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ー 科学と技術で産業を考える ー

ことラボ・コンテンツ

岩波徹の視点

2023年を振り返って~展示会事業の隆盛とNEXT STEPへの模索

2023 年 12 月 27 日

 新型コロナが5類に移行してからというもの日本国内はそれまでの遅れを取り戻そうとするかのように一気に活性化している。コロナ前以上とまでとはいかなくても、社会は確実に動きだした。象徴的なのは各種展示会の隆盛ぶりだ。展示会ビジネスの様相も変わった。まず、開催規模が拡大した展示会が多い。さらに企画の範囲を超えた出展者も増えた。会場を歩いても何の展示会だったかな、と判らなくなるほどだ。特に地方自治体やアライアンスを結んだグループ出展が、その中を細分化して出展している。小間の切り売りやまた貸しはできないはずだが、その時代は終わったのか? 少し無秩序になってきたようにも見える。
 1954 年に大阪で始まった「日本国際見本市」が翌年は東京で開催され、以後大阪と東京で交互に開催。そこから自動車、エレクトロニクス、工作機械などが枝分かれしていき高度経済成長を支えていった。1980 年代になるとインテックス大阪、ポートメッセなごや、幕張メッセ、パシフィコ横浜など展示場が完成して「コンベンションの時代」がきた。1996 年には東京ビッグサイトが登場した。
 同時にバブル経済とその破綻で「空白の 10 年間」が始まり、「コンベンション模索の時代」に入った。時代の潮流に乗った企画もあれば消えたものもある。2001 年に、東京ビッグサイト5周年記念で開催されたシンポジウムに登場した3人の大学教授は、日本のコンベンション環境の劣悪ぶりを痛烈に批判した。会場の多くが埋め立て地に建てられた地方自治体“箱物行政”の押し付けで、会場までが遠く地盤も盤石ではないと。それでも展示会ビジネスは活発になり会場の空きを待つ新企画や既存の展示会に参加したくても出展できないキャンセル待ち企業が増えていった。
 明治維新前にも名品・珍品などを集めた“展示会のようなもの”はあったが、今日に通ずる展示会は明治 10 年に政府主導で開催された「内国勧業博覧会」が嚆矢だった。産業資本が育っていなかった日本では“勧業”とあるように国や公共機関が殖産興業を目的に推進した。戦後の復興から高度経済成長期に盛んだったのも地方公共団体や工業会が主催するものが多かった。
 この模索の時代に世界の展示会専門企業が日本に進出してきた。1990 年に幕張メッセで開催された《CIMジャパン》(主催:カーナーズ ジャパン(現RX))だった。1989 年に都内ホテルで記者会見兼説明会が開催された。高額な入場料(¥5,000-)、事前登録制など斬新な取り組みだった。「CIM」とは当時、産業界で話題になっていたComputer Integrated Manufacturing=コンピュータで統合管理された製造方式のことで、主催者が広げた大風呂敷にNECやIBM、富士通といった主要なコンピュータ・メーカーや工作機械メーカーやPLCメーカーなどが勢揃いした。圧巻だったのは2年後に開催された3回目の《CIM Japan》の主催者企画「IMPACT」だった。テーマはマルチベンダー環境で、見学者は約 20 名前後のグループで会場に入り、入口から出口まで流れていく。入るとすぐの部屋は営業部門で、グループの中から3名が選ばれて名前を告げる。次の部屋は設計室で数社のCAD/CAMを使った設計室、さらに進むと工作機械のある加工室があり更にロボットを使った組立部門に。多様なメーカーが参加したマルチベンダーの疑似工場が出展されていた。入り口で登録された3人は、「IMPACT」の出口で自分の名前がレーザマーキングされたカセットケースを渡されるという仕掛けだった。未確認情報だがコーディネータは日揮で、山中湖畔にある同社の寮に何度か合宿して企画がまとめられたという。
 実はその前年の《MECT91》で規模は小さいがマルチベンダー環境の『未来工場』なる企画展示があったが、《CIM Japan》の規模はその何倍もあった。この頃から「ただ集めて展示するだけ」の展示会から、主催者の企画力が問われるようになっていった。そして《CIM Japan》が主張したのが、来場者数のカウントの正確さだ。実はかれらが言い出すまでは、展示会の入場者数は全く根拠のない“作られた数字”だった。しかし《セミコンジャパン》などは、来場者の氏名を翌日には出展者に届ける、というスピード感と正確性を兼ね備えたサービスを提供した。
 今回のパンデミックによる展示会ビジネスの再構築期間。この間、リモート開催がありWEBでセミナーを開催する「ウェビナー」などのIT利用の取組みも増えてきた。インターネットが登場してから「情報過剰時代」と言われ始めたが、いまでは「情報空間」の中で生きているようだ。さらに地球環境保護対策と持続する開発目標を定めたSDGsが宣言されると、わずか数日間のために小間を飾り立てて通常価格よりも高額な電気料金を支払っている今の展示会ビジネスのあり方には問題がないのか?今年の《MF-Tokyo》には、大きくて重いプレス機を会場に運び込まなかったプレスメーカーが多かったのはそのためだろうか。メーカーとユーザーの出会いの場というが、今年、自動車メーカーOBが、クルマ産業のために必要と思われる技術について、出展者に質問しても小間に詰めていた営業マンは満足に回答できなかった。いまの“売るための展示会”では、工作機械業界の進化は難しいだろう。来年は、技術を前進させる取り組みに出会いたいと願っている。