ことラボ・レポート
“中国”再考 アジアの巨人の奥底
いま「中国」という言葉には危険な響きが漂っている。鄧小平の「改革開放政策」(1978 年)以降に、世界経済の舞台に登場した中国にどのように向き合うのか、情報が錯綜しているうちにあと4年で半世紀になる。日本ばかりか世界の経済界にとり、中国は重要なテーマだが、中国への理解がたりないまま右往左往していると思うので、以下にまとめた。
約 20 年前、私は蘇州のコネクタメーカを取材するために、上海から高速道路をひたすら西に向かって走っていた。道はまっすぐでハンドル操作は不要なほどだ。車窓に広がる広大な平野を見て、なんで日本軍はこんなに広いところに攻め込んだのか考えていた。見渡す限りの平原だ。日本で最大の平野・関東平野を走ると東には筑波山が、北に向かえば赤城山に三国山脈、西には丹沢山系に富士山そして浅間山と、地平のかなたには山々が見え、その広さを視覚的に理解できる。しかし中国では“見渡す限り”の平野で身を隠すすべもない。攻め込んだ日本兵たちは不安に駆られたのではないか。いずれにしても無謀な計画だったと思う。
その中国に対して今は亡きセイコー精機の社長だった守友貞夫氏が生前「日本人がアメリカを好きなのは、敗戦後の復興期に商売度外視で応援してくれたから。いま中国、アジアが産業社会になりつつあるが、日本は応援ではなく“商売”をしている。これではアジアに友達はできない」という。それから数十年を経たいま、友達どころか、ことあるごとに“敵対”する関係になってしまった。このままでは守友さんの遺志に応えられないという思いが募る。
北京vs上海
1993 年に北京で第3回CIMT(中国国際工作機械展)が開催された。1回目2回目は上海で開催されたが、上海閥のトップ江沢民が、共産党のトップとなり北京に上るときの“手土産”として、開催権を北京に持って行ったという。このとき多くの日本企業も参加して中国市場に参入しようと取り組んだ。しかしCIMTが終わると“中国熱”は急激に冷めた。中国の窓口を閉めた企業も多かったと記憶している。この時の事情を紐解いてくれた先達の言葉を思い出す。
「多くの日本企業は、同じ黄色人種のモンゴロイド系で漢字を使い仏教や儒教の国なので理解し合える、と軽く考えていたのではないか。しかし思考方式を決める言語体系は“師、宣マワク”つまり“I think”で欧米と同じ。さらに根っこに儒教や道教、さらに中華思想に血族主義に共産主義が絡まっていて、日本人には理解できない。中国市場には、欧米のビジネスを理解している香港ルートか台湾ルートを使うしかない」と。それでもブームだから「バスに乗り遅れるな」と大陸に乗り出していき、日本軍と同じ失敗をした企業が続出した。その後、共同経営がうまくいかずホウホウの体で撤退した日本企業のドキュメンタリーが、何本か紹介された。しかし安い労働力と大きな市場は魅力で、多くの企業が進出して、中国は日本以上の速さで産業社会を形成していった。
今現在の中国に関しては、さまざまな情報が乱れ飛んでいるがそれでは表面的な理解しかできない。まずあの「プロレリア文化大革命」(文革 1966 年~ 1977 年)の狂気を知っておくべきだが、表面的な知識はネットで済むので、ここでは当時の状況を具体的に理解できる本として『ワイルド・スワン』(ユン・チアン著・講談社 1993 年)をお勧めする。
“造反有理”(謀反には道理がある)などと無茶苦茶な理屈を振りかざし、歴史的な遺産を壊しつくしたこともすごいが、この本には人を精神的に追い込む怖さで溢れている。その残酷さは一度読んだだけで十分で繰り返して読む気になれないほどだ。今回の記事のために書棚から取り出した。
『ワイルド・スワン』の著者ユン・チアン氏の両親が文革時に受けた迫害のドキュメンタリーだ。父親は中国共産党の幹部で四川省では重職を担っていたが、文革で登場してきた紅衛兵などの暴行で精神分裂症になる。後ろ手に縛られ、頭髪を剃られ、罪状を書き連ねた大きな看板を首から下げられて大衆の前に引き出されている写真が有名だが、この本では、さらに精神的なダメージを与えて人格を破壊していく表現で溢れており、読んでいくのがつらいほどで、中国 4000 年の負の歴史を知ることになる。中国の人は、この狂気の時代を経験している。さらに共産党の方針では「文革」については正式な総括はされていないから、心の奥に澱のようにたまっていて、その正体が国民には判らない。つまり近代社会に直面しているのに、毛沢東の功罪や天安門事件の評価から逃げ回り、対外的な問題に国民の目を向けさせ、社会を前進させる政策がないままに近代社会に突入しているのがいまの中国だ。1990 年代に中国に進出した日本企業が直面したエピソードに、請求書を無視される、というがあった。さすがに今は収まっているらしいが、当時の経理部の仕事は届いた請求書をどうしたら無視できるか、だったという。ノーマルな経済社会の一員ではなかったのだ。
近代社会はデカルト(1596 年~ 1650 年)の「われ思うゆえにわれあり」の合理主義哲学から始まった。一方、中国・韓国などの儒教の国はそれを究めた「朱子学」の影響が強く、すべてのものは「気」で構成されてできている、と考える。デカルトとは反対に“自分ファースト”で主観的に考える。中国の統計は当てにならない、と言われるは当然で、客観的なデータなどは意味を持たない社会だ。「このようにあれかし」と思うことが重要で、客観的な事実などは重要ではない。それでも世界経済の一員として、欧米が行うように「今年のGDP」を示す必要があると感じてはいるが、本心では客観的な事実・予測の積み重ねは不要だと思っている。共産党のトップが決めたら、最下層レベルから事実を積み重ねていくうちにトップが掲げた目標に足りないのでは、と不安になると、報告する数値が“自然と”“誤差の範囲内で”増えていく。それを「客観的事実」と信用するのが間違っている。
無錫を取材したとき、通訳兼ガイドさんがオフレコでこんなことを言っていた。「日本人には判らないと思うが、この町が来年どうなるか、住民である私たちには判らない。出世をもくろむこの地区の共産党員が、そこらの畑を潰して工場を誘致しようと躍起になっている。突然、ホウレンソウ畑が潰されて半導体工場になるのです」と。付加価値の低い農業を、高付加価値の工業に転換するのに躍起なのだという。そのための駆け引きは常識外れで、見渡す限り巨大な工場が続く蘇州の工業団地を巡っては、誘致されたシンガポール政府と蘇州市が裁判沙汰にまでなったことがある。
文化大革命は何を壊したのか
『中国の歴史』(講談社全 12 巻・2005 年)は、中国との関係を考えるうえで有益な教科書だ。その第 12 巻『日本にとって中国とは何か』は、ぼんやりとニュースやSNSを眺めていては判らない中国の神髄に迫る知識に溢れている。その浩瀚な内容をここに紹介するスペースはないので、中国社会を理解するのに有益と思われる情報を紹介するにとどめる。
まず第3章『中国人の歴史意識』が興味深い。著者が雲南省の村を訪ねたとき、目の前を若い母親が一歳ほどの子供を背負いあやしていた。「爺爺(イエイエ:父方の祖父)、奶奶(ナイナイ:父方の祖母)、公公(ゴンゴン:母方の祖父)、婆婆(ボーボー:母方の祖母)、叔淑(シューシュー:父方の年下のオジ)、舅舅(ジュジュ:母親の兄弟にあたるオジ)、姑姑(グーグー:父親の姉妹にあたるオバ)」…。そこには「本家筋」「外祖家(母方の親戚)」「夫家(夫方の親戚)」の呼称が詳細に並べられている。「本人」からスタートして、父方、母方、その親、兄弟、従妹たちの呼び名が違う。家の外で目上の人に会ったら自分から「何々さんこんにちは」と言わないといけない、と教えているのだ。目上の人に会ったときの礼儀で、社会が成立する基本だ。
儒教が生活の隅々まで行き渡っている中国社会では「礼」が生活を規定している。それは長幼の序を基準とする“年長者を敬う”秩序だった。その母親は、幼子にこれから生きていくための最低条件である親戚との人間関係の基本を教えていたのだ。中国人の家を訪ねると両親が子供に「説叔叔好(シュオシューシュハオ)(オジさんとちゃんと呼びなさい)と語り掛ける。ここで両親が教えているのは、①客人が自分より目上であることと、②自分からちゃんと挨拶をすること。これが中国社会を理解するうえでもっとも重要なキーワード「礼」の神髄だという。当然、自らのルーツである先祖を敬うことは最も重視される。フィリピンのコラソン・アキノ大統領のルーツは客家(はっか)つまり華僑だ。彼女が大統領になり、北京が彼女を招待したとき、彼女は北京に行く前に先祖の墓参りをしてから北京に向かった。すると「この人はできる」と評価が一気に高まったという。
この「礼」は人々の間の序列を定める理念でもある。文化大革命は、この秩序を破壊した。1993 年のCIMTを特集して出展企業を回ったとき、ある中国系商社の女性が「文革で中国は変わった。金の亡者になって社会は金権主義になってしまった。もう私の中国ではない」と憤っていた。文革はこうした中国社会の依って立っていた“心”を破壊した。
天安門事件(1989 年6月4日)は、映像の力で世界に衝撃を与え、中国政府が詳細を詳らかにしない、ということで共産党のアキレス腱だが、文革に比べれば一過性の事件で、文革が中国社会に与えたダメージの大きさとは比べ物にならない。
『中国の科学と文明』
ここまで読むと、中国はどうしようもない国に思えるかもしれない。しかし『人類の三大発明』と呼ばれる「紙と印刷」、「火薬」、「羅針盤」は中国で生まれている。厳密にいうと、生まれた赤子を大人に育てたのは欧州になるが、誕生の地は中国で、歴史的な裏付けもある。
1954 年以来刊行を続けられ、2008 年時点で 24 巻に及ぶジョゼフ・ニーダムの未完の大著『中国の科学と文明』を土台として、その要約版・廉価版としてまとめられた『中国の科学と文明』(河出書房新社・2008 年改訂新版)がある。ニーダムの本編をロバート・テンプルが抄訳したものだ。これらは産業革命以前の話だ。
産業革命の主役となった欧州社会に負い目を感じているアジアの人々の鬱屈を晴らしてくれた痛快なやり取りをある小説の中から紹介したい。産業革命によって人類社会をリードした欧米勢に対して口には出せない思いを抱いていた中国やインドの思いが絞りだされている。物語はインドのマハラジャの娘の家庭教師が実は英国のスパイだと判明したところだ。
英国スパイは「私がインド人に文明を教えマナーをおしえてやった」と開き直りマハラジャを“野蛮人”だとなじるが…
「野蛮人、と言ったのかな。私のことを、野蛮人と。文明を教えてくれたと。お前が私の娘たちに文明を教えてくれたと。英国人が私を男にしただと」ガシュ・シン(マハラジャ)の目に本物の憤怒の炎がともった。
「覚えておけ。文明の何たるかはこの私が娘たちに教えたのだ。お前が教えたのはたかだかヨーロッパの習俗やしきたりにすぎん。お前はせいぜい欧州の端の、あの石炭の島の田舎言葉を教えたにすぎん。帝国主義者め、覚えておけ。お前たちの祖先が洞窟に住み、オオカミの遠吠えに怯えていたころ、インド人は下水道の備わった家に住み、宇宙を論じていたのだ。お前たちが羊の数を 10 頭までしか数えられなかったころ、インド人は零の表記を創案し、代数を解いていた。文明はインドにある。お前たちの島じゃない。」
するとスパイは「そんな偉大な文明を持つ国がなぜいま植民地になってしまったのだ」と言い返す。マハラジャは「お前たちが野蛮すぎたからだ。野蛮で強欲で恥知らずだったからだ」と怒る。(『ベルリン飛行指令』(佐々木讓・新潮文庫 440 頁~)。
これはアジア人の気持ちを端的に表す文章として大切にしている。産業革命で獲得した巨大な生産力を捌くためにアジア・アフリカに植民地を獲得していった欧州諸国が当時の世界秩序を壊していった。この産業革命がなければ、いまのアジアはどのようだったのだろう。この『中国の科学と文明』を読む限り、科学と技術はアジアでも生まれていたのだと安心できる。アジア人に欠けていたのは「野蛮で強欲で恥知らず」な行動力だった。
さて『中国の科学と文明』には、この本のコンテンツを眺めるだけで納得いただけると思うので以下に転記した。
第1章 農業
畝栽培と集約的鍬工作/鉄製の犂(すき)/効率的な馬具/回転式厝箕(とうみ)/多穴式「近代型」種まき機
第2章 天文学と地図作成学
太陽現象としての黒点の認識/定量的地図作製法/太陽風の発見/メルカトル投影図法/赤道式天文観測器械
第3章 工学
噴水銅盆と定常波/鋳鉄/複動式ピストン鞴(ふいご)/クランク・ハンドル/カルダン・サスペンション(ジンバル)/鋳鉄から作る鋼鉄/天然ガス用の鑿井(さくせい)/ベルト駆動(駆動ベルト)/水力/鎖ポンプ/吊り橋/最初のサイバネティック機械/蒸気機関の基本要素/「魔鏡」/「ジーメンス」製鋼法/弓形アーチ橋/鎖駆動/水中引き上げ作業
第4章 日常生活と工業技術
漆―最古のプラスチック/強いビール(酒)/燃料としての石油と天然ガス/紙/一輪手押し車/ノギス/走馬灯と覗きからくり/釣り竿リール/あぶみ/磁器/生物学的な病害虫駆除/傘/マッチ/将棋/ブランデーとウイスキー/機械時計/印刷/カード・ゲーム/紙幣/「万年灯」/紡ぎ車
第5章 医学と健康
血液の循環/人体の二十四時間周期リズム/内分泌学/栄養失調症/糖尿病/甲状腺ホルモンの利用/免疫学
第6章 数学
十進法/ゼロの位/負数/累乗根の開法と高次数値方程式の解法/小数/幾何学における台数の利用/πの正確な値/「パスカル」の三角形
第7章 磁気
最初の羅針盤/文字盤と指針を使った装置/地磁気の偏角/磁器額の残留と誘導
第8章
地理植物学を応用した探鉱/運動の第一法則/雪の結晶の六方対称構造/地震学/自然発火/「近代的な」地質学/蛍光塗料
第9章 輸送と探索
凧/凧による人間の飛行/最初の立体地図/最初のコントロール(等高)運河/パラシュート/ミニチュア熱気球/舵/マストと帆走/船の防水隔壁/ヘリコプターの回転翼とプロペラ/外輪船/帆走車/運河のパウンド・ロック
第 10 章 音と音楽
調律された大型の鐘/調律された太鼓/密閉実験室/音楽における音色の理解/平均律の音楽
第 11 章 戦 争
化学戦争、毒ガス、発煙弾、催涙ガス/弩(ど・石弓)/火薬/火炎放射器/照明弾、花火、爆弾、手投げ弾、地雷、機雷/ロケットと多段ロケット/銃、大砲、臼砲、連発銃
まとめ
政治の世界では、失敗を認めて反省することは非常に少ない。いま国内で起きている政治的問題が、常識的に解決することはまず考えられない。中国共産党が文革や天安門事件に向き合うことも同様に考えられない。過去に歴史的事件を抱え込んでいたドイツは、戦後の復興期に首相に就任したコンラート・アデナウアー首相が、西独初代の連邦首相として精力的に周辺諸国との関係修復に努め、ドイツ経済を復興させた。その政策を貫いたのは彼の政治家としての強い意志だ。
都合の悪いことから逃げないで、中国社会の歴史に敬意を持ちながら、ダメなことはダメだと伝え、経済社会の基本的ルールに基づいたビジネスパートナとなるように付き合いを進めて欲しい。