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ー 科学と技術で産業を考える ー

ことラボ・コンテンツ

岩波徹の視点

工作機械業界の1本立ち

2025 年 05 月 21 日

 今年前半の工作機械業界の話題を集めかつ不安感を煽ったニデックによる牧野フライス製作所に対する敵対的TOBは、5月2日にTOBが取り消されたことで、一旦終息した。しかし今回の“事件”が提起した問題点は何も解決していない。問題点とは、工作機械各社の企業価値が低くて、外部から買収圧力がかけられても防衛力が弱いということだ。こんな状態を見過ごしていては、国の安全保障上にも問題が残る。問題を以下の点から考えてみる。

工作機械業界で働く人
 ある総合電機メーカーで4つのユニットを持つFA部門を一気に取材しようと主力工場を訪れたとき、各部門を順次会議室に呼んでリレー取材をした。入れ替え時間にアテンドしていた広報部門の2人、部長と若い部員とよもやま話をしていた。その場で若い人に「この仕事は面白い?」と聞いてしまった。彼は素直に「希望したのはこの部門ではなかった」と答えた。すると上司が「お前本気で言っているのか?」と声を荒げた。彼には悪いことをしてしまった。
 別の工作機械メーカーの宣伝担当の若者との会話で「大学時代は何をしていたのか」が話題になった。すると機械工学ではあってもガチガチの工作機械ではなかった。仲間はみな光学機器や電子機器に進んでいる。「工作機械は給料が安くて来たくなかった」と白状した。
 2つの例だけだが、他にも「給料が安い」とこぼす担当者に会うことは珍しくなかった。その理由を考えた。
かつて“1年王様3年乞食”という呪文のような言葉があった。その頃、自動車産業では4年のサイクルでモデルチェンジが行われていた。1年目は発表された新モデルが話題になるがまだ製品としてのクルマそのものにも生産ラインにもバグがあり手直しが必要で、新車種が軌道に乗って稼ぐようになるには、2年目3年目が必要だった。4年目に入ると市場にも飽きが出て次のモデルにとりかかる。新しいラインを検討し設備投資に入る。このサイクルのために“1年王様”となる。これで貧乏くじを引いたのが“大阪JIMTOF”だった。JIMTOFは以前、東京と大阪で交互開催されており、4年に1回の大阪開催時が景気の底で「大阪JIMTOFはいつも不景気」と言われていた。
 工作機械は産業の基本となるマザーマシン=母なる機械と呼ばれている。しかし景気が良いのは4年に1回で、慢性的に業績は“曇り空”だった。だが大学では「工作機械の重要性」を叩き込まれる。すると“給料は安いが産業のために重要な仕事をしている”と刷り込まれたのだろう。しかし現在の機械工学は電子技術の成果が重要になっている。某工作機械メーカーでは嘘か真か、機械本体よりセンサ類の価格のほうが高い、などと言っていた。大学の工学教育は不断の改革が続いているが「機械工学」と「電気工学」に分けてきた伝統が、重たい鎧のようにのしかかっている。例えば“四力学”という言葉がある。機械力学、材料力学、熱力学、流体力学のことを言うが「四力学の必要性は絶対である」と言われると、AIが台頭している現代でもそれで良いのかと疑問が起きる。「東京国際工科専門職大学」のような新しい取り組みも始まっているが、その変化の歩みは技術の進歩に比べて速いとは言えない。

工作機械業界の評価
 上述の若い人の話を聞いたころはバブル期で、日刊工業新聞までが「都内に残る町工場は郊外に移転して空いた土地にマンションを建てたほうが、土地の有効利用になる」と一面の“産業春秋”で主張していた時期で、多くの町工場が立地している大田区でも、羽田地区に『工場アパート』を建て蒲田・丸子地区の町工場に対して、こちらに移転するように圧力をかけていた。製造現場はキツイ・キタナイ・キケンの“3K職場”と言われており“逆風”に晒されていた。
 逆風はさらに強くなる。大手製造業で生産設備を作る部門、多くは「工機部門」と呼ばれるが、その部門の会社内の位置付けは、外から見ていると、ジワジワと低くなっていった。トヨタ系には豊田工機という名門企業があったがベアリングメーカーの光洋精工との合併を機会にジェイテクトとなり(2006 年1月)工作機械部門の比重が相対的に低下した。いまではトヨタ系メーカーのパワステやベアリングのサプライヤになっている。マツダの工機部門だったトーヨーエイテックは研削盤などを中心に工作機械を製造していたが 1989 年にマツダから独立して今では伊藤忠商事が持ち株を増やしている。ホンダでは金型と製造設備を担当していたホンダエンジニアリングを 2020 年4月に本体に吸収した。大手製造業での工機部門は、こうした状況から社内では重要視されていないと言える。もっと直接的に言えば「外から買ってくればいいではないか」という、即物的な判断が蔓延してきているのだ。
 三菱重工製の工作機械は質実剛健と称えられていたが、社内の格付けは低いほうだった。戦車やロケットや大型クルーザーを作るほうが地味な工作機械を作るより華がある。その販売担当は三菱商事工作機械(現・三菱商事テクノス)と千代田機械貿易(現・CKB)が有力だが、彼らから内部事情を聴いていた。その代理店会であるとき、工作機械担当の役員が「製品の品質にご批判を頂いているが、このたび工作機械部門の責任者を造船部門からスカウトしてきたからもう大丈夫」と挨拶したという。タンカーと工作機械を一緒くたにしているのだからあの会社には工作機械は作れない、と参加者に教えられた。また埼玉県内に、オヤジさんが三菱重工の熱烈なファンだという部品加工屋さんがいた。定期メンテナンスに来た若い重工の社員が、メンテ作業中に外したマシニングセンタの主軸が落下してその下敷きになって気絶した。怒ったオヤジは当時の主力工場の広島事業所(通称ヒロキ)の所長を呼べと怒鳴りまくったが、結局、商社が握りつぶした。
 全く別の話だが若い頃に聞いた話だ。それは“これで良いのか”と考えさせられたエピソードだ。西日本の工作機械メーカーの営業部長から聞いた話。インドネシアで大型商談があり日本のライバルたちの競争になった。そのとき当然のように値引き合戦が起きた。ライバルは次々に値引きしていく。本社からの指示でこちらも原価割れの価格を提示していた。最後にライバルは「支払いは来年でも良い」と言いだした。さすがにこの段階でその企業は降りたが、発注側は日本企業たちが目の前で繰り広げる異常な値引き合戦を見て「日本企業は欧米から特許を盗用して機械を作っているから底なしの値引きができるのだ。それならオリジナルの欧米製品を購入しよう」と、発注は欧州に流れた。インドネシアの上流階級は若い頃の留学先に欧米を選んでいるので“ホンモノ”を知っているのだ、と説明を受けた。
 こうした話にはキリがないのでこれで終わるが、三菱重工に限らず日本では、最終製品である工業製品に焦点が当てられるが、それを作り出すマザーマシンには関心が薄いのが実情だ。工作機械に比べてはるかに規模の大きな自動車、航空機産業の社史を見ても生産設備の記述はほとんどない。トヨタもホンダも社史に登場するのは製品としてのクルマが中心だ。もっとも設備内容を紹介する、というのは手の内を見せることに等しい。だから紹介しないのが当たり前なのだが、実は少し前まで自社設備の実情は輸入機だ、というメーカーが多かった。いまでは自社製品を生産設備にしている企業が増えているのは少し嬉しいと思っている。
 機械産業の専門図書館『BICライブラリー』は機械産業各社の社史を積極的に集めている。港区芝の機械振興会館の地下1階にあり、近所に行ったときには必ず立ち寄っている。生産設備の記録を見つけたらこのサイトで紹介するが、その機会はあまり期待できない。『製造業立国ニッポン』といっても、肝心の生産設備を対象にしたものではないことに留意するべきだ。つまりモノは作るが、肝心な生産設備は借り物でも良い、というのが「製造業立国ニッポン」の実態なのだ。
 これは洋の東西を問わず製造業では当たり前だろう。戦後、欧米の先進国は日本をはじめとする開発途上国にあっけらかんと生産設備を見せてくれた。技術提携にも応じてくれた。「君たちは自分の力ではできないでしょう。だから私たちの製品を買いなさい、もしくは設備を買いなさい」という気持ちだったと思う。しかし日本は、戦前の古い考え方を改め品質管理を学びTQC活動に取り組み、あっと言う間に欧米に追い付きある部門では追い抜いていった。日本的に言えば“出藍の誉れ”だろうが、出し抜かれた側は穏やかではない。しかし勤労観や人生観までは変えられない。人が働くことや機械産業の位置付けがどのようなものか、については米国、英国、ドイツ、イタリアの人々と話したことがあるが“工作機械産業”を全体として意識しているのは日本くらいだと感じている。経産省の監督下で産業を“団体”として認識しているのは日本とイタリアくらいではないか?
ここでイタリアの名を挙げたのは 1993 年のマーストリヒト条約によりそれまでの準備・模索期間からEUが本格的にスタートしたときに「イタリアはこれから観光ではなく産業で生きていく」と、産業のテコ入れを始め、海外に向けて実践した多くの具体的行動を見てきたからだ。
 米国は国土が広すぎて、AMT(The Association for Manufacturing Technology)という団体はあるが、シカゴのIMTSを主催しているほかに積極的な対外活動はあまり目につかない。英国は工作機械の生みの親だが、新興勢力(?)のドイツに乗り越えられてからは工作機械そのものについては下火になった。だが先端加工技術の研究拠点AMRC(シェフィールド大学とボーイングが主体)は航空機やエネルギー業界をけん引し、レニショーやテーラーホブソンなど測定・計測分野をしっかり押さえているのは流石だ。ドイツは世界の機械産業界で日本の強力なライバルだと思っている。日本から見るとアーヘン工科大やフラウンホッファー研究所などと企業間の産学連携が良好に機能しているように見える。昨年逝去された渡辺敏氏は、工作機械業界人としての人生を米国で始められた方だが、世界の工作機械産業は最終的に日本対ドイツになるだろう。そのコトの是非はさておいて、最終的には白人対日本人という形になるだろう、と生前語っていた。

これからの工作機械業界
 電子工学や素材産業を含めて日本が世界に伍していくには、工作機械産業に有意な若者が必要だ。学校で「君たちは“母なる機械”を作って日本を担っていくのだから誇りを持とう」とおだてられても、給料が安ければ盛り上がらないだろう。このことに気づいて早くから手を打っているのはDMG MORIだけのように見える。
 森雅彦社長はかねてから「人材を得るためには待遇から変えていかなければならない。機械業界で最高の待遇を目指す」と公言していて、それを実践している。さらにMX(マシニング・トランスフォーメーション)概念を打ち出し、工作機械の機能を飛躍的に向上させ同時に価格を機能に見合うゾーンに引き上げて、作る側にも使う側にも、さらに環境にもメリットのある取り組みを提唱している。「お客様に安くお届けします」とうたう企業もあるが、安いことを求めるユーザーに未来はあるのだろうか。いまでも日本では“安いこと”に価値を見出す傾向にあるのは、ケチなことで評判の中部地区にある製造業が強いことに理由がある。
 夕方になると生鮮食料品を扱う店舗では「安いよ、安いよ」と客を引き込むことはテレビのCMなどでよく見かける。例えば鮮魚屋さんが閉店間際に投げ売りをするのは正しいことだろうか? 確かに閉店前に値引きを狙った客が集まることはよく見かける。しかし、値引きを経験した客は、明日もその次も、と“味をしめて”しまう。魚を食べた翌日は魚を買わなくなるだろう。鮮魚屋は価格で損をして明日の客も失う“二重の損”だ。ビジネスとしては“値引き”は麻薬だ。“売れればよし”としていけば工作機械の価値も下がってしまう。
 このような“悪しき習慣”の原因のひとつが自動車業界の巧妙な設備購入方式がある。次期生産ラインの打ち合わせで、自動車メーカーのエンジニアと工作機械メーカーのエンジニア双方が条件を詰めていく。当然、価格も頭に入れてベストなラインを決定する。これで内容が固まると、次に購買部が出てくる。技術的なネゴではなく露骨な値引き交渉だという。聞くところによると購買部のスタッフは工学系ではなく文系出身で、決定した金額をどこまで値引きさせるか、が彼の仕事という。殺し文句は「次回もあるから」だ。このようなことが起きる背景を知るひとつの有名なエピソードがある。出典を明確にしようと蔵書を探したが今回は探し当らなかったので記憶をもとに書く。
 戦時中のことだが陸軍大臣が自動車メーカーにやってきて「もっとトラックを増産しろ」と要請した。「作らなければいけないと判っているが工作機械が足りない」と答えると「そんなものさっさと作ればいいではないか」と大臣は怒った、という話だ。「工作機械」とそれで作る「工業製品」は、同じ作るのでも次元が異なる工業製品だ。語感は似ているがまるで違うのだ。
 「工作機械」という言葉にも問題がある。加工精度や剛性を堅持した“母なる機械=マザーマシン”と主に部品加工を目的とした製造機=プロダクション・マシンを分けて考えるべきだ。牧野フライス製作所を部品メーカーが乗っとることなど主客転倒も甚だしい。
 しかし「母なる機械」の持つ重要性を顧みず、経済活動の一環だからM&Aも制限されない、となると国の安全保障上も問題になる。それを避けるために私たちがやらなければならないことを考えた。
 まず冒頭に若者に誇りを持てる産業に仕立てていくこと。そのためには利益を度外視した異常な値引き合戦などをしないこと。そして適正価格を共同作業で算出し買手の無謀な値引き要請を拒否する根拠を作成する。そのよりどころとなる技術開発を何よりも優先すること。そのための資金になる販売活動に合理的に取り組むこと。
 これらはいまの産業構造のなかでやる気になればできることだが、日本社会を考えると、新たに根本的に取り組まないといけないことがある。
 行政は変更を嫌うが、IT技術が進行しこれまで通りで立ち行かなくなっている時代だ。タテ社会である日本では変革は難しいが、そうは言っていられない。私は国際ロボット技術センター(IROFA、現MSTC・製造科学技術センター)の広報委員だったことがある。事務所が岩本町から虎ノ門に移転する時期で、移転先には大きめの会議室があった。その会議室の活用術を検討した。時はバブル経済の崩壊で、メンバーの某工業会の課長が「脱会する会員も出てきて、自分の子供を大学に進学させることができるのか不安だ」と言う。主要な工業会には経済産業省から専務理事がやってきて、彼らは持っている連絡網でつながりはあるが工業会スタッフはそのような連絡網はほぼない。それなら工業会の中堅スタッフのガス抜きをかねて情報交換会をやろう、と企画した。工作機械工業会を中心に考えていたが、そこは製造科学技術センターだ。産業用車両や自動倉庫、素材系の団体も参加した。特に目的もなく取り留めのない話だったが、大きな団体のベテラン職員同士が意見を譲らず、低いレベルで白熱した。そして3回目を迎えるときに突然、中止と決まった。理由は“上のほうからの指示”で、組合でも作られると困るからだ、と言われた。こんな体質だから改革は難しいだろう。しかし 150 年前に始まった日本の近代産業社会が、自立した一歩を踏み出すには、これまでの“哲学”を脱ぎ捨てないと、次の時代を迎えられないと考える。
 1985 年頃にエチオピアを襲った干ばつで大飢饉が発生したとき、欧州では英国で音楽イベント“African Aid”を成功させた。それを見た米国では 40 名以上のトップクラスのアーティストがロサンゼルスの音楽イベントが終了した夜に映画スタジオに集まった。マイケルジャクソンとライオネルリッチーが作詞・作曲した歌を収録した。朝までかかってコーラス部を終え、その後ソロ担当歌手が吹き込んで、その年のグラミー賞の主要部門を独占した“We are the World”を完成させ、歌手もスタッフもノーギャラだったという。この徹夜のイベントの記録はDVDにもなりネットでも流れているが、小難しい表現を使えば米国音楽界のセレブリティの公共性の高さを世界に示したことになる。
 日本でこのようなことをしたらMSTCの時のように“出過ぎた真似をするな”と叱られるだろう。日本の社会にはどこにでも、目に見えない形で“ボス”がいて日本社会の規範を逸脱しないように規制してくる。社会の安定にはそれで良いのだが、国際政治が変わり、経済構造が変わり、技術が変わり始めている現代では、新しい考え方が必要だ。いまのままだと日本はジリジリと衰退していくのではないか。工作機械産業は、公共性を向上させ、新たな時代の扉を開いて欲しい。かつて世界が日本を“特許ただ乗り国家だ”と批判してきたときに、「生産技術の基本を物理や化学の基本原理のように人類全体の共有財産にしよう」と、1989 年から吉川弘之・東京大学工学部長(当時)を座長としたFAの将来展望を模索する「FAビジョン懇談会」が設立されIMS(Intelligent Manufacturing Systems:知的生産システム)のプロジェクトに繋がったことがある。以下のように考えたらどうか。
 工作機械各社は、不況対策用に内部留保を確保しているが積極的な投資哲学は乏しい。これを未来のために使おう。有為の人材を確保するためにJIMTOFなどの機会にトップセミナーを開催している。このプログラムを拡大して産業界のイメージ向上に取り組む。そのためには、工作機械の単価を上げて日本製工作機械の中でユーザー本位になっていない規格を揃える。例えば、横MCでは加工物をパレットに乗せるが、そのパレットを掴む爪の位置・規格がメーカーによりまちまちだ。するとユーザーは最初のメーカーに拘束される。これはユーザー本意ではない。加工機本体の能力で競い合うなら判るが、パレットを止める爪で競うなどはユーザーから支持されないだろう。ロボットの制御力の向上に伴ってパレットの利用を辞めるユーザーも出てきている。
 そしてより次元の高い仕掛けまで取り組んで欲しい。上述したような公共性を製造業界でも構築して、工作機械業界の将来を担う若者が誇りを持てる産業界つくりに投資して欲しい。最近の工業高校では、工作機械を実際に使って加工する機会が減っている。担当する先生も機械油で手がよごれることを嫌うという。余談だが油汚れは“鉄観音茶”で良く落とせる。
 工作機械は武器・兵器も作れるので、野放図に利用拡大をしないことが肝心だが、社会全体で機械産業への理解を含め、誇りをもって働ける産業に変えていって欲しい。
長くなってしまったので今回はここまで。