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ー 科学と技術で産業を考える ー

ことラボ・コンテンツ

岩波徹の視点

才能を見つけて育てる

NEW! 2026 年 06 月 03 日

 いつの時代にもどこの国にでも、その社会が常識だと感じている秩序を打ち破る新たな才能がありうるものだ。特にエンタテイメントの世界では、旧来の“お約束”を打ち破る力が突然出現する。1950 年生まれの私にとって十代の前半に英国に登場したザ・ビートルズは衝撃だった。実は彼らよりも前に、社会に衝撃を与えたのは米国のエルヴィス・プレスリーだった。第二次世界大戦が終わるとそれまでの世界を形作っていた「大人と子供」の人類社会の構造に“若者”が参入してきた。日本でも、江戸時代までは男性は“元服”の儀式を経て「今日から大人だ」と扱われていた。そこに入り込んできたのがプレスリーだった。彼の登場前には英国を中心に『怒れる若者』と呼ばれる社会現象が広がっていた。馬鹿な大人たちが二回も愚かな戦争をしでかした、と若者から見れば、既存の価値観など“糞くらえ”と思っていても反論もできない時代だった。同じ大地に生きていても、白人と黒人は別物だった時代に、黒人のブルースのテイストをいれたプレスリーの歌に“健全な”白人たちは眉をひそめたが、若者たちに受け入れられた。プレスリーが“露払い”となって社会が温まっていたタイミングに髪の毛を伸ばして既存の秩序に少しだけ異論を表明したのが、リズムギターとリードギター、ベースとドラムスの4人組はビートの効いた楽曲とシャウトする歌声で世界中の若者の心をつかんだ。
 日本では“演歌”と呼ばれる東アジア伝統の歌唱法の“歌謡曲”が主流だったが、1960 年代の前半にフジテレビ系列で『ザ・ヒットパレード』という 30 分番組が流され、ザ・ピーナッツやスリーファンキーズ、弘田三枝子などが、英語の歌詞を日本語に変えて踊りながら歌っていた。演歌にはないビートや華やかさがあった。
 しかし日本では歌舞伎の生みの親と言われる“出雲の阿国”の時代から、エンタテイメントには裏社会と密接な関係があった。だから華やかな世界には“毒”がつきものだと、多くの日本人は思っている。それにしても『ジャニーズ事件』は内容がひどすぎた。
 原宿でスカウトされた、とよく聞くが、これは“才能”を刈り取る仕事が成り立っていることを示している。「才能」は抜け目のない大人たちが刈り取るのが日本のシステムだ。山口百恵などがデビューするきっかけになったテレビ番組は、若手の才能を買い漁る企画だった。言い換えると普通の人を“あちら側”に連れていく仕組みだったのだ。最近は地元の駅前でパフォーマンスを発揮してメジャーになる才能も出てきているので、時代は変わりつつあるが、イメージは払拭できない。

『ザ・テレビジョン』の衝撃
 1970 年代から 80 年にかけて、東京のテレビ局(現・テレビ東京)で金曜日の夜に2時間の枠で『ザ・テレビジョン』というオムニバス番組があった。米国のテレビ番組をピックアップして放送するのだが、どれも日本のテレビ界のコンテンツにはないものばかりだった。その中のひとつに『ゴングショー』という考え方によっては実にくだらない番組があった。3人の審査員の前で“芸”を披露するのだが、それがひどいと審査員席の後ろにおいてある大きなゴングを叩く。次々に登場する演者のネタは思い出しても噴き出してしまう。“ゲップで”歌う歌手、“放送禁止用語を並べた歌”だったり、とんでもない番組だと思っていた。ところが時々、素晴らしい歌唱力のある歌手が登場する。その時はスタジオ内に設けられたバンドの前で歌っていた。とても素人とは思えないパフォーマンスだった。そしてときどき『ララショー』とのタイトルで、優秀な出演者が、大きなホールで大勢の観客の前でパフォーマンスを披露していた。いまでも覚えている出演者の一人は、舞台の上手から登場して中央のマイクの前に立った。観客は拍手して迎えるが、彼はただマイクの前に無言で立っている。聴衆はざわつきだすが演者は表情一つ変えることなく、黙って客席を見渡している。その場の雰囲気に、照れ笑いのようなざわめきが起きるが、それもやがて止む。しかし演者はその間、顔色一つ変えることなく、客席をゆっくり見渡している。その間、何分くらいだったのか、今となってはわからないが、やがて彼は登場してきた舞台袖に向かって歩き始め、あっけにとられていた聴衆から突然万雷の拍手が起こり、送られて行った。あれが“芸”だったのか?
 映画『ゴッドファーザ』にフランク・シナトラをモデルとした歌手が出ていたが彼もマフィアの一味と絡んでいた。洋の東西を問わずエンタテイメントの世界に裏社会はつきものだ。しかし、そのような世界とは無関係に、世の中には“才能”が溢れている。仕事しているときに気分転換で、以前はテレビを点けていたが“パンとサーカス”状態のコンテンツに飽きてしまい最近はYouTubeを流していた。時々思わぬ画像が出て見入ってしまう。その中で『Amerikan’s Got Talent』という番組では、舞台に登場してパフォーマンスを披露して3人ないし4人の審査員がジャッジする。これは、先述のゴングショーと同じだ。しかし舞台は 3,000 ~ 4,000 人が収容される大きなホールが使われる。しかも米国だけでない英国でも開催されている。もしかするとそれ以外の国でも開催されているかも知れない。
 演技を見たジャッジ全員が「Yes」といえば合格で、次のステップに進める。驚いたのは 12 歳の少女ダーシー・リンが、白いぬいぐるみの大きなウサギを抱えて登場したときだ。彼女は2年前に、内気だった自分を治すためにこのウサギを母に買ってもらい腹話術を始めたという。長く伸びた金髪を無造作になびかせてパフォーマンスを始めると、聴衆は総立ちで4人の審査員もスタンディングオベーション。日本で腹話術師『いっこく堂』が出てきたときも驚いたが、その可憐な少女も全く唇を動かすことなく朗々とスタンダード曲『Summer Time』を歌い聴衆の心をつかみ、“ゴールデンブザー”という審査員席の中央にあるブザーが押された。すると舞台の上からたくさんの金色のテープが舞い降りてくる。このブザーを勝ち取ると、予選を経ないで決勝ラウンドに出られるらしい。彼女はセミファイナルを勝ち進み決勝でも勝利し 100 万ドルを獲得した。彼女も反社会的な組織に囚われているのだろうか。私はそうは思わないが、肝心なことは彼女の才能は、どこかでスカウトされたり、買い漁られたものではないことだ。才能の持ち主である彼女が自分で売り込みに来たのだ。
 さて製造業の世界では、とびぬけた才能は必要ないだろう。「背中を見て学べ」が通じる世界だ。しかし製造現場には、経験を土台にして積み上げてきたノウハウが根底からひっくり返されたことが過去に何度かあった。これから始まる生成AIなどを利用した新しい世界がそれだ。
 昔、情報処理会社で働いていたときに、社長が開発した新しいデータ入力機器(オフコン)そのものも販売し、利用方法を指導していた。ある出版社でベテラン社員を指導していたエンジニアが嘆いていた。教えていたのは、こうした機材に肌が合わないというか、全く理解できない人だった。そのエンジニアの教え方が悪い、とは誰も言わず、理解できない客が悪いということで社内は納得していた。NC工作機械が登場したときも、多くのベテラン職人さんがNCシステムを理解できなくて現場から去って行った。『ことラボSTI』の初期に、旋盤工で作家だった古関智弘氏がその時代の話を投稿してくださった。
 いま生成AI、フィジカルAIが登場して、自分の昔の経験を思い出し、パソコン登場時に消えていった側になるのか生き残れるのか、ハラハラしている。AIに親和性を持つ若い才能が、現場の伝統を無視して、画期的な取り組みが始まるのかもしれない。そのとき先輩たちは、その才能にどのように向き合うのか、もう少しこの世界を見ていたい。