メールマガジン配信中。ご登録はお問い合わせから

ー 科学と技術で産業を考える ー

ことラボ・コンテンツ

岩波徹の視点

ホンダと日産問題の再考

2025 年 04 月 09 日

ホンダの面白さ

 作っているのは同じクルマであっても、各メーカーは独自の哲学で生産ラインを作り上げている。企業のM&Aが“1+1>2”以上の成果を上げるのは、よほどのラッキーが必要だ。もっとも一方が片方を飲み込むような場合には、飲み込まれたほうの運命は神のみが知ることだろう。
 日産とホンダの統合話は、成功へのシナリオをどのように描いていたのか外からは判らないが、即座にうまくいくはずがない、と言い切った「ことラボSTI」は、決して無責任な考えではない。以前、ホンダから直接聞いた“考え方”や日産関係者と交流して得た情報を披露して、読者の納得をいただこうと思う。
 基本にあるのは「ホンダにはお金がない」ということだ。話してくれたのは今ではホンダ本体に吸収されてしまったが、ホンダグループ内で使う設備や金型の製作を担当していたホンダ・エンジニアリング(EG)のエンジニアだ。
 1990 年頃の技術では、エンジン加工のラインは 200 mくらいの長さが必要だった。「よその会社はお金があるので必要な 200 mの土地を買って工場を建てる。しかしホンダはお金がないので 100 mしか買えない。すると次に考えるのは 100 mのラインで 200 m分の仕事をすることで、そのためには一つの機械に最低でも2つの仕事をさせる必要がある。そこで例えば、シリンダボアの加工に『ボーリング・ホーニング』マシンを開発、シリンダヘッドのバルブシート面とガイド穴加工に『W形チャンファリング・リーママシン』を開発した。さらにひとつのラインで複数のエンジンを加工できるような“混流生産”を考えた。それを実現するために、エンジンブロックへの穴あけ加工には複数(実際に見たのは 42 本)のストレートドリルを組み込んだ『多軸ヘッド』を何種類か開発した。あるものは『シビック』用であるものは『アコード』用だったりする。ベルトにのってやってくるエンジンブロックに向かい合うように多軸ヘッドを装着した『モジュールマシン』があって、エンジンに対応した多軸ヘッドを使って一気に穴あけ加工をする。『モジュールマシン』は小型・中型・大型と作り、混流生産を可能にした。
 金型部門でも独自の哲学を実践した。ボディは金型を使ってシート材を成形するが、金属成形が曲者で、スプリングバックと呼ばれる素材が持つ弾性的な回復力による反発で、目指す形状を得られない。そのためにはその跳ね返りを織り込んだ金型を作らないと、目的の形状は得られない。そのためには通常、数種類の金型を作り、試し打ちをして最終形状を決定する。しかしEGは、数種類の金型を作る、などという回り道をしない。シート材の成分、厚さ、目的の形状などをデータベースにして目的の形状を得るために必要な形状データ情報を蓄積した。これを使って、目的の形状を得るために必要な金型の形状をシミュレーションで得られるようにした。「一発でOK」と言われたが、少し盛られていたかもしれないが、ゴールには最短時間でたどり着けそうだ。
 また盛んに行き来していた時期に『工程撲滅』運動にも遭遇した。創意工夫で、ある工程を“そっくり無くそう”と取り組む。発想の転換が必要なのだが、毎回うまくいくとは限らない。しかしその結果、全廃することはできなくても“負荷が半分”になった、としたら儲けもの、と考える。「ホンダに必要なのは“革命”であって“カイゼン”ではない」と言われた。
 どこかで読んだはずだと探しているがまだ見つからないが創業者の本田宗一郎氏は「重力というのはモノを上から下まで“タダで運んでくれる”これを横向きにできたらエンジンはいらなくなる」と真面目な顔で言っていた、と。この話をある大学の先生に話したら「ウチの大学にそれを研究している先生がいる」といわれて驚いた。しかし「自分が生きているうちには完成しないだろう、だって」。しかし「重力を横向きにできたらエンジンはいらなくなる」という発想は“カイゼン”ではなく“革命”でしょう。あの『スターウォーズ』の主人公ルーク・スカイウォーカーが乗っていた『スピーダ』がそれになると思う。果たしてそのような時代が来るのか?
 1990 年代の前半のホンダは業績が悪く三菱自動車の傘下に入るのではないか、とまで言われていた。先ほど紹介したホンダの独自開発の工作機械は、アイデアを図面に起し試作して最終的に確定するまではEGが仕上げるが、図面が固まったらOKKなどの工作機械メーカーに依頼してグループ内の工場に納入していた。
 このような社風を生んだ社内文化に『社内コンテスト』があるのではないかと思っている。“あった”と言うべきだろうか。いまの『ホンダ社内コンテスト』とは異なり、かつては社外に一切公表されず、社員だけにしか公開されていなかった。一度、広報に申し込んだが“一切不可能”との返事だった。しかし何かの読み物で見たが、社業を離れて自由な発想で何かを創ろう、という趣旨で始まったらしい。そして第1回目の優勝作品が“アタッシュケースを開くと小型の二輪自動車になる”という作品だった。しかし本田宗一郎は激怒した。仕事から離れた自由な発想に至っていない、からだ。すると「車輪が正方形の自転車」だの「水面に大きな球を浮かべ、中に人間一人が入って両足を使って歩くと前に進む」など奇怪なものが登場した。これなら太平洋を横断できるという。しかし酸素が切れたら窒息するのではないか。など現物を見たら吹き出してしまいそうなものに真剣に取り組む社内文化を共有できる企業は、多分、世界中を探しても見つからないだろう。
 しかし全く無駄なことをしていたわけではない。掌に長い棒、例えば“物干し竿”を手のひらに乗せて立て、それが倒れないようにバランスを取りながら歩く遊びをロボットで実現した作品が出た。たしかそれが二足歩行技術に生かされた、と聞いた。

日産

 2007 年に交通事故で亡くなった米国ジャーナリストのデイビッド・ハルバースタムが『THE RECKONING』(報い? 日本題“覇者の奢り”)を発表した。NHKは、この本を基に『自動車』というタイトルでドキュメンタリー番組を制作した。この本は米国フォード社、日本ニッサンのドキュメンタリーだが、気鋭のジャーナリストの筆による産業史、社史だ。この本で印象に残っているのは、ニッサンの労使紛争の深刻さだ。1986 年に失脚するまで日産の労働組合書記長として経営や人事を握る絶対的権力者・独裁者だった塩路一郎の異様な姿が描かれている。ハルバースタムの本自体は日産のほかにフォードも対象としており、日米の自動車メーカーの社史をまとめたものだ。ちなみにこの本に対抗して日本側で書かれたのが前間孝則氏の『マンマシンの昭和伝説』だ。
 ハルバースタムの影響を受けたわけではないが、日産は個々の技術は挑戦的で好きなのだが組織としての一体感を感じない企業体だ。それは傘下のティア1.ティア2を含めた組織が抱えている病巣のようなものだ。あるとティア1の某社から日産は酷い会社だ。せっかく開発して新技術を売り込みに行ったら「ベンツはどうしている」「トヨタはどうしている」と質問され、その技術の評価を自分たちでしようとしない。と怒っていた。その後にティア2の会社に行ってその話をしたら「何を言っている。自分たちだって同じじゃないか」という。グループ内で評価されないなら、せめて特許だけでも申請しておこうと手続きをしておく。特許期間が過ぎると一斉に海外のライバル企業が導入し始める。あわてて上層部が情報を集めると、なんと自分のグループ内のエンジニアの特許だったことが判る。そもそもの考案者は上層部に呼び出され「なぜ報告しなった」と叱られる。すると、この会社には未来はないな、とせめて博士号だけでも取っておこうと大学院に通い、転職の準備に入る。「技術の日産」といわれるが、社内に“博士号”を持つ者が多いからだが、その実態は転職希望者だという。
 工作機械メーカーのトップと自動車メーカーの工機部門のトップが機械の前で激しく議論している。一度、じっくり話を聞こうと週末の夕方、一席を設けた。二人の話は尽きない。そこでユーザーである自動車業界とサプライヤーである工作機械、工作機器、周辺装置メーカーから、自社はこう考えるという本を作った。そのとき執筆してくれた日産のエンジニアは1年後には全員、退社していた。
 カルロス・ゴーンがやってきて、現場にいた老齢のオペレータを次々と排除してしまった。これではクルマが作れない、とゴーンに内緒で現場に復帰させた、とこっそり聞いた。90 年代に叫ばれたデジタルエンジニアリング旋風時に、自動車業界から講師に立ったエンジニアは、日産が一番多かった。それなのに「この人がいないとクルマは作れない」という人が存在したことも驚きだが、このデジタルエンジニアについても深刻な問題がある。上記の本が発刊されたあとに日産側から申し出がありトヨタ側の執筆者の話を聞きたいという。
 厚木市の北部の山の麓に『日産テクニカルセンタ』がある。遠方からも望める意匠性の優れた研究所だ。そこにトヨタのエンジニアを連れて行くと「はじめてトヨタの人をお迎えします」と歓迎された。しかし対談の様子は途中から変わっていった。ゴーンの手前、できていることになっている課題がまだ突破できていない。トヨタはどうしているか、情報交換とは名ばかりで情報提供の要請だった。後半に入ると「得るものはない」とトヨタ側の発言は少なくなり対談は不発に終わった。
 前半に見たホンダと、ここで紹介した日産は、あまりに違い過ぎる。心配なのは両社の首脳陣はどちらも、自社の現場を理解していないのではないか、ということだ。経営手法もデジタル化され、製造業の基本を忘れて数字だけで判断しようとする時代になった。これを危険を孕んでいる事例として記憶にとどめてもらいたい。最後に付け加えるが、日産の悪口を書いたのではない。その証拠に私のクルマは『NOTE e-power』だし、そのクルマを私に勧めたのは、そのトヨタのエンジニアだ。