二著)、『日本奥地紀行』(イザベラ・バード著)という本は、幕末の日本社会を知る好著です。物質的には貧しくとも純朴で自然とともに生きていた江戸時代の社会に持ち込まれた近代産業は、間違っているのではないか、と戸惑いを覚える西洋人が登場します。それが失われ、崇高な理念を失ったいまの日本には、カネと利権に狂奔する人が権力の中枢に群がっていることが、最近のニュースで明るみに出てきました。
《閑話休題》

次回は「幕末に理工系人材の育成、富国強兵に力を注いだ佐賀藩主・鍋島直正」を論じます。