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ー 科学と技術で産業を考える ー

ことラボ・レポート

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浅川基男・早大名誉教授の「素形材月間記念講演」

2023 年 12 月 13 日

 「素形材月間記念式典」(2023 年 11 月2日)で行われた早稲田大学・浅川基男名誉教授による「日本のものづくりはもう勝てないのか?!」と題した記念講演は、タイトルは刺激的だが、いま製造業界を取り巻いているモヤモヤをはっきりさせてくれる内容の濃いものだった。現在の製造業が抱える問題点を網羅的に取り上げているので、何回かに分けてご紹介する。

目次(一部編集あり)

1.限りなく続く国力の衰退
 イーロン・マスクの車作りの衝撃
 国力の衰退
 人口減少と日本
 上昇しない日本の賃金と物価
 「億ション」の話
 内向きになった日本の企業
2.ものづくりの衰退
 コピー商品から世界一のものづくり大国へ
 勢いを失う日本の研究開発動向
 国の教育行政の後退
 ものづくり伝統と今の中国
(以下次回)
3.教育力の衰退
 大学進学率および理工系への進学の少なさ
 専門教育の劣化と教養教育の欠如
 敬遠される博士号取得
 人材に投資しない日本の企業
 個人の存在
4.材料をベースにものづくりの強化
 コモディティ化とデジタル化へのわな
 材料とものづくりはなぜ強いのか
 材料を主体とした日本の誇るべきものづくり事例
5.アナログとデジタルのハイブリッド化
 DXを先駆けたインクスおよびコマツ
 DX(Digital Transformation)とものづくりとその事例
 ハイブリッド化からシステム化へ
6.ものづくり産業の活性化策
 自らチャレンジしなくなった日本
 外国人の招聘
 外国企業の誘致
 女性の活用
7.ものづくりエンジニアへのメッセージ
 敗戦から高度成長へ
 研究や仕事への“思い”
 若者へのアドヴァイス
 学業および仕事
 思いおよび信念
 教育をどうする
 リーダーとは
 外から日本を見る
 日本および日本人の良さ
【要旨】
1.限りなく続く国力の衰退
イーロン・マスクの車作りの衝撃
 「テスラが締め付け力 6,000 トンのイタリア製大型ダイキャスト用ギガプレスをテキサス工場に 10 台導入し、リアーボディ部を 70 部品から2部品へと大幅に減少させた。まるで模型のミニカーの製法と同じで、新鮮な発想法に舌を巻いてしまう。高度な素形材・部品作りが発達した日本では考えつかないような発想だ」「不具合があったら走りながら対応する」

国力の衰退
 中世のヴェネツィアは、かつては地中海を支配していた強大国だった。16 世紀以降に階級が固定して、貴族階級が国を支配した。その貴族が結婚しなくなり、17 世紀には6割が独身になった。理由は国家発展の基礎であった貿易をリスクが高いと敬遠し、本土に土地を買って資産運用で生活をするようになったこと。家に人が増えれば分け前が減るから子供を産まなくなる。結局、国力の重要な要素である人口が減って衰退してしまった。そして技術革新の遅れである。優れた造船技術を開発して、海洋大国になったが、15 世紀にポルトガルやオランダの新しい帆船技術の開発が進む中、ヴェネツィアは造船の予算を増やさなかった」(高坂正堯著「文明が衰亡するとき」新潮選書)
 マレーシアのマハティール前首相は 20 年前に「一国の人口が減少し高齢化することは、その国が衰退化することを意味する。高齢者は家でテレビを見ていれば快適とする場合が多く、高級レストランに行くことも少なければ、クルマを買い替えたり、スーツやゴルフクラブを買ったりすることもない。高齢者は必要なものはすでにそろっているから消費が極端に減るのだ。最終的にイノベーション力と特許件数を決めるのは高齢者ではなく若者だ。日本は今、世界で何の変哲もない平凡な国へと向かっている。もし私が日本の若者なら、他の国への移民を考える」(マハティール・ビン・モハマド著「立ち上がれ日本人」新潮新書)

人口減少と日本
 日本の人口は奈良・鎌倉・室町時代は 700 ~ 1,000 万人程度で推移してきた。江戸時代前半に 3,000 万人(約3倍増)と明治維新後(約4倍増)の2度にわたり人口爆発が起き、2008 年に1億 2,800 万人でピークを示した。このまま移民政策などを採用しなければ、2100 年には 5,000 万人に舞い戻るのはほぼ確実。2050 年までに1億人の人口を保つとすると、計算上は累計で 1,714 万人(年間平均 34 万人)、生産年齢人口(15 歳~ 64 歳)を維持するシナリオでは累計 3,233 万人(年間平均 65 万人)もの移民が必要になる。どうみても実現可能な施策ではない。人口が半減することは単純に言えば農業・金融も含め、国内のものづくりの需要は半分以下で良いことになる。

上昇しない日本の賃金と物価
 1950 年の日本のGDPは、世界の僅か3%に過ぎなかったが、1988 年に 16 %(中国は2%)のシェアを占めるまでになった。しかしその 20 年後の 2018 年には、わずか6%(中国は 16 %)にシュリンクしている。
 日本の劣化を端的に示すのが世界各国との時間当たりの賃金だ。1995 年を約 100 とすると…。
日本 100 → 89.7 (以下の数字を見ると日本だけが伸びていない)
《30 %以上》
スウェーデン= 138.4 /オーストラリア= 131.8
《20 %以上》
フランス= 126.4 /イギリス(製造業)= 125.3 /デンマーク= 123.4
《 10 %以上》
ドイツ= 116.3 /アメリカ= 115.3

「億ション」の話
 1億円を超えるマンションは「億ション」と呼ばれ富裕層が購入するイメージがある。諸外国でも同じように 100 万ドルのマンションは高値の花という時代もあった。しかし先進国においては1億円のマンションは、一定以上の仕事に就いている中産階級が、普通に購入する物件になった。
 新型コロナウイルスの感染拡大に対応した大規模な財政支出を国債発行で賄い 2022 年末には 1000 兆円を超えた。対GDP比の推移を見るとドイツが 0.7 ~、イタリアが 1.5 に収まっているが、日本は世界基準から大きく逸脱した 2.5(すなわち借金はGDPの2倍以上!)を超えてワースト1位だ。

内向きになった日本の企業
 日本企業の内部留保は 250 兆円で推移していたが、2008 年のリーマンショック後、守りに入った企業は社員の賃上げや設備投資などを抑え、現在では 520 兆円にはねあがっている。新規導入の設備がないということは、技術者たちの仕事は「改良・改善により古くなった工場設備の維持」となる。
エンジニアは若い時代には、現場で汗水流して直接技術開発に係わるべきである。大企業の技術開発が、下請け(関係会社)に丸投げされる場合もある。すなわち「技術開発の外注化」である。若い技術者の仕事が、関係会社の技術の管理、書類業務に変化し始めている。エンジニアとして一生を台無しにしてしまう。

《記者補足》
 大手メーカーに勤めていた友人も、エンジニアが“チェンジニア”すなわちすでに出来上がっているものを、自社に合わせて改良を加えるだけの仕事に忙殺されている、と嘆いていた。
(閑話休題)

 日本経済団体の会長と副会長 18 名の、合計 19 名の経歴は「超同質集団」の特徴である①全員男性で女性はゼロ、②全員日本人で外国人はゼロ、③一番若い副会長が 62 歳、④起業家もプロ経営者もいない、⑤転職経験がない、など旧態依然だ。
 最近、優秀な若者が大企業を見限りつつある。彼らは自分なりの「思い」があり、主張があり、改革の意欲がある人物たちである。多くの大企業が優秀な若者の思いを受け入れる余裕や度量がないために「もうやっていられない」となる。
ケース1:A君は極めて優秀で、入社後米国に3年間留学した。帰国後、満を持して様々な提案をしたところ、「君だけ特別扱いにはできない」と取り合ってもらえず、外資系コンサルタント会社に転職した。
ケース2:B君は入社3年目で社長賞をもらうほどの優秀な若手エンジニアだったが、あるとき海外への事業展開を提案して自分がそこで活躍したいと願い出たところ「他の同期との足並みが乱れる」と反対され、会社を辞しいまは海外で活躍している。
ケース3:C君も入社3年目。いろいろな技術に携わったのち、旧態依然の組織改革を提案したところ「入社3年目でそのような提案はまだ早い」と言われ、これでは何を提案してもダメだと悟りベンチャーに転身した。そのベンチャーの社長(米国有力工科大学出身で日本語も堪能な米国人)から、入社に際して5時間にわたり個人面談された。「人材こそが企業のいのち」と熟知している。
 このような「何を言っても動かない会社」を優秀な若者が敬遠するようになっている。今の日本は、穏やかで普通になりたい一般の若者と大過なくことを運びたい大企業の双方にとって「思い」を主張することが「厄介なこと」「面倒なこと」として避けられ、その風潮が蔓延して指示待ち人間を増やす結果にもなっている。

2.ものづくりの衰退

コピー商品から世界一のものづくり大国へ
 「ものづくり」の定義:「設計の流れによって、顧客満足・企業利益・雇用確保を実現するための企業・産業・現場活動」。業態は大企業・中小零細企業のすべてを含む。例えば自動車・電気電子・機械工業・鉄鋼を含む素材産業など(有形のものづくりを対象)。ものづくりは「国の支援、研究開発意欲、技術者教育と一心同体である。
(浅川名誉教授の若いころの話):1960 年代の初頭、最も高額のアルバイトは小さな会社の製図作業。米国から1台の医療機器を購入して分解、各部品の寸法を測定して図面化してコピー製品を作り、オリジナル機より低額で販売した。品質は二の次で「安かろう、悪かろう」商品だった。
 1960 年代後半の高度経済成長期に卒業して鉄鋼会社に勤務、新しい工場に最新の設備を導入し、世界一の鉄鋼業を目指して研究開発して研究開発した新技術を実用化するために研究室と工場を何度も往復した。残業は 100 時間を超え給料も毎年2~3割上昇、誰もが自家用車や住宅を借金して購入した。住宅金融公庫の利息が 5.5 %の時代だった。いまの中国と同じ状況だった。
 日本経済は、1970 年代のオイルショックや 1980 年代のバブル経済に振り回されたが、1975 年には世界の鉄鋼の 55 %を日本が造り、1980 年に鉄鋼生産で世界一となり、1986 年には自動車製造でも世界一になった。1980 年代末には世界の半導体の半分は日本が生産した。しかし 1990 年頃には高度成長はピークを迎え、欧米の豊かさにたどり着く前に、ブレーキがかかり現在に至っている。この頃から世界は、工業化社会から情報化社会に転換し始めた。
 1976 年創業のアップルは、時価総額でトヨタの8倍になる。日本の低迷の大きな原因が情報化社会への遅れにある。今回の新型コロナの政府や公共機関の対応が、いまだに紙と電話とFAXや人力による事務対応に追われていた現実に多くの国民が唖然とした。

《記者補足》ここで記者が 21 世紀の初頭に都立科学技術大学の原島文雄学長にインタビューしたときの記事から引用する。
 「原 島 日本が米国に逆転された、と言う人がいますが、日本の技術力は下がっていません。同じ人間の技術力が5年 10 年で変わるわけはない。変わったのは価値観です。重化学工業、製造業がかつての農業化したのです。それ自身の価値は変わっていないが、それ以外の価値が増えたために相対的に小さくなった。そこに出てきたのが情報化の問題なのです。
 情報化は私が先ほど言った2つの条件に合っている。まず地球に負荷をかけない。むしろこれにより移動がなくなるから、負荷を減らします。さらに、インターネットなどは人間の知性を活性化する。別のところに新しい価値観が生じたが、日本はそこについて行くのがチョット遅くなっただけです。
 これを米国ではベンチャー企業がやっている。ベンチャーはこれしか出来ません。巨大な製鉄所を作ることなどありえない。ベンチャーはなぜ地球に負荷をかけないか? なぜ、人間の知性を活性化する産業を作るか? それは、ベンチャーは地球を荒らすほどの力がないからです。そしてアイデア勝負ですから、人間の知性と密着しているのです。」
 現時点で“チョット遅くなっただけ”と言えるかは疑問が残りますが、あまり近視眼的な考えにとらわれないことも大事だと思います。
(閑話休題)

勢いを失う日本の研究開発動向
 1981 年から 2018 年までの 37 年間の主要国の民間を含む研究開発費の推移(グラフ)から判ることは、米国が増え続け中国が米国に迫る勢いである一方、日本はほとんど変わらず、現在では両国の1/3程度だ。研究開発費の政府負担割合はOECD主要国が 20 ~ 25 %を占めているが、科学技術立国を標榜している日本は 15 %と最下位だ。
 科学技術の国際競争力を示す指標のひとつ“質の高い論文(TOP 10 %論文)”の数は、2004 年までは米国に次いで2位だったが、2005 年以降に中国に抜かれ、他の主要国が増加傾向を示す中で日本だけが減少して順位を下げている。特許出願数では中国の躍進が顕著で、米国さえ抜きさった。
 国際会議に参加して驚くのは鉄鋼、自動車、電気電子機器の米国の企業幹部や大学教授は、留学直後に米国にとどまった中国、韓国、インド人でほとんどが占められていることだ。彼らが米国のものづくりを下支えする源泉になっている。

国の教育行政の後退
 文部科学省の運営費交付金は、国立大学法人化を契機に 2004 年から毎年約1%ずつ削減され、1.2 兆円から 2020 年度は1兆円と減少の一途をたどる。大学運営の基本である教育経費は削減できず、予算削減のしわ寄せは研究費の縮小に向かっている。
 さらにこの法人化と同時進行で進められたのが「研究予算の選択と集中」との美名で呼ばれた競争的資金の科研費(科学研究費補助金)だった。文科省予算の決定権は財務省にあるが、その財務省には理工系の学術を理解し、ものづくりの本質を把握できる人材がいるのか?
 国立大学協会会長の京大・山極総長と財務省幹部の言い争う声が廊下にまで聞こえてきた、とエピソードがある。

《記者補足》
 ここで『理系白書』という書籍を紹介します。2003 年6月に初版が発刊されているので少し古いのですが、副題に「この国を静かに支える人たち」とあるように、理系出身者の悲哀を分析した数少ない書籍だ。ここでは 2006 年6月 15 日発行の講談社文庫版で紹介する。それによると、文系出身者と理系出身者の生涯賃金の差は最大で一戸建て家一軒分に相当する 5,000 万円になりうることが約 15,000 人の大学卒業生を対象にした調査で分かった、とある(18 頁)。さらに同書には、米国政府の科学技術に対する向き合い方が日本と異なると、いう指摘が興味深い。すなわち…。
 「米国は 1957 年、大統領の科学補佐官のポストを新設した。旧ソ連による世界初の人工衛星「スプートニク1号」の打ち上げ成功に脅威を感じたアイゼンハワー大統領(当時)が設けた。大学の学長クラスが就任する。博士号を持つ約 40 人をスタッフに抱え、ホワイトハウスに部屋を持つ。頻繁に科学技術ニュースや政策を大統領に進言する。
 日本では 2001 年1月、内閣府に総合科学会議を設置した。議員の井村裕夫・元京都大学学長や、ノーベル賞受賞者の野依良治・名古屋大学教授らが、首相に話題を提供する。ただし月1回。内閣府の担当者は「経済活性化の会議は毎週のように開かれる。それに比べ、科学はようやく政治課題になってきた段階」とこぼす。(37 頁)
(閑話休題)

ものづくり伝統と今の中国
 ものづくり技術の世界では日本とドイツが肩を並べているが、中国の存在に注目している。中国は2~3千年前から豊かな工芸品を作っている。兵馬俑博物館にある唐草模様の透かし彫りを基調とした青銅の酒壺は、現代のジェットエンジンのタービンブレードを鋳造するロストワックスに通じる。(中略)
 中国の材料とものづくりの伝統が、清時代末期および閉鎖的な共産主義時代に眠りに入ってしまった。しかし油断はできない(と、知人から見せられた写真には、鉛筆の芯の先端に精密なバイオリンやギターの形状がち密に彫刻されている)。

《記者補足》
 これには全く同感。1960 年代の初頭、実父が国交回復前の中国人民共和国に行ったときの土産に新粉細工の 10 cmにも満たないハイハイする赤ちゃん像があった。その大きさでも可愛い手には5本の指があり指先にはちゃんと爪があった。その精密な細工には驚いたものだ。
*新粉とは、和菓子などに使われる上新粉のことで、これを水で溶き練って蒸して細工をする。
 手元に「中国の科学と文明」(ロバート・テンプル著、牛山輝代訳:河出書房新社)という本がある。本文は 11 章に渡って農業、天文学と地図作成学、工学、日常生活と工業技術、医学と健康、数学、磁気、自然科学、輸送と探検、音と音楽、戦争が取り上げられている。同書には、驚くべき中国の古代の科学技術が紹介されている。西欧社会が産業革命を興す以前は、中国は人類をリードしていた、と思わざるを得ない。
(閑話休題)

 浅川先生の講演は、このあと図書館で勉強する中国の大学生の話が出てくる。技能五輪での日本の成績の凋落ぶりも紹介される。最近、元気の良い新興諸国に煽られっぱなしの日本だが、「たたら製鉄」や「日本刀」など日本独自のものづくりを紹介して、強い遺伝子があることを説いている。次回は「ものづくりを支える教育」について話を進める。