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キャプテンインダストリーズ 渡辺 敏/【連載#1】「アメリカ市場開拓奮闘記」

2021 年 08 月 30 日

株式会社キャプテンインダストリーズ
取締役相談役
渡辺 敏 (わたなべ はやし)

1932 年 10 月1日生 東京都出身
1960 年 日立精機 入社
1966 年 ギブン インターナショナル入社
1974 年 キャプテンインダストリーズ 創業 代表取締役就任
2021 年 同社取締役相談役就任
1974 年の創業以来、工作機械商品や周辺装置部品などにおいて、世界の一流商品を輸入する工作機械のパイオニア商社。
米国、ヨーロッパ等 世界6カ国で名の知れた工作機械商品・部品メーカーと取引きがあり、国内では抜群の信頼関係を持ち、数千社の取引先がある。


《第 1 回》 1961 年 羽田空港にて

 1961 年6月 19 日。羽田空港は見送りの人々でごったがえしていた。
前年、新首相に就任した池田勇人氏が、同じく前年アメリカの大統領戦に勝利したケネディ大統領と会談するための出発の日であった。
 海外旅行が制限されていた当時、海外に向かう人々はそれなりに大きな使命を帯びており、それぞれ使命を胸に秘めて海外に飛び立っていった。それだけに見送りの人たちは、首相の外遊とあって、数百人に及んでいた。

 私もそのような一人であった。
 当時奉職していた日立精機の社命を拝して、アメリカ市場開拓のために羽田を偶然 首相と同じ便で飛び立ったのである。その便の JAL DC-8の名称は「鎌倉号」であった。

 前年の 1960 年、日本は安保騒動で揺れに揺れていた。
 1945 年8月 15 日を境に、軍国主義に決別し民主主義国家への歩みを始めた日本にとって、突然降って沸いた民主主義の洗礼は、まさに戦勝国より与えられた「漁夫の利」と言うべき贈り物であった。それだけに、消化不良を起こした日本そして日本国民は、その真の意味を理解し、その精神を消化してわが身のものとするには、政治意識はいまだ未熟であり、皆が右往左往して所定まらず、1950 年に勃発した朝鮮戦争を機に民主主義国家生みの親であったアメリカも、東西対立という世界政治の状況から方針を大きく転換していくことになる。
 1951 年の平和条約締結において日米安保条約が締結され、日本政府も安保体制への理解を国民に求める方策を模索し始めていた。1958 年に岸内閣は、その改定を目指して新安保条約の締結をアメリカと交渉。それに同意できないという運動が活発化し、安保反対運動が活発化していた。
 そして、1960 年6月 15 日の国会突入という状況にまで進むが、結果的には政府側の巻き返しと国会の議決がないまま、新安保条約は6月 19 日に成立した。
 結果的に、新安保条約の成立と同時に岸内閣は退陣し、池田内閣が後を引き継ぐこととなる。
 1960 年 11 月 20 日の総選挙において、池田首相は「所得倍増計画」を掲げて大勝し、政治から経済へと国民の意識の変換を図ることに成功。その勢いを背景に、翌 1961 年6月の訪米へと旅立つことになったのである。

 この状況の中で日立精機の経営陣も、国内で「タレット旋盤」と「フライス盤」の市場開拓成功の勢いに乗り海外市場開拓を目指すため、私はその先陣として米国駐在員の任を任されることとなり、前述のように6月 19 日、羽田空港からアメリカに向けて飛び立ったのである。


株式会社キャプテンインダストリーズ 会社情報
【沿革】
キャプテンインダストリーズの沿革
1974 年 資本金 50 万円、従業員4名で設立 摺動面ベアリング「ターカイトB」の輸入開始
1979 年 厚木営業所・名古屋営業所を開設
1980 年 油・空圧機器用等シールの輸入、販売開始
1982 年 工作機械などの電線、油空圧管等の保護管「キャップフレックス」の製造販売開始
1985 年 キャプテンインダストリーズ台湾支店を設立
1992 年 江戸川区に本社を移転
2002 年 「ローロンスライド」組立開始
2004 年 台湾支店を現地法人 克普典科技股份有限公司に改組
2006 年 本社社屋完成
2012年 堺工場開設 FPMS Fischer Preciseメンテナンスサービスを開始

World-wide Products with Global Support の標語のもと、海外の優れた商品を発掘し日本に輸入するばかりでなく、日本市場に向けた仕上げ・調整さらにメンテナンスも行う輸入商社。また東アジア市場への進出を検討する欧米メーカーの重要なパートナー役を果たしている。

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