岩波徹の視点
現場に残る“魔法の粉”
工作機械業界の関係者が集まると話題になるのが、ニデックが牧野フライス製作所に仕掛けている敵対的TOBの話題だ。自由競争が建前の資本主義社会だから、上場企業の株式を買い集めて傘下に収めようとするのは経済活動の一環だ、と建前としては言える。しかし、食品や耐久消費財のように特定の目的や効能を買い手に提供するような商品とは異なり生産財である工作機械に関しては勝手が違ってくると思っている。
かつてA社とB社が合併したら、シナジー効果はどのように発揮されるか関係者に話を伺った。工作機械の場合を考えると、
乱暴な例えだが、NC装置はファナック、PLCは三菱電機、ベアリングはNSK、直動案内はTHK、ベッドは木村鋳造などなど、つまり外部からの調達品だ。それを組み立ててA社風のMCやB社風のMCができる。どこで違ってくるのかを尋ねたときだ。「それは“魔法の粉”があるから。A社にはA社の、B社にはB社のレシピがある。ふたつのレシピはまるで違うのだが結果的にはパフォーマンスには大差はなく、それぞれの持ち味となる」とのことだった。
ある企業で開発部門の実力者がライバル企業に転職したとき、業界ではその企業のノウハウが流出すのではないかと話題にした。しかしその会社の若手がこともなげに言った。「彼が設計しても、それを工作機械に仕上げるには彼だけでは出来ない。各ユニットを組み付けるときに締め付けるボルトの順番とかトルクの管理、大型パーツを切削した後に残る応力の解放の手順とか、現場が修得しているノウハウの数々などが積み重なって機械が完成する。だから、特定の一人がいなくなっても工作機械づくりには影響ありません」と。
するとM&Aは、なぜ行われるのだろうか。ものを作るときには「素材」があり「加工」「組立」があって「製品」になるが、完成までの道のりは直線的ではない。新素材を開発したり新たな加工法に挑戦したり、時には目に見えない横の広がりがある。そうした複数の組織を、どんな期待のもとで統合しようとするのか。
当事者が互いに理解し合って足らざるを知り補完する目的で合併するのはwin・winの関係を築く。これがノーマルなM&Aと思う。次に、片方が経営的に行き詰まり、救済を目的にしたM&A。これもある意味ではwin・winの関係。次に相手に欲しい技術がありそれが欲しい、と思う企業が株の公開買い付けで相手を支配下に置く“乗っ取り型”M&A。これは新たな技術開発の手間を金で解決するwin・winの関係。乗っ取られる企業が破綻していて従業員の意欲が低下していても、結果として企業が生き返るようなM&A。ここら辺から微妙な関係になる。
さて日産とホンダの経営統合の話は、以前に書いたが、自動車業界が迫られている“新潮流”に乗るために協力できるか、が基本的条件だろう。しかしこの場合には組織の底流にある哲学がまるで違うのでwin・winにはならない。統合できない関係だ。ニデックの場合は何を求めているのかよく判らない。牧野は紳士的に対応しているが、ニデックの傘下に入った企業で、喜んでいる人にはあったことがない。“測定のご三家”の一角を占めていた東京測範という会社は、測定機のほかにもいろいろな分野を手掛けていて器用貧乏な企業だったが、そこは愛すべき社風があった。しかし日本電産(現ニデック)傘下に入ると、持っていた得意技は次々と分解され、とうとう昨年のJIMTOFには不参加だったようだ(総合カタログがないので調べようがない)。資本主義の世界では支配力をもった者が思うように振る舞うことは当然だ。しかし人の心は単純には測れない。
しかしニデック側から考えると、工作機械産業に内在する問題が見えてくる。それは、企業価値が、本来の力に比べて安すぎることだ。株価も人件費も安い。狙われる隙だらけだ。かつてある長老から「私がGMのトップだったら日本の工作機械メーカーの何社かをテイクオーバーするのにGMは何をやっているのだ」と言われたが、ニデックはそのGMがやるべきだ、と言われたことを実行しているだけだ。それは工作機械業界が自ら提供できる利益・価値を低く見積もり過ぎていることから始まっている。
工作機械は英国で生まれ、日本は明治維新で輸入したから“生みの苦労“を知らない。高い金を払ってノウハウを買ったからとにかく早く現金化したい。それには価格を安くするべきだ、と安売り体質になっている。いまでもお客様に“お安く提供する”ことが使命だと宣言する企業が多い。しかし近代産業社会になって、科学と技術が実現した“利益”を再認識してみると考え方が変わるだろう。
例えば 100 kmの距離を移動することを考えると、徒歩なら平均速度は4km/hで1日 40 kmと言われるから2日半かかる。産業革命が生み出した技術では1時間以内で可能となる。それを貨幣価値に変えるとどれだけのメリットがあるだろう。そのメリットを計量化して価格に反映させる。運賃が数パーセント上がるとマスコミは騒ぐが、前提としての計量的な思考法を身に着けましょう。いろいろな報道が感情に流されて、比較対象を情緒的に判断する風潮が強い。例えば経済の基本である“価格”について考えてみる。
ざっくり言うと価格の決め方は主に3つの方式がある。①有名な「需要と供給」の法則で決める。②コストを積み上げてそこに利益を載せるやり方。③その製品がもたらすであろう利益から価格を決める。①には宝石や不動産のように好んで購入するものも入る。
では工作機械の価格は、どのように決まるのだろうか。これにはいままで回答は得られていないが、①でも②でも③でもない。ひとつの回答は「値ごろ感」だった。つまり「この機種で、こんな機能が追加されているなら、これくらいの価格でも市場は受け入れるだろう」という判断だ。とても科学的とは言えない、むしろ“どんぶり勘定”だ。この体質を改善していかないと欧米式の数字で迫ってくる工作機械業界の隙をついて、風が吹き込んでくる。外部からうかがい知れない世界を“暗黙知”とされ、80 年代から 90 年代にかけて「見える化」運動で、合理化を進めたが、見える化は一定の成果を上げてからは方向性を見失っている。“魔法の粉”の存在を認め、生成AIなどの最新の成果を使ってベストな方向に踏み出して欲しいと切に願う。