岩波徹の視点
ドキュメンタリーとドラマ
ジェンダー平等の時代にこんなことを言うと叱られるだろうが、テレビを見るとき男性はニュースやドキュメンタリーを好み女性はドラマやバラエティを好む傾向にある、と長年信じてきた。最近は内容のリアリティが高まってきたと思うが、昔のテレビドラマは“ウケる”ことが大前提で、ストーリには無理があって当たり前だった。現実との乖離が目に付いて「そんなことあり得ない」などと口走ってしまい、一緒に見ている家族の気分を害してしまった。
米国のテレビに『キャンデット・カメラ』(隠しカメラ)という番組があった。ボーリングの上手なハイティーン男子が彼女を連れてボーリング場にやってきた。彼女の前で格好良いところを見せようという魂胆は丸見え。しかし番組プロデューサはボーリング場の機械に細工をして、彼の投じるボールはガータなどが続きなかなかストライクが出ない。一方、彼女が投じるボールはヨロヨロと進みながらピンまで届くとパタパタ全てのピンが倒れてストライクになる。彼氏の顔つきはだんだん変わり最後には怒り出すと、という内容だった。一方、日本にも似て非なる番組があり『どっきりカメラ』といった。あるとき大きな公園で植栽の手入れをしている老女の背後からクマのぬいぐるみを被ったテレビ局の人が近づきその女性が腰を抜かすのを見て笑う、という胸糞の悪い内容だった。この手の下品な笑いが嫌いで民放を見ることがなくなっていった。
個人的には 1960 年代からNHK『新日本紀行』(1963 年 10 月7日~ 1982 年3月 10 日)に大きな影響を受けた。富田勲作曲のオープニングのテーマ曲は旅情を誘う名曲で、長い連続放送の途中で1回、曲が変わったがどちらも好きだ。初代の曲はオープニングテーマに続いてすぐに軽快なリズムが流れ颯爽と走る鉄道の映像にピッタリだった。オホーツク海の海岸線をSLと共に1台のクルマが国道を軽快に走る映像が記憶に残っている。二代目のテーマ曲は雄大なスケールで、経済成長を続ける日本に相応しい曲だ。ブラスセクションのテーマで始まると、どこまでも続く日本アルプスの山並みが一望のもとに臨める、そんな映像にピッタリで、これから始まる内容に期待が膨らんだものだ。
『新日本木紀行』をネットでクリックするとかつて放映された全タイトルがリストが現れる。当時はビデオ技術が未熟で高価だったので、この番組では映画と同じようにフィルムで撮影して編集されて全部が残っていて、いまでもアーカイブスで見ることが出来る。そのリストを出力して記憶を絞り出している。
『合掌造りの村』(1970 年5月 11 日放送)は岐阜県の白川郷のことではない。その北側、富山県五箇山の合掌造りだ。そこで歌われる『麦や節』の歌と踊りは躍動感あふれるもので、日本の芸能に対する見方が変わった。『鯉の住む町~島根県津和野』(1971 年4月 19 日放送)では、森鴎外の生家が出てきた。江戸時代の風情の残る町に張り巡らされた用水路には多くの鯉が泳いでいた。新鮮な驚きは新婚旅行先に選んだほどだ。『江刺追分~北海道・江差町』(1971 年 10 月 18 日放送)は、朝から晩まで一日中、江差追分ののど自慢大会が開かれている江刺町の様子。日本の歌謡技術の“小節”を知ったのはこの時だ。『哀歌の通った道~信州秋葉街道』(1973 年5月 28 日放送)は、江戸時代大奥のスキャンダル、奥女中の江島と役者・生島の許されない恋が露見して江島は高遠に、生島は八丈島に流された話。高遠から秋葉街道を南下すると遠山谷、秋葉神社があり焼津に出るとそこから八丈島にでる船があった、と伝わる可哀そうな話だった。こんな話を続けても意味はないがひとつだけ心の温まる話を。
『歌が生まれてそして~長崎県奈留島』(1976 年4月 12 日放送)は、小さな島にある奈留島の高校は“分校”で校歌は本校の歌を歌っていたが、環境が違うために奈留島高校にそぐわなかった。まもなく卒業する女子高生が、当時“飛ぶ鳥を落とす勢い”で人気のあった荒井由実ことユーミンの深夜放送に投稿した。「自分たちの歌を作って欲しい」と。その葉書に目をとめたユーミンは想像力を駆使して『瞳を閉じて』という曲を提供した、という話だ。その奈留高校は、その曲を愛唱歌として採用し校庭に歌碑を作った。その除幕式にユーミンがやってきたというのが改めて放送された。
いま物価高騰で苦しんでいる人が多いが、テレビ番組の制作費もうなぎのぼりだろう。その結果、再放送が増え、スタジオには顔の売れたタレントがたくさん出演して、賑やかに時間を潰している。笑って食べているだけで中身はほとんどない。視聴率を基準にして判断されるために、その場限りの刺激的な発言が増えて、テレビを見る人はドンドン少なくなっている。
そして本を読む人も少なくなった。しかし司馬遼太郎の『街道を行く』は手に取って欲しい。学校で社会科の授業がつまらなかった、と感じている人は多いと思う。地理は地理、歴史は歴史として勉強していては、社会をトータルに理解する頭は育たない。ある街道に立ち、その街道の地理的な位置づけ、地球物理的な情報、そこで行われた歴史的な出来事、をトータルに理解できるのが『街道を行く』の存在意義だ。その7巻『砂鉄のみち』では古代に朝鮮半島から渡ってきた砂鉄による製鉄技術が、平安中期以降に本家の朝鮮半島よりも良質となり、農具、大工道具、調理器具に展開して、日本社会の向上に貢献した。
日本人は情に流されやすく、理屈っぽい人は好かれない。嘘っぽいドラマのほうが笑って楽しく過ごしていける。しかし、デカルト以来、理屈っぽいことが当たり前の欧米社会と付き合うには、理屈家に対応する訓練が必要だ。そのためにはいまのテレビ業界が、初心を取り戻して欲しいと願っている。