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ー 科学と技術で産業を考える ー

優れたことづくり例

テクニカルインフォメーション

エンジニアリング力の低下

2025 年 03 月 05 日

 昨今の「ことラボ」では、メディアのコンテンツに批判的なコメントが多くなっていることは承知の上で再度触れたいと思う。NHKの番組で『魔改造の夜』という怪しげなタイトルのコンテンツがある。何曜日の何時からは知らないが偶然遭遇すると真剣に見るときもある。真面目に見るほどの中身とは思わないが、大手メディアが“製造業の一翼”を支援するつもりなのだろう、と思うからだ。しかし2月 27 日に見たのはお粗末すぎて、同時に考えさせられたのでお話しする。
 この番組はNHKが企画した“無茶振りコンペ”に参加する3つのチームが、上限額以内で部材を購入して『参加製品』を開発して競技に参加するもの。残念ながら記憶に残るような企画はなく、“動くおもちゃ”を改造したり“紙飛行機”等のシンプルな遊びに課題を設けたりしてきた。今回は途中からなので詳細なルールは判らないが「トイレット・ペーパーが千切れずにどこまで飛ばせるか」が勝負らしい。出港する船に紙テープを投げる場合と逆のイメージだ。
 断片的だが番組を見ていると、トイレット・ペーパーの先端に付けたユニットを遠くに飛ばしペーパーを引っ張り出す、というもの。ユニットを投げ飛ばす方法の開発に焦点が当たっていた。しかし“紙”でできているトイレット・ペーパーを投げるのだから、投げる時の衝撃に紙が耐えられるか否かは大事だろう。だが見ていると、参加しているエンジニア達が取り組んだのは、どのように投げたら遠くに飛ぶか、という飛ばす仕組みの開発物語だった。3チームが2回ずつ投げるので合計6回も試みたのに、飛んだのは2回、ちょろりと前に転がったものも入れると(甘すぎるが)3回。私が驚いたのは、衝撃を和らげようと工夫したチームが一つもなかったことだ。“投げる”という機構を開発することこそがエンジニアの仕事だ、と刷り込まれているのだろう。ここにいまの工学教育の弊害を見たような気がした。
 紙が引っ張りに強いか弱いかは状況により結論は異なる。まず発射の際に紙にかかる衝撃を緩和する機構がないと、飛ぶか飛ばないかは運任せになる。そんな製品は完成したとは言えない。ここで具体的な技術の話に深入りしたいのではない。問題にしたいのはエンジアとしての考え方だ。
 「制御装置のオープン化」が 1990 年代に盛んになっていたときM電機の広告担当者が交代した。初対面のときにいきなり「いまNC装置はオープン化するべきだと新聞などで言われているが、工作機械メーカーは本当にそんなことを言っているの」と、これはテストですね。私は咄嗟に「そんなことは言っていません」と答えた。「そんなこと言い切れるの」と次の矢が飛んで来た。そこで考えた。「日本の工学教育では“電気”と“機械”で別れていて、機械工学を学んだ人は電気が判りません。だからNCメーカーさんにお金を払って買ってくるのです」と。すると彼は隣にいた若い人に「なっ! 言った通りだろう。工作機械メーカーがそんなことを言っているわけはない」と得心された。彼は東京本社に単身赴任で来ており、以来、月に2回ほど週末に夕飯を伴にするようになった。そしてそのときに「エンジニアとは何か」などを語ってくれた。ロボットの分野では大きな功績を残された方だが、話題はもっぱら「エンジニアとは何か」だった。
 例えば「新しい電気掃除機」を開発する、としてキャスター部分を若者に任せる。彼は、さっとカタログを納めたキャビネットに飛んでいく。すぐに行動するのはさすがだ。しかし“掃除機”とは何だろう、と考えて欲しい。①電気掃除機の多くはご家庭で主婦が使うだろう。②若い人が使うなら“赤ちゃん”がいるかもしれないし、その赤ちゃんがスヤスヤ寝ているときに使うだろうから静粛性が大事だ。③家庭内なら部屋の境に段差もあるかもしれない。④コンセントの数が少なくても困らないようにコードも長さが必要だ。などなど。つまり社会の中に意識を置かなければいけない。いま社内にはデジタル情報もカタログも豊富で参考になる情報は溢れている。若手はその中から使える部品メーカーを探し、なければ自分で開発しなければならない。既存の部品を利用するとデザイン性の悪いゴツゴツした製品になり、それでも「できました」と言ってくる。「何だ?これは!自分の頭を使え」というと「私がいちから設計したら高いものになります」と言い返してくる。少しでも便利にしようと産業界を上げて取り組んでいるので、次々と新情報が出てきているからその中で仕事をしていくのは大変だろうが、外部情報に頼り始めると自分で考える力が育たない。その一方で高速化していくビジネス環境の中で、外部情報を集めて素早く回答を出し続けないと競争に敗れてしまう。人や技術を育てるには難しい時代になっている。
 ヒントになるか判らないが、エンジニアの「思考の深さ」を掘り下げる訓練が足りないと考えている。バブル経済がはじけて経済の停滞が始まった時、自動車メーカーの中堅エンジニアのクルマに同乗する機会があった。もう 30 年も前のことだが、エンジンをかけると残りのガソリンであと何km走れるか表示された。それは彼が考えたソフトだったが、当時は見向きもされなかった。しかし、あると便利な情報だ。エンジニアは社会と向き合うばかりではなく、その社会がどのようなものであるか知らなければならない。「トイレット・ペーパーを投げ飛ばす」ということは、これから時代が下っても実用上のニーズは出てこないと思うが、「残燃料による走行可能距離」は現実に役立っている。
 「エンジニアはこの世にないものを考え出して社会の役に立つのが仕事だ」とはイタリアの棒材供給機メーカーのエンジニアに言われたことだ。また、スズキの元専務でマジャールスズキの元社長の篠原昭氏は「自動車メーカーのエンジニアは仕事内容がシンプル化しつつある。部品は部品メーカーが作り、デザインはイタリアあたりに発注する。加工は工作機械メーカーが提案してくる。100 年たってもタイヤは4本でハンドルはひとつだ。これが家電メーカーのエンジニアだったら大変だ。白黒テレビの次に洗濯機や冷蔵庫で、カラーテレビのあとはクーラーといった具合に、全く原理の異なるものを開拓してきた。もっと勉強しないとクルマ屋以外に使えないエンジニアになっちゃうよ、と」後輩に言っている。いまは『EV』やら『空飛ぶクルマ』で状況は変わっているが…。
 トイレット・ペーパーを投げ飛ばすコンテストなら、千切れずに飛んでいくための機構を考えるのが初めの一歩なのではないか。最近の企画には掘り下げの足りないものが目立つ。これも“パンとサーカス”企画ばかり作っているメディアの知力の低下が原因だ。