岩波徹の視点
育てる才能と消費される才能
自宅の最寄りの辻堂駅は、東京駅を起点とする下り東海道線の快速電車が停まらない唯一の駅として存在感を発揮している。住民が停車を求めたりしているがやめて欲しいと思っている。首都圏の東海道線の東京‐平塚間で各駅停車しか停車しないのは不便だと不満を持つ住民は多い。しかし辻堂に停車したらすべての駅に停車することになり、何のための“快速電車”か判らなくなる。さらに困ったことに近年は駅前にあった工場跡地に大きなショッピングモールができて、乗降客数は近隣駅の中ではピカ一になった。実に中途半端な鉄道事情だ。
ところでこの町は、正月の恒例行事『箱根駅伝』では、3区・7区の中間点で、大手町・箱根間全体でも約 108 kmの中間点になる。この2日間は箱根駅伝で盛り上がる。最近は、コースに向かう県道・市道に沿いのレストランなどの飲食店が温かい飲み物を売り出す始末だ。性格的に天邪鬼なのだろうが最近の熱狂ぶりに首をかしげたくなる。
中継のアナウンサーが絶叫するのは仕事だろうが、「箱根に出たい」と師走の都路を走った高校生ランナーたちが進学して登場する。そして大学を卒業すると1日早い元旦に開催される『ニューイヤー駅伝』に登場する。高校生、大学生、社会人と駅伝がテレビ中継される。しかも1月には都道府県対抗の駅伝大会が男子は広島で女子は京都で開催される。日本人は走ることよりも“駅伝”が好きらしい。これだけ“駆けっこ大好き民族”の日本人だがオリンピックではまるで歯が立たない。相手がアフリカの高地で暮らす民族では適わない。どうせ世界では勝てっこない、と考えているのだろうか?
ロードレースで活躍した選手の寿命は長い人は少ない。いまのメディアの取り組みは、その選手たちを“食い物”にしていないか? 先日、陸上競技の経験者がいみじくも語った。「五輪、五輪と騒いでも4年に1回。企業が広告塔に使うなら毎年開催される箱根駅伝のほうが利用価値は高い」と。なるほど、日本らしい発想だ。グローバルとか国際関係とか言っても、日本が良ければそれで良い、というのが日本的な判断なのだろう。それはそれで良いが、考えないとならないのは彼らの『才能』の価値とその育て方だ。
箱根駅団の名物、往路5区の“山登り”で過去には何人かの“山の神”が登場しているが、驚異的な成績を残した選手が実業団に進み『ニューイヤー駅伝』に進んだが、早々に引退した。引退した選手はそれまでの選手人生に恨みがましいことを語ることはないが、彼の才能は育てられる前に消耗されてしまったのではないか。そのくせ五輪が迫ると「メダルは何個だ」と騒ぎだす。日本人は、居心地の良いニッポン国内で“お山の大将”を争い合うのが関の山なのだろうか。今さえよければ、視聴率さえ取れれば、ビジネスとしては成功だ、と考えるメディアにはそうした発想は生まれないのだろう。
スポーツだけではない。企業は利潤を求めて行動する組織体だが、その組織は“才能”に対してどのように向きあっているのだろうか? そもそもビジネスに必要な“才能”というものがあるだろうか。時間を守る、人当たりが良い、立ち居振る舞いが美しい、話していて学びがあるなどなど人間社会の中で正しいコミュニケーションを取れることは必要最低限の“才能=条件”だろう。しかしビジネスを前進させるにはそれだけでは足りない。私は、そこに必要な才能を「好奇心・向上心・向学心」の“新3K”と表現している。“新”に対する“旧”は、あの「キツイ・キタナイ・キケン」の“3K”だ。嫌な言葉だった。この言葉が出た頃、子供が製造業に進むことを嫌がる母親が増えたと嘆く工学部の先生方にお会いしてきた。
いま企業を回ると大手企業は社員を戦力にするために時間も金も懸けている。先輩の背中を見て仕事を覚える、などと言っていると豊富な『転職サイト』にさらわれてしまう。退職代行業者もいるという! いまの若い人は恵まれているのか独り立ちできないのか、定年退職する人たちは、去り行く前に考えて欲しい。
さて『新3K』で前進していくと、新境地が次々と開けていく。そして開けた世界が関連し合って更に新境地が生み出されていく。しかし、そうした勢いを持つ若い人は、それを育てる環境を組織が持っているか否かで組織の成長の正否が分かれていく。多くの場合は周囲の理解は得難く、嫉妬ややっかみで芽吹いた新芽は育つことは少ない。とくに組織を育ててきたと自負する先輩が才能豊かな後進を育てることはまずない。しかし、技術の進化はめまぐるしく多くの先輩が、旧来の正しいやり方に拘り、自己の存在価値をかけて対峙する。
私がデータ処理会社で働いていたとき、時代はメインフレームと言われる大きなコンピュータがマシンルームに納まりエアコンを効かせた冷蔵庫の中のような部屋でオペレーションをしていた。マシンルームには、納品するデータ処理の出来上がりを待つデリバリー会社のバイクの運転手が待機していた。コンピュータは高額で、多種多様の仕事に使われていてそれこそ分刻みで予定が組まれていた。工学系の大学院で研究していた学生も同じだ。東工大があった大岡山駅の近くにあったから、東工大の大学院生がアルバイトに来ていた。学校のコンピュータガタイムシェアで思うように使えなかったが、その会社でバイトしていると会社のコンピュータガ自由に使えた。そのかわり会社の仕事も安いバイト代で手伝うのが条件だった。ある夜、深夜にマシンルームで大学院生と二人きりで仕事をしているとき、院生が自分の進路選びは失敗だった、と語りだした。大学院生だから二十代前半だろう。「自分がいま研究している技術は、30歳になるまでにはだれも使わなくなる。技術の進化に取り残されないように一生勉強の人生です」と。そんなことをすっかり忘れていた数年前。ある工業会の賀詞会を取材していたら富士通の社員と話をする機会があった。そこで私が使っていたコンピュータ名『FACOM(ふぁこむ)』の名を出しプログラム言語COBOL(こぼる)の名を出すと、時代遅れの私を蔑むように『ふぁこむ!』『こぼる!』と大きな声を出して笑った。この世界で生きている典型的な嫌な人種だった。大学院生君はどうしただろう。そのデータ処理会社は、私が退社後数年で倒産してしまった。退社直前、ファミコンが出てきた。わたしはゲームの攻略本企画を提案したが、コンピュータガネクタイをしていたようなシステム部長が「これだから素人は困る。コンピュータの世界は何ミクロン、何マイクロ秒という単位で状況が変わる。そんな本を作れるわけがない」と頭から否定した。しかしそれから半年もしないうちに書店の雑誌コーナーにはゲームの攻略本で溢れかえるようになった。製造業界がこれから相手にしなければならないのは、こうした感性の人種だ。しかもアルゴリズムは彼らの管轄下にある。やれやれだ。
最後に最近テレビですっきりした番組を見たので一言書き添える。それはNHK総合テレビ『プロフェショナル仕事の流儀』だ。「いつも厨房から家族を思って=スーパー総菜部長 梶原正子」という番組だ。苦労して4人の子供をシングルマザーで育てた女性が、スーパーの総菜部にパートで職を得てから彼女が現場で作ったお惣菜が人気を呼び、全国のコンクールで確か4連勝だ、という話だ。独創的な創作料理で、いまでは総菜部長になり売り場に出ている食材を自由に使ってレパートリーも増えている。彼女が閃いた即興の料理を職場の皆に振舞って意見を聞く。それは梶原さんだけでなく、職場の皆さんにとっても楽しい時間だろ。