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ー 科学と技術で産業を考える ー

ことラボ・コンテンツ

岩波徹の視点

「まだ」は「もう」、「もう」は「まだ」の世界

2024 年 03 月 06 日

 東証の株価が¥40,000の大台に乗った、と沸き立っている。同慶の限りだが、住んでいる世界が異なると思っている。私たちは「資本主義社会」に生きているが、その中身は「産業資本主義」から「金融資本主義」へと変化して、いまでは「強欲資本主義」に変質している。昨年お亡くなりになった加藤東洋氏(豊田工機:現ジェイテクト元会長)が日本工作機械工業会の会長だったときの新年賀詞交歓会か総会後の懇親会でのこと。挨拶にたった加藤氏は「最近は大学の工学部を卒業しても金融関係に就職する学生がいる」として、工作機械業界も学生に魅力ある産業にならなければ、とはっぱをかけられた。しかし、学生たちは給料だけに惹かれたのではない。金融の世界では統計学と確率論を使った「金融工学」が盛んになって、理系出身者でも仕事が山のように出てきていた。
 米国では家を持てない低所得階層の人々に、各種の債権を組み合わせて、その債権の健全性が見えないように仕組んだ「サブプライムローン」を生み出し、低所得層でも「持ち家」が持てるようになった、と金曜工学者たちは自画自賛していた。浮かれているとこの手の話の正体は見えない。人に貸した 1,000 万円の返済の確率が 50 %だったら、その債権は 500 万円の価値があるのか?
ここまでくると詐欺に近いのではないか? 確率とか統計とか持ち出されると、数字の魔術で「正しい」と思いこまされる。「フィナンシャル・タイムズ」の元東京支局長のジリアン・テッド氏『愚者の黄金 大暴走を生んだ金融技術』(日本経済新聞出版社)は、金融工学を学んだ若者たちが数字の魔術で“無から有”を生み出す錬金術に夢中になっている世界を生き生きと描いている。社会の実態とかけ離れた数学の遊びが、社会のためになると無邪気に信じて、リーマン・ショックに突入して行った。
 リーマン・ショックはこうした金融工学の“火遊び”が引き起こした。「あると思ったら実はなかった」というわけだ。2008 年9月 15 日に米国の投資銀行リ-マン・ブラザースが経営破綻し“リーマン・ショック”と呼ばれていることはご存知の通りだが、その半年以上も前に「大変なことがおきるゾ」と教えてくれた方がいた。彼によると、サブプライムローンの破綻で、2007 年 12 月の米国のクリスマス商戦が全く不調で、玩具や家電品などの一大産地である中国・湖南省や広東省のメーカーが日本メーカーに発注していた設備のキャンセルが相次いでいる、との話だった。「そんな馬鹿な」と日工会が発表する中国からの受注統計を見ても、下がっているような様子はない。それを告げると「それは統計が間違っている」とキッパリと断言した。彼はどうしてそれほどの自信を持っていたのか。答えは簡単だ。彼は工作機械に後付けできる測定器という自社製品の営業で、客先の工場内部まで足を踏み入れていたから。売れ行きの好不調を直接感じ取ることができていた。
 金融工学の天才は、パソコンやAIなどを駆使して、魅力ある金融商品を生み出すのだろうが、それは“詐欺”と言わないが、経済の実態と離れすぎていないか。本来なら産業に役立てようと金融の世界が誕生したのに、産業を置き去りにして金融が暴れだした。株相場の世界に「まだ、はもう。もう、はまだ」の格言がある。まだ上がるのかもう下がるのか。心配しても手が止まるだけだ。やはり額に汗して働かないと。