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キャプテンインダストリーズ 渡辺 敏/【連載#4】「アメリカ市場開拓奮闘記」

2021 年 10 月 13 日

株式会社キャプテンインダストリーズ
取締役相談役
渡辺 敏 (わたなべ はやし)

1932 年 10 月1日生 東京都出身
1960 年 日立精機 入社
1966 年 ギブン インターナショナル入社
1974 年 キャプテンインダストリーズ 創業 代表取締役就任
2021 年 同社取締役相談役就任
1974 年の創業以来、工作機械商品や周辺装置部品などにおいて、世界の一流商品を輸入する工作機械のパイオニア商社。
米国、ヨーロッパ等 世界6カ国で名の知れた工作機械商品・部品メーカーと取引きがあり、国内では抜群の信頼関係を持ち、数千社の取引先がある。


《第 4 回》 アメリカ市場での苦難

三井精機

 広大なアメリカ市場における最大の問題点は、いかにして 50 州に散在するエンドユーザーに商品の存在を知らしめるかにある。そのためには、ローカルの代理店を活用するしか方法はない。そこには、日本の階層的な代理店システムとの違いがあった。
 すなわち、メーカーとエンドユーザーを直線的に結ぶ「要の役目」を担うのが代理店である。

 アメリカの工作機械代理店の組織には、二つの協会が存在した。
・NMTDA(National Machine Tool Distributors Association)と、
・NMDA(National Machine Tool Dealers Association)である。
 前者は、アメリカの工機メーカーの製品を扱う代理店の組織であり、後者は主として中古機を扱う代理店の組織である。
 当初、私は NMTDA の代理店にコンタクトし、日立精機製品の販売依頼を重ねたが、返事はネガティブだった。理由は簡単明瞭。実績のない日本の工作機械を、アメリカの一流工作機械を扱っている商社では、毛頭扱う気はなかったのである。そこでやむを得ず、NMDAの商社へのコンタクトを開始した。

 当時、日本とは異なり、アメリカでは中古機市場が確立していた。
 これは自動車も同じで、Blue Book と称する中古車を、年代ごと車種ごとに記載した価格表が存在した。中古機にも同様のものが存在し、「1950 年製のシンシナティの No.2フライス盤の価格はいくら」というように、ある程度価格の目安をつかむことができた。
 そして、実機の使用程度・機能の良否により価格は上下した。
 ある代理店で聞いた話だが、名機と言われ、戦争中も機械加工で大活躍したシンシナティのハイドロテルは、その店では売りに出し、買い戻し、7回取り引きが繰り返され、それでも価格が下がることはなかったという。この話はアメリカの中古機市場の性格をよく物語っていると言えるだろう。
 同時に、工作機械に対する彼らの認識の違いがある。
 当時、日本では高価な工作機械は「貴重な財産」と目され、宝物のように大事に使用されていた。しかしアメリカではこれを道具とみなしており、使用目的を達すれば中古機として売りに出され、これを買い取る市場が存在していたのである。
 私がこの話を述べるのは、後述の NMDA の代理店との価格交渉の経緯を理解してもらうためである。今、隆盛を極める日本工作機械の、海外市場開拓期の苦難の時代の、ひょっとしたら信じがたいかもしれない一コマである。

 それはロスで代理店指名の交渉をしていた時のことである。
 代理店との交渉において、当然最後は価格交渉となった。私はある価格を彼らに提示したところ、代理店の社長が「この価格はどのような基準で決めたのか?」と聞いてきた。
 私は「アメリカの同型機の販売価格の 25%下回った価格である」と答えた。
 彼は私に「君は間違っている」と告げたのである。
 今でも思い出すが、その英語は、”You are wrong.”であった。
 Wrong という英語は、「悪い、不正である、間違っている」等を意味する、強い語感の英語である。私はこの言葉を驚くと同時に彼に「どこが wrong か?」と詰問した。

 彼の説明は以下のとおりである。
 「君の機械は、アメリカ市場にとって新顔である。すなわちまだ歴史がない。アメリカ市場での工作機械の評価は、中古機としての評価が重要である。君の機械はまだアメリカでの実績がないから、中古機の評価のしようがない。従って、比較すべきは同型機のアメリカ中古市場での評価である」ということだった。

 私はこれに対して、「では、そのアメリカ中古機の価格と同じでよいのですね?」と言ったところ、彼は言下に「それは違う。その価格から 25%ダウンするべきである」と嘯いたのである。私はまさに開いた口がふさがらなかった。その値段から、さらに代理店に手数料を支払わなくてはならないのである。そして同時に、アメリカ市場開拓の前途の厳しさを思い知らされたのであった。現代では考えられないと思うが、これが 60 年前の現実である。
 私は本社にこの顛末を報告し、「アメリカ市場では、我々が期待する価格の半額以下でないと売れない」と伝えた。当然、このことは役員会でも大問題となり、進むべきか、退くべきかの議論となったが、結論として踏みとどまり、アメリカ市場開拓を続行するという結論となった。同時に、私のアメリカ駐在も続行となった。


株式会社キャプテンインダストリーズ 会社情報
【沿革】
キャプテンインダストリーズの沿革
1974 年 資本金 50 万円、従業員4名で設立 摺動面ベアリング「ターカイトB」の輸入開始
1979 年 厚木営業所・名古屋営業所を開設
1980 年 油・空圧機器用等シールの輸入、販売開始
1982 年 工作機械などの電線、油空圧管等の保護管「キャップフレックス」の製造販売開始
1985 年 キャプテンインダストリーズ台湾支店を設立
1992 年 江戸川区に本社を移転
2002 年 「ローロンスライド」組立開始
2004 年 台湾支店を現地法人 克普典科技股份有限公司に改組
2006 年 本社社屋完成
2012年 堺工場開設 FPMS Fischer Preciseメンテナンスサービスを開始

World-wide Products with Global Support の標語のもと、海外の優れた商品を発掘し日本に輸入するばかりでなく、日本市場に向けた仕上げ・調整さらにメンテナンスも行う輸入商社。また東アジア市場への進出を検討する欧米メーカーの重要なパートナー役を果たしている。

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