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ー 科学と技術で産業を考える ー

ことラボ・コンテンツ

岩波徹の視点

ACジャパンって何だ~相互扶助の精神

2025 年 02 月 19 日

 いま日本で騒がれている“フジテレビ問題”で「AC広告機構」がテレビに頻出している。東日本大震災のときに初めて知った組織だ。非常事態で広告など打てる場合ではない、という自粛ムードのときに穴の開いた時間に埋め合わせの広告を流している、と理解している。いわば保険だが、なるほどと感心した。しかしいまフジテレビで頻出しているのは趣旨が違うのではないか。フジテレビには非常事態でも、それは身から出た錆で、東日本大震災を同じ方法を使うのは不謹慎だ。
 学生時代に一番勉強したのが「会社更生法」(現・民事再生法)だった。法律の世界では、社会の中で組織として活動する主体を“法人”と名付けて、社会活動の主体として認定している。「株式会社」などが典型的だが、その企業活動がうまくいかずに破綻しそうなときの処理として「破産」「会社更生」「私的整理」「特別清算」などある。自然体の人間に置き換えると“病気”になったようなものだ。薬で治すのか手術をするのかそれ以外の治療法があるのか。経済的に破綻した企業は、全財産を現金に換えて債権者に返済する「破産」が一番厳しい方法だ。一方の「更生法」は、その企業の社会的な価値を評価して、活動を継続させようと考える。当時、会社更生法は“天下の悪法”と言われてもいた。私が出版社でアルバイトをしていたときに名門・中央公論社が会社更生法による救済を裁判所に申請した。それが引き起こした波紋が、教科書や辞書を出版している学術出版社であるバイト先にも及んだ。銀行との打ち合わせから戻ってきた専務が「中途半端な病人を助けたら、それよりましな病人が殺されてしまう」と立腹していた。金融機関が中堅出版社へ向ける目が厳しくなるからだ。有名な山陽特殊鋼事件が“悪法論”の始まりだった。更生会社を救済するために債権者に「10 年据え置き1割弁済」などというとんでもない条件を飲ます。つまり貸した金は 10 年間も返済されず、10 年目にやっと貸した金の1割しか戻らないという。債権者にはたまったものではない。いまはその要件をより実社会に合わせて「民事再生法」に変わったが、経済活動が盛んになればなるほど経済社会での病理現象は深くなる。
 さて「ACジャパン」は、「民間の力で、少しでも世の中のお役にたつ活動をしたい」と 1971 年に産声を上げた。設立当初は 114 の会員社でスタートしたものが、現在では 1000 社を超える規模にまで成長している。2009 年には社団法人公共広告機構から社団法人ACジャパンへと名称も変更し、2011 年には活動の公益性も認められ、公益社団法人ACジャパンとして、再スタートした。そしてあの東日本大震災だ。とても販促活動としての広告どころではないときの救済策として納得できるものだった。
 ACジャパンでは「公共マナー」「環境問題」「親子のコミュニケーション」といった時代を超えた普遍的なテーマ、「多様性」「ネットモラル」「災害」など時代の世相を反映したテーマ、公共福祉活動に取り組んでいる団体を支援するキャンペーン、阪神淡路大震災、東日本大震災など、大災害が発生した時の臨時キャンペーンを扱うものなど、社会がその時もっとも必要としているメッセージを発信し続けてきた。ACジャパンの活動は、民間の企業・団体が持てる資源を少しずつ出し合い、社会にとって有益なメッセージを広告という形で発信しているCSR(Corporate Social Responsibility)活動だ。
 いまフジテレビで起きていることは上記のような崇高な理念に合致しているだろうか? 私には“身から出た錆”にしか思えない。ACジャパンの設立主旨にも反しているのではないか。いま起きていることは、マスコミとタレントの馴れ合いとそれを批判する視点を持てない我々に、問題が突き付けられているということだ。あの程度の記者会見しかできないマスコミが生きながらえれば「何をやってもACジャパンが助けてくれる」という“世の中を舐め切った”マスコミが続出するだろう。国民のレベルを“民度”という言葉で示すが、経済力に見合うだけの民度を我々は持っているのだろうか。
 1980 年代にエチオピアの干ばつで多くに餓死者が出ているときに、「アフリカンエイド」を提唱して飢餓に瀕したアフリカ救済の声を上げたのは英国のミュージシャンたちだった。それを見た米国も負けてはおられぬと救済に乗り出した。有名な“We are the World”だ。「ノブレス・オブリッジ=高貴なものの義務」という文化が欧米社会にはある。いわばセレブの社会的義務だ。どんな才能でもよいがマスコミと言う装置に乗って地位を築いたのなら、社会に還元しようと考える文化がある。日本はどうだ? 実は大災害時に行動を起こした人はいたようだが、ニュースとして大きく取り上げられてはいない。そうした自発的な行動やイベントが起きることを国の“上層部”が認めないからだと思う。“出過ぎた真似”として、押さえつけている。
 しかし「相互扶助」の仕組みなら日本社会の中にも生きている。民間信仰と結びついた“えびす講”とか“富士講”など、少額を出し合ってお祭りをしたり巡礼に出たりしていた。しかしこれは保険というより「お楽しみのための積立」的なものでACジャパンとは異なる。だが社会には、まじめに働いていても理不尽な理由で経済的に処分されてしまう優良企業がある。高い技術力で大手製造業者を支えている金型メーカーだ。多くが従業員数名規模だが、彼らの金型作りのノウハウは計り知れない。だからだろうか「金型屋のオヤジは外車を乗り回している」と、僻み交じりの都市伝説はバブル経済が崩壊した 20 世紀末にもしばらく残っていた。しかし、理不尽な要求に耐え偲んで事業を展開していても、発注元が倒産してしまえば元も子もなくなる。補助金をばら撒くことが仕事だと勘違いしている官庁側の上級職の皆さんは、技術力のある企業が“とばっちり”で消滅することを防ぐために、補助金の中から“講”よろしく積み立てを検討していただきたい。機会があればこれまでに見聞した“金型屋さんの凄い”を紹介します。
 いま問題となっているタレントは私の町の出身者でミーハーな人たちには“英雄”視さえされていた。問題を起したら稼いだ金を抱えて身を潜めるよりも、震災や洪水、津波や台風で困窮している人々に全財産を投げ出して、裸一貫から出直すのが、私がお勧めする、社会に還元する生き方です。