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ー 科学と技術で産業を考える ー

ことラボ・コンテンツ

岩波徹の視点

ヒトの偉さを検証する

2025 年 11 月 26 日

 最近、書店で立ち読みしただけなので正しい情報か否かは定かではないが高校生向けの「生物」の参考書を見たときに“系統樹”が載っていないことを知った。いまの「生物学」では系統樹という考え方は使わないのだろうか? 自分が高校生のときの『生物B』の教科書を開くと「表2」と「表2対向」の見開きの2頁に(つまり本を開くと直ぐに)「系統樹」が載っていた。地球上の全ての生物がどのような進化で登場してきたか、繋がりが判るように図式化されて1本の大樹で示されていた。系統樹の下に「単細胞生物」がいてアメーバになりに進化して左右に分かれ、動物と植物に分岐していく。それぞれが進化していき、中央の最上部にわれわれ人類=ホモサピエンスが“霊長類”のトップとして睥睨して全ての生物を見下ろしている、それが系統樹だった。
 それから半世紀以上が経過したいまは「分子生物学」や「遺伝子工学」などの成果で、「生物学」は私が高校生だった頃とはまるで違う科学のようになっているだろう。私が将来の方向を見いだせずにいた頃、あるテレビ番組から強烈な衝撃を受けた。話をしていたのは比較解剖学を研究している大学教授だった。「狼に追われたウサギは必死に逃げて藪の陰に隠れました。しかし呼吸 はハーハーと乱れて狼に悟られてしまいそうです。人間なら藪の中で“息を殺して”隠れることが出来る。それは進化している。しかし、それは身体の神経系組織が呼吸や循環器などの生存系組織より強くなった結果だ、という。ウサギは人間より脳などの神経系組織は発達していないので息をひそめることが出来ない、と説明された。系統樹の頂点に君臨する“ヒト”の一員として鼻を高くした。しかし、それだけなら記憶に残らない。
 その教授の話は続いた。生命の危機に直面していなくてもヒトは呼吸を止めてしまう。例えば辞書で目指す文字を捜すとき、見つけ出すまで息を殺したりする。それが呼吸などの生存系組織を圧迫する。もし生存系組織にストレスを与えなければヒトはもう何十年か長生きできるのではないか、と。すると、あの系統樹で示された「進化」の裏には、素直に喜べない秘密がありそうだ、と思った。
 そんな頃に英国の動物行動学者デズモンド・モリスが『裸のサル』(1969 年)という本を出した。“霊長類”などと気取って生物界のトップに君臨しているが所詮は毛の生えていないサルではないか、と人としての誇りもメンツも小ばかにしたような本で、それを契機に人間本位の価値観に疑問を持ち始めた。ヒトはそんなに偉いのだろうか?
 1962 年には米国の生物学者レーチェル・カーソンが『沈黙のはる』を著わし、環境問題の警鐘を鳴らしていた。戦後、日本に来た米軍が日本中に振りまいた殺虫剤DDTなど自然界に存在しない化学物質で生物系に深刻なダメージを与えていると警鐘を鳴らした本で、大手の化学系大企業から猛攻撃を受けたが彼女は戦い続け、時のケネディ大統領を動かした。
 ヒトが生態系の頂点にいて「地球のことは人類が好きにして良い」という風潮に危機感を抱く人が増えてきた。こうした傾向に対して『成長の限界』というコンセプトで世界に向けて警鐘を鳴らしたグループも現れた。高いデザイン性が印象的なタイプライターメーカのオリベッティ社(現テレコムイタリアグループ )が中心になった「ローマクラブ」だ。1968 年のローマでの初会合のあとに、1970 年にスイス法人として設立された国際的な民間組織・未来研究団体で、科学者や経済学者、経営者などで構成され、人口増加、環境汚染、資源枯渇といった人類が直面する危機について研究・提言を行い 1972 年に『成長の限界』として発表した。科学技術の進歩とそれに伴う人類の行動に起因する危機(公害、環境破壊、貧困、天然資源の枯渇など)をシステム分析し、回避策を探求・提言した。科学者、経済学者、政策立案者、教育者、企業経営者などで構成されていて、この精神が脈々と受け継がれて『持続可能な開発目標=SDGs』に連なっている、と考えている。こうした世界の流れの中に“日本”は出てこない。そこでいまの“クマ騒動”だ。
 ニュースでは毎日のように「人がクマに襲われた」と報道される。自衛隊まで動員されてきた。なにか変だ、と思う。これだけ騒がれているのに“一人でキノコを採りに行った”から襲われて、その熊は駆除される。“放送コード”があるのだろうが、その様子を流してみるがいい。箱罠に閉じ込められて撃ち殺される。動物愛護運動の人から猛抗議が殺到するだろう。しかし被害者には申し訳ないが、クマよりヒトのほうがはるかに優位な立場にいる。ヒトの安直な行動で野生のクマを撃ち殺すことは正しいことだろうか?クマ牧場にいる赤ちゃん熊が可愛かった、とよく言われる。みなが大好きなジャイアントパンダは「大熊猫」と書く、熊の仲間だ。サーカスでは愛嬌のある仕草で人気がある。くまモン人気はつい先日のことだ。それが今では邪悪な野獣のような扱われ方だ。
 どんぐりが不作なこともあるだろうが、いま「脱炭素」を錦の御旗にして、不振の林業に変えて森林を切り開き太陽光発電装置“メガソーラー”や巨大な風力発電装置が設置されることが正義とされている。銚子方面に取材に行ったとき風力発電の風車のすぐ横を通ったが、その時に感じた威圧感は簡単には表現できない。音にはならない低周波の振動を感じて、多くの野生動物は嫌がっているだろう。広大な森林を切り拓いて太陽光発電装置を設置しているのもヒトの都合だ。ヒトの都合で山の中で進んでいる開発は、野生動物を追い込んでいるのではないか。金儲けに走る人には野生動物への配慮は考えられない。クマ被害を報道する際には、ヒトが環境をどれだけ破壊しているかの情報も客観的な数値で伝えるべきだ。例えば、広さ何平方メートルのソーラーパネルが何年前に出来上がりメンテナンスのために定期的ヒトがやってくるようになった、とか、風力発電用の大型風車が何基、いつから稼働するようになっている、など。そうした情報からいまの産業界の開発姿勢がSDGsの観点からも是認されるべきものか否か、議論するスタートラインと考えるべきではないか。
 報道によれば「キノコを取りに行った」とか「散歩をしていた」とか、熊に喧嘩を売りに行ったのか、と聞きたくなる。自分は熊さんに悪いことはしていない、と人間サイドの考えでことを興している。いま“熊は猛獣”となってしまったが、そのようにしたのは人間ではないか。単なる猛獣被害のニュースだと澄まして欲しくない。