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ー 科学と技術で産業を考える ー

ことラボ・コンテンツ

岩波徹の視点

ドラマとドキュメンタリー

2025 年 04 月 30 日

 著名なジャーナリストがお亡くなりになりお悔やみにお邪魔したとき、長年の看病から解放された奥様は思いのほかサバサバされていた。「最近テレビでバラエティ番組を見るようになったら、あれは面白いわね。主人がいたときはニュースとドキュメンタリーばかりだった」と。
 言われて私はハッとした。私もニュースとドキュメンタリーばかりだった。それどころか家内が見ているドラマについケチをつけてしまう。別の仕事をしながらチラリと垣間見たドラマの展開で「そんなことはあり得ない」とか「もっと事実を調べてから使えヨ」などとヤジを飛ばす。イやな男だった。
 さて独り者になって自宅にいると、見るともなくテレビはついている。そんな毎日のある日、親しくしている企業の社長から“ご無沙汰伺い”の電話を頂いた。「最近のテレビはつまらないな。ネットで古い映画ばかり見ているよ。しかしテレビのドラマに出てくる若い女優さんは演技がうまいな。昔の女優さんは“演技しています”モードを振りまいていたけど、いまの人は、自然とそのままの日常から“役”になりきっている。それが凄いと思う」と。
 評論家ではないが演技の話を聞くのは好きだ。高校時代の同期生に“上野良和”君がいた。1年と2年生が同じクラスで、「岩波」「上野」だから、テストのときなど席が前後する関係だった。その彼は、父親が新日鉄の役員で兄は東大に通っている、という環境だが本人は「俳優」になりたい、と親に申し出て勘当されてしまった。しかし俳優という世界の“狂気”は、彼から聞きかじっていた。彼が目指した「俳優座」の試験は「なるほど」とは思うが自分にはできないものだった。審査員の前に立ち「はい、あなたは蝶々です」と言われたら蝶々になりきらなければならい。走っているときに射殺される場面では、床の硬い体育館を全力で駆けているときに銃声がする。もんどりうって斃れるが、硬い床が痛い。怖がると「死体が痛がるか!」と審査員に怒鳴られる、などなど。しかし最近の俳優たちは、彼のような試練ではなくテレビ向けのオーディションから生まれてくるようだ。だからこそ、幅広い人材が集まるようになったのだろう。
 最初に書いたように、テレビを見るのはドキュメンタリーとニュースばかりだった。家内が亡くなりせめてもと、位牌にテレビドラマを見せている。見るともなく見ていると結構面白い。そしてその主力は女優さんたちだ。そこで最初の話に繋がるのだがNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で気丈な娘を演じていた新垣結衣さん。当時の新興勢力だった武士階級の娘の雰囲気が出ていた。ドラマのタイトルは忘れたが笑福亭鶴瓶がろうあ者の父親でその娘役の吉岡里穂さん。家族のハンデをものともしない適度にエネルギッシュなやり取りに感心した。もうひとり。NHKの火曜夜『東京サラダボウル』でレタス頭の女性刑事役の奈緒さん。ホンワカとした彼女は頭髪を緑色に染めることで公権力の担い手らしく見えたから不思議だった。SNSで見つけたコベルコの企業広告に出ている奈緒さんの映像は、彼女の“ホンワカ”をうまく引き出しているので一見の価値あり。みな“演技中”の看板ではなく、その人そのものの雰囲気だ。昔は緒形拳や大竹しのぶなどの“憑依型”の俳優が好きだった。俳優座を目指した上野君もその路線を目指していたと思う。その世界に入りきることが演技者の能力だった。人とは異なる能力を持てるあるいは持っていることが“芸”だった。なぜ変わったのか?
 それは社会が豊かになったから、物価が上がり国際情勢は複雑になり、まさに“内憂外患”状態だが、日本は豊かになった。SNSなどが出てくる前からメディアは多様化していた。俳優は増えてスポーツ選手も増えた。生産活動に直結しない人々を支えていけるだけのゆとりを持っている。
絵を描くことも塑像をつくことも好きだった子供の頃、二科展の審査員でもあった高校の美術の講師から「教えてあげるから芸大を受けないか」と誘われてことがある。画家を目指しながらも夢の叶わなかった父に相談すると「絵では食えない」と言われて断念した。いま思うと、“芸の道”に飛び込む狂気が元々なかった。サマセット・モームの大作『人間の絆』に、主人公フィリップが絵の勉強でパリにいるとき、美術学校の先生に、自分の作品を見てもらう場面がある。教師は「頑張ってもせいぜい“肖像書き屋”になれるくらいだ。いますぐ絵の道を諦めろ」と容赦なくいわれる。フィリップは「夢を持っている若者になんてことを言うのだ」と反感を持つが教師は「若いときに言われたことに感謝しろ。言われなかった私のような人生になるぞ」と言われて教師の真意に気がつく。
20代の後半に上野でピカソの特別展があった。見に行って驚いた。「青の時代」や「バラ色の時代」などそれぞれの時代でまるで異なる画法を生み出し、出口付近の大きな壁に巨大なタペストリーが飾られていた。入り口から出口まで度肝を抜かれ続けた。こんな世界で戦う体力も気力もない。『人間の絆』のフィリップになった気分だった。
 いま製造業が置かれている環境は、21世紀に入って明らかに異なる。“異次元の変化”だ。21世紀に入った時、都立科学技術大学(現・東京都立大学)の原島文雄学長にインタビューした。「情報化時代になり工業は、産業革命時の農業のような立場になった。産業革命になっても農業の価値は変わらなかったが、工業という付加価値の高いものが出てきて、農業の価値は相対的に下がった。最近になってバイオテクノロジーを生み出し、やっと工業化社会の中の農業を見つけ出した。これから情報化社会となり、工業はどのような道を見つけるのか、何しろ新しい道をみつけるまでに何十年もかかるのだから」と、鋭く予言された。人間は科学と技術の力でものを作り過ぎた。その結果、環境というそれまで気がつかなかった大事なものに気がついた。“情報”は考えることが主体だから環境を汚さない。遠くの人に会いに行く必要もないから移動が無くなる。原島先生に言われて四半世紀が経過した。産業界の技術進化の速度は日ごとに高速化している。速さだけではなく幅も増幅している。このような分野に取り組む人がいないことに危機感を感じている。