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ー 科学と技術で産業を考える ー

ことラボ・コンテンツ

岩波徹の視点

スポーツ界の新潮流と日本社会への期待

2025 年 07 月 02 日

長嶋茂雄の功罪

 日本人なら誰でも知っているだろう長嶋茂雄さんが亡くなった。当然のことだが日本テレビは長い時間の特番を組んだようだが私は見なかった。しかし私は彼と遭遇(?)したことがある。東京駅の八重洲中央口でのことだ。改札口に向かって中央コンコースを歩くと、改札口前は少しゆったりとしたスペースがある。そのとき出口に向かって歩いていると急に周囲の人が見えなくなった。なぜか音も聞こえない。すると正面から一人の体格の良い紳士がこちらに向かってゆっくり歩いてくる。背後の上空から光が差し込んできているようにも見える。それが長嶋さんだった。あれがオーラというものだろう。彼の周りには誰もいない。すれ違う時は手を伸ばせば届きそうだった。みると周囲の人は遠くからこちらを見ている。多分、ご本人は「自分はスターだ」と思っているのだろう。時間にして 30 秒前後のことだった。
 しかし私は選手としての長嶋茂雄は嫌いだ。あんなスタンドプレーばかりの選手は、私が監督だったら使わない。私がこのように思うようになったのは彼の同僚、ショートを守っていた広岡達郎氏のインタビュー記事を読んでからだ。4歳(?)歳上の彼が問題にしていたのもスタンドプレーだ。しかし“商売”ということを考えると長嶋は正しい。普及し始めたテレビの威力を考えると読売新聞と日本テレビは大成功だった。スポーツを“する”のではなく“見る”ものにしつらえてしまったのだ(ちなみに都市伝説だが、立教大学を卒業するとき巨人は長嶋の同級生である杉浦忠投手を取ると言われていた。ここら辺から嫌な話が続いていく)。
 さて野球がテレビ中継となりスタンドプレーで派手なことばかりやる長嶋がスターになって日本のスポーツ界はどのようになったか。子供には取りあえずバットとグローブを買い与えるのが親の務めになった。すると甲子園を目指すのが少年の正義となる、高校の野球部は天下をとったような態度で学校の運動部予算の増額を要求してくる。こうなると“純真な球児の夢”など吹き飛んで、甲子園で優勝した北海道のチームのエースが関西出身だったりする。わが町の高校が優勝すると、その高校を支援していた運動具店は地域の学校の運動具を一括して納める利権を手に入れる。話はどんどんきな臭くなる。つまりすっかり“大人の商売”が正義にすり替わっていった。
 しかし世界は、小さな国の地域の利権まみれのレベルで済むほど甘くない。オリンピック(五輪)というイベントでどのように評価されるか、と気がついたときには、みな取りあえず野球をやっているという国になっていた。そもそもマスコミは野球しか報道しないくせに、五輪が迫ってくると「金メダルは何個」と騒ぐ。メディアは騒ぎ立てるのが仕事だから仕方がないが、実際は無責任だということに気がついて欲しい。1964 年の東京五輪のマラソンをテレビ中継で見ていた。優勝したアベベ(エチオピア)に続いて国立競技場に入ってきたのは円谷幸吉選手で、そのすぐ後に英国のヒートリー選手が続いていた。追いかけていたヒートリーが円谷を追い抜いたのを映像で見た人は多いと思う。ただ中継していたテレビのアナウンサが「メインスタジアムに日の丸が上がります!」と叫んだことが強烈だった。そんな目でスポーツを見てこなかったし、いまも純粋にスポーツ観戦を楽しんでいる。しかし、そのアナウンサの絶叫が「日本国民の目の前で抜かれた」ことも、後年の彼の自死の一因だと思うと釈然としない。“日の丸”とか“日本国民”とかは、純粋なスポーツの精神に持ち込んではいけない、と思っている。円谷幸吉さんの自死の理由はいろいろ言われているが「幸吉はもう走れません。お父様、お母様のそばにいたかったです」という彼の遺書は今でも涙なしでは読めない。
 日本の子供たちは“野球”がスタンダードで、他のスポーツは“マイナー”で、円谷選手のように自衛隊という閉ざされた環境の中に置かれてメダルだけが期待される環境に置かれていたのがあの当時の日本だった。しかし、世界でスポーツ競技といえば欧州が基準。運動神経の良い少年を集めて野球をやっていても世界標準にはなれない。だからこそ大谷翔平さんはすごいと思う。
そもそも私は野球をスポーツと思っていない。あれはエンタテイメント。スポーツというのは「プレー!」から「ゲームセット!」と言われる瞬間まで全力を挙げて戦うものだ。陸上のフィールド競技のように順番を待つ競技もあるが、野球は両チーム選手 18 人のうち片方のチームはバッター(さらにランナー)を除くと、半分以上がベンチでおしゃべりしている。野球の試合で参加選手が一試合でどれだけ“運動”したのかモニターしたデータはないのだろうか?
しかし国民の健康とは関係なく、テレビ中継と新聞社の拡販戦略で、野球というスポーツは楽をして今日の地位を築いた。それを体現したのが長嶋茂雄という存在だった。野球ファンは仕事が終わり帰宅してテレビ中継を見ながらビールを飲み、自分もスポーツに親しんでいる、と信じているおめでたい人たちを育てていった。私も新聞販売店のキャンペーンで何回か、プロ野球の試合を見たことがある。
 いま高校野球の地方選はローカルテレビ局で1回戦から中継されている。選手も親御さんも嬉しいだろうが、視聴者に見てもらう前の努力が足りないよ、と言いたくなる。微笑ましいとは思うが、日本のメディアの感覚はおかしいとも思っている。米国映画『がんばれベアーズ』は映画だから許されるが、公共電波を使ってバットも振れない選手を映すなら、野球とは違って陽の当たらないスポーツに取り組んでいる少年・少女たちを応援して欲しい。
 リオ五輪(2016 年)のとき、カヌー競技で日本の選手(羽根田卓也:29 歳)が銅メダルを獲得した。五輪のカヌー競技で日本人いやアジア人が取った初のメダルだった。彼は高校時代に欧州の大会に出て、日本にいては強くなれないと気がつき、父を説得して欧州(スロバキア)に留学した。日本の社会も豊かになり新たな時代の到来だ!と喜んでいたら2年前の陸上のダイヤモンドリーグ(ハンガリー)で北口榛香選手がやり投げで金メダルを取った。翌年のパリ五輪でも金メダルだった。彼女も単身チェコに留学して栄光を掴んだ。メディアの応援がなくとも成し遂げた功績は本当に立派だ。ようするに「野球」は金儲けと隣り合わせのイベントでスポーツではない、という思いを強くした。
 子供の頃の膝のケガで駆けっこが遅かった私は足の速いことへの憧れがある。だから「駅伝」がテレビで放映されていると、とりあえずつけている。2023 年の1月、京都で開催されていた「全国女子駅伝」もテレビをつけていた。すると始まって間もなく第2中継所が近づくと中学生が走る3区が始まる。岡山県チームから登場する選手が凄いからとテレビの解説者が興奮している。私も何が起こるのだろうか、と見ていると、タスキを受けて走り出したドルーリー朱瑛理選手を見て驚いた。駅伝中継の常として、テレビは先頭の選手を映すが 30 何番でタスキを受けた彼女を、バイク中継車が「ドルーリー選手(中学3年生)がまた一人抜いた」と叫んでいる。素晴らしいスピードで先行する選手を次々と抜き去っていく。映像を見てみるとバランスの良い走り方で蹴り上げた足の靴底が地面と平行になるくらいまで上を向いていた。テレビの解説者が「中学生にして既に完成している走りです。彼女の学校の陸上部は選手が3人だけで、練習メニューはネットを見て自分で考えている。昨年は貧血で苦しんだが自分で栄養学を学んで解決した」と褒めちぎっていた。結局、ドルーリー選手は3kmしかない3区で 17 人抜きを果たした。「すたこらサッサ」という言葉があるが、あの時はまさにそのようだった。それ以降陸上競技をネットで見るようになった。女子の競技が多いのは良からぬ動機があるのかもしれない。しかしテレビなどの大手メディアが扱わないのでネットで見ることが増えた。カメラワークの稚拙さインタビュアの質問レベルの低さに不満はあるが、スポーツの王道である陸上競技を見ているといろいろと新しい世界が発見できる。
 陸上競技と言うのは一周 400 mのグラウンドがあってトラックを走る選手とフィールドで飛んだり投げたりする選手がいて、運営に多くのスタッフが必要だ。球技で金メダルを取るのとは別次元、基礎的なパワーで競う競技で、五輪のメイン会場のセンターポールに日の丸を掲げるためには、陸上競技で頑張って欲しい。
 映像を見るとやはり日本人は小さい。かつて日本ハンドボール協会の安藤純光審判部長と話したことがある。「身長2m、体重 100 kgの人間は日本にも両国あたりにいるけど、彼らは 100 mを 10 秒台で走ったり垂直飛びで1m飛んだりできない。欧米にはゴロゴロいる。日本人にはハンドボールでも彼らにはソフトボール。バスケットは最後に上に飛ぶしバレーはネットで分かれている。ハンドボールはゴールに向かったエネルギーがそのまま激突する競技だ。体格・体位の向上が必要だ」という。それでも球技は“騙し合い”の要素がある。陸上競技は基本的な体力の争いだから、この部分で負けないようにしないといけない、という思いから陸上競技を応援している。しかし 2017 年に桐生祥秀選手が 100 mで 10 秒の壁を突破するまでは、短距離走を見るのが辛かったし恥ずかしかった。いま安心して陸上競技を語ることができるのは彼のおかげだ。しかしSNSには女子陸上は多いが、男子選手があまり登場しない。取材する方針もあるのだろうが、増やして欲しい。
 ここまで見てくると単純に“応援”とは次元の異なる境地になってきた。多くのスポーツが“世界と戦う”ことを口にするので、それを目指すことが崇高な目的なように思い込んできたが、新たな楽しみが出てきた。
 進路を決めかねて高校卒業後に“賢人生活(?)”を送っていた時、母校のハンドボール部が潰れそうだ、と情報が入ってきた。夏休みにグランドに行くと女子が5人、所在無げにボールを投げていた。7人制なのに5人かよ、と事情を聴くと部員は8人いるが練習に出てこない、という。乗りかかった舟だった。
 もともと卓球部にいたが、高校入学時に使い始めた眼鏡が私には合わなくて、頭痛や近視の進行で苦しんだ。その結果、2年生の1学期に卓球部を辞めた。弱かった卓球部は、強かったハンドボール部に体育館から追い出され剣道部と柔道部が使っていた『武道館』に追いやられた。上級生からは「なんで卓球部が武道館にいるんだよ」とネチネチ言われたが、それでも頑張っていた。しかし武道館の照明は暗く、床下に入っているスプリングも体質に合わなかった。膝の悪かった私は、当時、中国卓球的“前陣速攻”で、反射神経で勝負をしていた。その結果、体育の授業でハンドボールをやるとゴールキーパになり、飛んでくるシュートを足を使って器用に止める。球技大会で準決勝まで進んだことがある。卓球部を辞めた、という情報が流れると、2年上のOB(当時は1浪で翌年、東京教育大学、現・つくば大学に進学)の高橋先輩が教室までやってきて、2年生のゴールキーパがいないからお前が入れ、と言いに来た。つまり秋の大会だけチームに入れ、ということだ。だからハンドボール部といっても3カ月くらいの経験だった。そんな私が潰れかけている後輩になにができるのだろうか。
 当時東京都は、高校の格差をなくすために、という方針で『学校群制度』を導入した。1年生の中には、強かった3年生にあこがれて中学校の強豪中学校から入学したものも何人もいたが、希望しても別の高校に振られた仲間もいた。しかし、中学生時代にそれなりの成績を残してきた1年生と、身体的に貧弱で経験もない2年生ではチームはまとまらない。当時のキャプテンは1年生からの親友だった。ピンポン玉に比べればハンドボールなら視力は悪化しないだろう、とハンドボール部に入部した。それだけの経験で、潰れかけてクラブ活動の再建に乗り出した。
 練習が始まると自分も現役時代にやっていた準備運動をやってルーチン通りの練習が続く。新参者で先入観の少ない私は「これは何のため?」と考えるのが習慣になった。都立高校のクラブ活動は、平日3時半から5時までで、着替えや後片付けも終わらせて5時には校門から出ていかなければならない。すると貴重な時間のなかで、目的も判らないメニューをこなしていては戦う力は強化できない。そこで発想の転換を行った。練習の目的は「試合に勝つため」。ハンドボールの試合は相互のゴール前で攻め合うのが基本。少ないメンバーで試合のための練習では、コートをスッパリと立て2つに分けた。右側を守るチームは攻めるときも敵の右側を攻める。左側も同じだ。それを基本として練習メニューを作った。また実戦では守備から攻撃、攻撃から守備への転換が繰り返される。この練習にも力を入れた。公立高校のクラブ活動といっても目的はゲームに勝利することだ。精神論や根性論ではなく、目標が決まったらそこに向かって合理的に時間を使っていった。
 ながながと書いたが、スポーツを基本から考えてひとつの世界を築いた経験がその後の人生に大いに役に立ったことを伝えたい。
 陸上競技を応援していたのは、いつかオリンピックで活躍して欲しいと願っていたからだが、ネットの映像を見ていると、マスコミが騒ぐ「金メダル候補」には到達していないが、個性豊かな選手が切磋琢磨している姿を見ているうちに、そのことが大事でオリンピックは二の次になってきた。個性豊かな選手たちは「大河ドラマ」を見ているようだ。日本人男性よりも大柄な体格の海外の女性選手を見ると、駆けっこよりも球技のほうが勝負になりそうだ。それでもやり投げの北口榛華選手が出てきて、新たな期待も膨らんできたが。
 さてトラック競技では男子中距離に落合晃選手に期待しているが、大学を中心とした陸上競技の世界は「アスリートチャンネル」などが積極的に報道している。ドルーリー選手から始まって“視野の狭い陸上競技ファン”から“長い目でアスリートを応援する”という心境になった。そして「ことラボSTI」で提案している「自分の頭で考える」という姿勢が見えてきたので、この記事を書いている。
たまたま先日の『プロジェクトX』で、日本ラグビーが初めてベスト8に進出した前回の日本大会を取り上げていた。ジェイミー・ジョセフHCが、自分の頭で考えるラグビーを訓練したことを知り、日本の球技の多くが形を決めてその通りに動くのが練習だったことを思い出した。

陸上競技は“大河ドラマ”

 女子の陸上競技では有森裕子選手や高橋尚子選手、野口みずき選手、最近では不破聖衣来選手など、主に長距離・マラソン選手が有名だ。確かにいまの短距離界では世界と戦える選手は育っていない。しかし大学生を中心に多くの競技者が頑張っている。ドルーリー選手に触発されてSNSを見始めてから、個性豊かな選手たちを知った。初めは立命館のハードル競技で「400 mハードルの女王」と呼ばれた立命館の山本亜美選手に驚いた。確かに強いのだが優勝インタビューが終わると嬉しくてダンスを踊る。体育会系の暗いイメージが刷り込まれていた私は「何だ、この選手は」と思ったが、とにかく強い。今年、立命館を卒業して富士通に進み競技を続けている。彼女の同期で同じハードルの選手・工藤芽衣選手は昨年の全日本インカレのマイルリレーで優勝すると「私の陸上人生は終わりです」と潔く競技生活から退いた。4年生の前半は大怪我をして不本意な競技生活だったろうが、同期の山本選手の底抜けの明るさの陰で陸上競技部をしっかり支えていたと感じている。そして昨年、400 mHの高校生記録を持っている瀧野未来選手が立命館にやってきた。山本選手と同じように最後の 80 mの追い込みが素晴らしくて「400 mHは立命館」というイメージができた。
 瀧野選手は、ホームストレッチに入りラストスパートをかけると首を振り出すが多くの人と異なりボブルヘッド人形のように顎を左右に振っているように見える。それが可愛いのだが走るにはマイナスのように見える。さらにネットで「瀧野未来」と入れて出てくる彼女の写真は、先日二十歳になった彼女は怒るかもしれないが「中学生です」と言われても信じてしまうほどあどけない。これから世界と戦う中でどのように変わっていくのか楽しみだ。また彼女の1学年上の児島柚月選手は 100、200、400 とリレーまで大活躍。今の立命館の大黒柱で真面目な人柄が滲み出ている。
 4人の選手がグランドを4周する“マイルリレー”は立命館が強いと思っていたら園田学園大学(昨年までは“女子大学”)がいた。山本亜美選手と同じ高校の出身で良きライバル安達茉鈴選手は、走る姿が逞しい。立命館との勝負は必見。ここのところのマイルリレーは両校が優勝を奪い合っている。
 そのうち日本体育大学(日体大)のフロレス・アリエ選手に目が行った。腕の力が強そうで、ペルーやイタリアなども絡む日本人のクォータの選手だが、5月の静岡大会で、17 年間破れなかった 400 mの日本記録(51 秒 75)を上回る 51 秒 71 を記録した。“日本国籍ではないから”日本新記録ではないが、学生記録を塗り替えて、学生記録が日本記録より上、という逆転現象が起きている。男子でサニブラウン・アブデル・ハキーム選手は父親がガーナ出身、ケンブリッジ飛鳥選手は父親がジャマイカ出身など日本のスポーツ界はハーフやクォータの選手で溢れている。フロレス選手も日本国籍取得を申請していて6月 18 日に日本国籍を取得した。それがNHKニュースで報道されたほどだ。社会のグローバル化はスポーツ界が先行して進んでいる。
 しかしこうしてSNSで陸上競技を見ていて皆さんに伝えたい大学が出てきた。神戸市にある甲南大学だ。上記のほかにも福岡大学、青山学院大学、筑波大学などにも優れた選手がたくさんいるので見て欲しい。しかし甲南大学は「女子陸上部」で、コーチはアジア大会の男子 400 mリレーで金メダルを取ったメンバーの一人、伊藤浩司氏だ。“根性”や“精神論”を振り回す昭和の体育会系がまだまだ横行する体育教育の中で、個々の選手に合わせてプログラムを組んで、各自が納得の上で練習に取り組む同大学陸上部は根性論の嫌いな私には共感できることが多い。メイクをバッチリきめている岡根和奏選手、細身ながらシャープな走力を発揮する奥野由萌選手、大きなけがから回復して東京五輪の 400 mリレーに選抜された青山華依選手は明るく華のある選手で、脱・体育会系のスポーツウーマンだ。しかし甲南大学で是非とも紹介したいのは藏重みう選手。姿勢が良く陸上競技の選手と言うよりは日本舞踊の先生のようだ。雰囲気は先日お亡くなりになった女優の藤村志保さんのようだ。スポーツとかけ離れているのが不思議だ。スタート時にスターティングブロックを前にコールを受けるが、他の選手が手足を振ったり叩いたりして忙しく動くが彼女は静かに立っている。紹介されたときだけ1歩前に進み右手を上げてにっこり笑顔になる。いま3年生だが、1年生のときの全日本インカレの 100 mで優勝している。そのときは岡根和奏選手が2位、奥野由萌選手が3位と表彰台を独占した。長い歴史の中で独占は初めてのことだという。「アスリートチャンネル」というメディアが積極的に取材しているが、質問に答える甲南大の選手たちは、他大学の選手に比べてしっかりと内容のある回答をする。インタビュアのほうが進歩していないと思う。伊藤コーチの新しい指導法が功を奏しているのだろう。それを慕って入学者が増えている、とも聞く。
 警察官が被害者宅から窃盗をしたり、検察官が冤罪を捏造したり、小学校の先生がネットを組んで児童ポルノ情報を集めたり、上に立つ者が“権力”を背景に、自分が思うように従わせてきた日本社会をこうした世代の人たちが変えていってくれそうだ。
 今週末(7月3日~5日)には第 109 回日本陸上競技選手権が開催される。9月の世界陸上の選考会も兼ねている。どのメディアが取り上げるか判らないが応援しましょう。