岩波徹の視点
3.11に想う
ことしの3月11日は水曜日だった。「3.11」が迫ってくるとニュースが繰り返して映像を流すので辛いことでも思い出す。15年前の3.11は金曜日だった。私は数日前に救急入院した母の主治医から、病状を説明するから来院するように言われ、仕事を早目に切り上げ自宅にクルマを取りに来ていた。目の前の電柱が、上に構えた重いトランスのためかグワングワンと揺れていた。震源地が東北だと判ると仙台にいる姉に電話をかけたが出ない。自宅に戻りテレビを見て津波に襲われている東北の町々を見ているしかなかった。
さて放射性廃棄物の受け入れ先を探して国は苦しんでいる。伊豆諸島に来るのか、と複雑な思いで成り行きを見ているが、何か変だと思わないか。産業界に身を置く者としてエネルギーの重要性は理解しているつもりだ。だから原発を使わざるを得ない事情も分かっている。しかし人類はいまだに放射能をコントロールできていない。原爆・水爆で判るように原子力は膨大なエネルギーを生み出すが、お行儀の悪いエネルギーだ。このエネルギーに係わるには油断がならないのに、目先の利益が頭をよぎりエネルギーの難しさに真剣に立ち向かっていないのではないか。
1999 年9月に茨城県東海村のJOC東海事業所で、核燃料製造作業中にウラン溶液が臨界状態に達し作業員2人が被ばくして死亡、近隣住民にも被害が及んだ。大きな事故だったが、いまそれを問題にする視点は日本にはない。たしか放射性物質をバケツで運んだ、という記事もあったと思う。そんな産業界を冷静な目をもって報道するべきメディアは残念ながら日本にはない。“3大新聞”の経験者から聞いた話だが、福島原発の招待取材があり参加した。使用済み燃料棒を沈めているプールが青白く光っているのも見てきた、と。しかし取材などは口実で、さっさと料亭に行って飲めや歌えの世界に移った。福島原発事故のあとに東電のマスコミ対策費として数億円が使われていたことが問題になっていたが、あれはどうなっただろう。
日本のメディアが批判的な視点を持たないことを嘆くのは無いものねだりだろう。しかし国民・国土の安全のために、最後にお伝えしたいことがある。二子玉川から少し下流に行ったところに都立玉川図書館があった。若い頃はそこで山川出版の『世界史大事典』を読むのが好きだった。そのときそこで読んだ雑誌『中央公論』に強烈な衝撃を受けたことがあった。それは原発で働いている若者のドキュメンタリーだった。福島原発事故のときに最前線で陣頭指揮を執った吉田昌郎所長の活躍ぶりが印象に残っているが、そのレポートはその下で働く若者たちのことだった。
原発ができるのは国の補助金でなんとか生活が成り立つような辺鄙な場所だ。地元の学校を卒業すると多くは都会の学校に行く。就職する子もいる。しかしどこにも行き場のない子を採用するのが原発なのだ、という内容だった。すっかり忘れていたが東海村の放射能事故ではバケツで運んだ、というニュースを見て、何十年も前の『中央公論』を思い出した。メディアを手なづけて真実を隠すことに腐心するのではなく、真っ当な科学と技術を駆使して日本を守って欲しい。