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ー 科学と技術で産業を考える ー

ことラボ・コンテンツ

岩波徹の視点

災害に備える

2024 年 02 月 07 日

 前回の“ことラボ・レポート”では年始に開催された各団体の「新年会」をレポートした。新型コロナ禍で開催自粛や規模縮小だった昨年までと異なり、久しぶりに以前のような賑やかな盛会を期待していたが元旦に発生した「能登半島地震」で一転した。新春を寿ぐ雰囲気は一掃され例年の「賀詞交歓会」は「年始会」に言い換えられた。開会に先立ち震災犠牲者に黙祷を送り「おめでとうございます」という言葉は控えられ、参加者は立ち居振る舞いに戸惑っていた。中には例年のように銀座に繰り出した猛者もいて、少し安心したが…。
 元旦の夕方、親戚一同が集まり新年会の準備にいそしんでいたまさにその時に起きた震災には、どれほど科学が進歩しても、人類は自然には勝てないことを思い知らされた。当然、どの年始会も明るく楽しい宴会にはならなかった。しかし、このようなときだからこそ(一社)日本工作機器工業会の寺町彰博会長の挨拶には胸を打たれた。
 「われわれ自身が元気でないと被災者に支援もできない。ですから、新年ですからしっかり挨拶をさせていただきます。あけましておめでとうございます。(中略)わが国は災害国です。今回だけでなく、次の大きな災害も予想されています。やはり一人一人が、その時々をしっかりやりきることによって、被災された方々を応援していくことができる。ということが最も大事だと思う。そういった意味で、皆さんをお見舞いするだけでなく、物資面、精神面などいろいろな支援をしていくことがお互いに必要だと思う」とのことだ。
 「わが国は災害国」だという、言われてみれば当たり前の認識を、明確に表現されて改めて考えた。先日のテレビではドライブレコーダに残された発生時の映像が流された。目の前の道路が跳ね上がり、脇の畑が波打っている。道の両側の家屋が崩れ落ちた。粘土細工を弄ぶような大地の映像に“災害”の事実を見せつけられた。東日本大震災後に政府系の勉強会で対策会議のメンバーがゲストスピカーに招かれた。「科学と技術が発達した現代でも“防災”はできないのか」と質問すると「“減災”はできても“防災”はできない」とのことだった。被害は減らせても災害は防げない、ということだ。寺町会長の「我が国は災害国だ」という認識をそのときに持つべきだったと思っている。
 日本は「ものづくり」に長けた国だが作るだけではだめなのではないかと「ことづくり」を提唱している。「災害国」との認識の元、減災のための組織・設備を常設するべきではないか。阪神淡路大震災(1995 年)のときに“活断層”が話題となり、国内の活断層マップがあちこちで紹介されたが、国内いたるところにあったと記憶している。つまりどこが震源になるか予測はできないということだ。
 今は発災してから救済の段取りが発令されるが「災害国」と認識すれば常設の減災体制を築けるではないか。食料品などは備蓄されているが、大型建機などの調達・派遣は遅れがちだ。“土建大国”などと揶揄されている日本には建機レンタル会社が全国に点在している。これらをネットワーク化して非常時に必要な機材を即動員できる体制を築くべきだ。そうした企業がなくても、人口減少が進み各地で進む学校の統廃合で“廃校”となった学校跡地も多い。郵政改革後で元郵便局もあるかもしれない。クルマ社会を推進した結果で道路網は整備されたから「道のえき」も全国に点在している。これらをネットで結び非常時に備える。能登半島のような半島部の海沿いの道や山間地に向かう曲がりくねった道には覆いかぶさるように山塊が迫り土砂崩れは起きやすい。道路は寸断されれば孤立集落が多発する。いま話題の「空飛ぶクルマ」も、来年の万博デビューなどという拙速な開発を避けて、独自の機動力を生かす場としてその技術をしっかり育てて欲しい。海外には「空飛ぶ白バイ」があるらしい。これを導入すれば孤立集落をなくせる。
 わが国には世界9位の 539 億ドルという軍事予算を組んでいる(2022 年)。他国からの侵略に備えることも大事だが、災害列島ニッポンには地震だけにとどまらず、台風、洪水、津波など“自然災害”という、内なる難敵が内在している。国民の敵に備えるのは同じではないか。南海トラフ発の大地震が心配されるいま、こうした体制の構築は急がれる。なにしろわが家は海岸から2km弱で、庭には井戸がある。事態は急を要するのだ。