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ー 科学と技術で産業を考える ー

ことラボ・コンテンツ

岩波徹の視点

「産業」は置いてけぼりか

2025 年 10 月 15 日

 ことづくりラボSTIのSTIは、Sは科学「Science」で、Tは技術「Technology」を、Iは産業「Industry」を表している。科学に裏付けされた技術で産業を考えることを意識して社名にした。しかし「産業」というのは、現代の私たちの生活に重要なものだが、社会を構成するユニットのひとつにすぎない。ある財団の式典に来賓として参加した通商産業省(現・経済産業省)の製造産業局長が、当日の参加者に製造業界を支えてきた産業界の重鎮の多いことに感じるところがあったのか「皆さんは通産省というと力のある役所だと思われているようだが霞が関ムラでの位置づけは皆さんが思うほど高くない。国家の金庫である大蔵省(現・財務省)や国土を作る建設省(現・国交省)、国民の健康を司る厚生省(現・厚労省)、国民教育を考える文部省(現・文科省)など国全体を見ているが私たちはせいぜい“産業界”を見ているだけです」というスピーチだった。これを聞いた参加者は“役人の軽口”と思ったのか皆笑っていたが、私は考え込んでしまい、今も忘れていない。
 さて日本の政界は、四半世紀続いた自公連立政権が崩壊して、今後の政治がどのような状況になるか固唾を飲んでいる(それにしても高市総裁が公明党との会談後に“一方的に離脱を言われた”とメディアに語ったのは驚いた)。
 政治のことは素人には判らないだろう、と二世議員、三世議員が溢れているのが政界だ。しかし産業界から見ると、上記のように税金や国土や国民の健康・教育を考えるのが政治だとしても、社会を構成する重要なユニットのひとつである産業に対して政治がどのように見ているのか、一度考えてみるべきだ。それを端的に理解できる資料がある。
 先の参議院議員選挙で配布された『選挙公報』である。これまで真剣に読むことはなかったが、今回は真剣に読んでみた。「物価」や「社会保障」や「子育て」など、国民皆に関係するテーマばかりで、それも耳触りの良い言葉のオンパレードだ。ところが「産業」という言葉は参政党の広報に一ヵ所に登場していたが、具体的には記述されていなかった。他にはどこにも出てこない。
 そのくせ政治家は「新しい産業を興して社会の停滞感を打ち破る」ようなことを言いたがる。政治家が「新しい産業を!」と唱えると天から降ってくるとでも思っているのか? 産業の基礎になる「技術」も「科学」も健全に育っているのだろうか。幸いなことに今年のノーベルでは生理学・医学賞に坂口志文氏(大阪大学特任教授)、化学賞を北川進氏(京都大学副学長)が受賞した。同時に日本における研究者の研究環境は悪化する一方だとの指摘が続出している。とくに“ 30 年後にノーベル賞が取れる”ような「息の長い基礎研究」に研究予算が回ってこない、と言われている。
 「失われた 30 年」と言われた 1990 年代からの 30 年で、研究環境は大きく変わった。30 年前に日本が“Japan as No1”に浮かれていた頃、日本の工学系の大学院には中国からの留学生で溢れていた。そればかりか日本人がいない、とのニュースを見たことがある。製造業はキツイ、キタナイ、キケンの3K職場だ、と若い人が製造業から離れていくときも日本は次の産業ビジョンを持っていなかった。それどころか日米半導体摩擦では、米国の圧力に負けて世界の半導体市場の 70 %を誇っていた日本の半導体産業は 1990 年代以降に急速に国際競争力を失っていった。つまり日本の“政治”は半導体産業を守らなかった。
 この頃、“改革開放”で急速に追い上げてくる中国と製造業から情報産業にシフトしていく欧米社会に対して「日本は大丈夫か?」という声が上がったが「大丈夫だ」と声を大にして日本の産業界を応援した人がいた。政策研究大学院大学の橋本久義名誉教授だ。
 「塗装だとかメッキだとか鋳物だとか、鍛造だとかプレスだとか金型だとか、板金だとか熱処理だとか溶接だとか、機械加工だとか研磨だとかダイカストだとか、そういう業種がなくなっちゃったらですヨ、いやウチの国は最高級の品物だけ作らしていただいて、て、そうは行かないの。皆さん方はよくご存知だと思いますが、鋳物やさんとかメッキやさんとか溶接やさんとかいう人たちは、安物のほとんど儲からない、それをダーッとやってないと、やっていけないんですね。そこで設備を何とか償却して、で時々割りの良い注文が来たら、そこは儲かる、そこでなんとか息をつく、という生活をしているわけでありまして、そういう安物の、量の出る仕事をやらなくなっちゃったら、そもそも業態が維持できない。従って米国、ヨーロッパではなかなか難しくなっちゃった、で、世界の中でだれか、こういう仕事をしている国がどこかにあるはずだ、と探してみると、なんと、中小企業の社長が、指じゅうを血だらけにして、崖っぷちにしがみ付いている国があった。日本なんです。だから欧米諸国で対応できなくなった、中国ではなかなか賄えない需要、これはむしろ日本に来るに違いない。ということであります。」と、日本小型工作機械工業会(現・日本精密機械工業会)の 50 周年記念講演で語っていた。
 日本には、こうした中小企業の社長さんたちが頑張っているから大丈夫だ、と私も思っていた。あれから 20 年以上が経過して状況は大きく変わった。町工場の数は目に見えて減少している。産業界はそれを「個社の問題」と片付けるのが自由主義、資本主義だ。しかし産業界がおかれている環境は悪化して行くばかりだ。例えばいま日本の金型産業が苦戦を強いられている。金型作りにはデジタル化できないいわゆる“暗黙知”が多く、職人の技能に依存する領域が多かった。その分、高額なコストもかかった。親会社が金型の内製化を目指したのも当然だった。金型産業が縮小していった理由のひとつがそれだ。また高齢化と後継者不足も挙げられている。さらに「100 年に一度の変化」に直面している自動車業界の停滞も加わって、帝国データバンクが『金型産業が苦境「倒産・廃業」4年連続増加』というレポートを 10 月7日に発表している。それによると、2024 年度の業績では「赤字」が 37.3 %、「減益」が 23.0 %で業績悪化が6割を占めた、という。
 その金型産業だが、例えば大手の親会社の金型部門を一手に引き受けていた技術力のある金型メーカが、その親会社のM&Aや倒産などでその金型メーカの与り知らぬ事情で“連鎖倒産”してしまった、とする。その会社は創業以来黒字で法に決められた法人税も滞りなく納めてきた、とする。それでもそれは“個社の問題”だろうか? もちろん各種の保険に加入して被害は最小限度に留める努力をしていても、その現場が持つ技能やノウハウは雲散霧消してしまう。
 わたしたちは自由な競争環境に身を置いて産業界を成長させてきた。しかし 21 世紀に入り情報化社会が進展して行っても、いわばアダム・スミス的な哲学で社会を見ていても良いのか。政府はあれこれ理由をつけて私たちから金を奪っていく。可処分所得が減っていくことばかりに目を奪われているが、取られた金の使い道を冷静な目で見ていくことも必要だ。
 そして産業界を前に進めるためには、この国のかたちを見直すことが必要だが、「タテ社会」で「前例踏襲主義」のこの国で成果が上がるのを待っていられる状況ではない。まず貴重な成功体験を得るための近道がある。それは「財団法人の活性化」とふるさと納税を模した「研究開発支援減税」の導入だ。
 世の中には一定の基金をベースにした財団法人が数多く存在する。この工作機械を中心としたFA業界にも牧野フライス製作所、ミツトヨ、アマダ、オーエスジー、ファナック、マザックなどが論文表彰や研究助成を行っている。しかし管轄の総務省の運用に融通性が乏しいために各財団間のコラボなどができないという。表彰対象の拡大に運用がついていけず、ハイブリッド化していくテーマに弾力的な対応が難しくなってきたという。そこでこの財団の守備範囲を拡大して「これから成果を上げる可能性」も評価できるようにしたらどうだろうか。
 さらに研究開発を応援する新たな財団(例えば「産業技術支援財団」)を設立して、科学と技術を成長させる一助にしたらどうだろうか。あるいは産業技術総合研究所(産総研)の中に設けても良いと思う。万能細胞iPS細胞で新たな医療の世界を切り拓いている山中伸弥先生が「iPS財団」への寄付を呼び掛けている。iPS細胞により視力が回復したというニュースを聞いたとき、「科学」と「技術」の成果だと嬉しかった。「ふるさと納税」で美味しいステーキを食べることも大切だが、日本の産業の将来のために「基金」をつくり、寄付した人は控除の対象になる、とすればこの手詰まり状態を打開できる、と信じている。「研究開発支援減税」は検討の価値があると考えている。