岩波徹の視点
製造業と道徳・規範
企業のM&Aについて前々回の視点で「工作機械とM&A」に私見を述べたが、意見交換していて“なるほど”と思うことがあったので、続編をまとめた。
法学を志すと最初に学ぶことのひとつに“法と秩序”の問題がある。制限時速 50 kmの道路をすべてのクルマが 60 km/hで走っているとき、すべてのクルマは速度違反をしているが“秩序はある”と言う。つまり「人が決めたルール=法律」よりも「社会の運用=秩序」を考えることが大切だ、と私は学んできた。現代社会を構成する様々な法律も、批判的に検証しないと社会は変な方向に走っていく。その弊害が目に見えるようになってから騒いで、それを規制するための法律を作ったりする。“論破しがたし、されど納得しがたし”という感性を忘れると、姿の見えない悪者に好きなようにされてしまう。
現代の商業ルールではM&Aは正当な商行為であり、公権力は介入できない、と得意げに話す人が何人かいた。決められた法律に従うのが市民の務めだ、と顔に書いてある。国民の皆さんがこのように考えているなら為政者は楽だろうな、と思う。しかし上述したように、「社会」は「法律」より上にあるもので大切にしないといけないのは「社会」のほうだ。日本では、体制を批判的に見る人が増えると権力者は困るので、「教育」「メディア」「地方のボス」などあらゆる手段を使って従順な国民を作り出してきた。世界でも稀な国だ。東京測範のOBから、「あれはM&Aの名を借りた企業解体だ」と言われたが、「M&Aは正当な商行為だから違法ではない」と素朴に信じている人が多いのは、この国なら仕方がないか、と思う。
しかし本稿はここで終わらない。2008 年の“リーマンショック”は記憶に新しい。誰も違法なことはやっていないが、商道徳的には問題ではないか、という事例だ。法に触れなければいいでしょう? と問いかけてくる。フィナンシャルタイムスの東京支局長だったジリアン・テッド氏がまとめた『愚者の黄金~大暴走を生んだ金融技術』(日本経済新聞出版社 2009 年)は、J・P・モルガンのデリバティブ事業の若者たちがフロリダの高級ホテルに集まるところから物語は始まる。誰も法に触れてもいいから金儲けをしようとは思っていない。現行のルールの中で、どうやれば元手もかからずに大儲けできるか、無邪気に考えている。そして“金融商品”を設計して売りに出して、リーマンショックを引き起こした。法には触れないが、社会秩序を乱したことは間違いない。
金融工学は門外漢だが、デリバティブについて説明を試みる。リーマンショックの主犯は『サブプライムローン』だが、これを意地悪く説明する。社会生活が活発になり経済活動が活発になると手元に現金がなくとも“信用”で、金銭価値のやり取りが可能となった。しかし、借りた金を返せなくなった債務者は、経済活動から締め出される。そこで頭の良い金融業界の若者が、いくつかの返済確率の低い債権を組み合わせて、それに価格をつけて売りに出す。“いくつかの債権”というのがミソで、その金融商品の正当な価格は判らない。乱暴な例えだが、刺身売り場に行くといろいろな魚の“端切れ”を集めた「お徳用パック」的なものが置いてある。端切ればかりだから盛り付けなどされていないし中身の保証もない。運が良ければ大トロもあるが筋だらけの赤身もある。運次第なところが面白い。そこに価値を見出せば売り物になる。その価値を担保に、資産を持たない人たちが不動産を取得したが、結局価値はなかった、という物語だった。「信用」とか「確率」という怪しげな概念を駆使しているが、冷静に考えれば“詐欺”に近いストーリだ。ニデックの味方をする人は多分、サブプライムローンも立派な商行為と考えているのだろうが、私は“ほぼ詐欺”だと考えている。
技術は、その方法を解明できれば多くのモノは簡単に模倣されてしまう。第二次世界大戦中に原爆開発を競っていたドイツやソ連、英国、米国、日本の中で、米国が完成させた。この情報が流れると手探り状態だった各国は「核エネルギーの利用は可能だ」と開発に拍車をかけた。M&Aで傘下に収めた企業の秘密など、簡単に流出してしまうだろう。「ニデックは悪くない」と言う人は、商社系の人が多いと思う。技術を生み出すことより、ものの売り買いに長けている人々は、法に触れなければ問題ないと考えそうだ。
国内では「製造業立国」とか「ものづくり大国」などの言葉が溢れているが、人間はどこでもモノを作っている。日中国交回復前の 1962 年に両国の港湾労働組合の交流で、父が約一カ月にわたり中国を回ってきた。その時の土産にしんこ細工でハイハイする赤ちゃんの人形があったが、それが僅か5cmくらの小ささ。それなのに赤ちゃんの掌にはちゃんと5本の指があり爪までついていた!文化大革命で、その人たちがどうなったか判らないが、手先の器用さを自慢するときには中国の職人たちが目に浮かぶ。ことさら「立国」とか「大国」とか言わなくても、世界中の人々はモノを作り生きている。もう少し客観的に冷静に世界を観察すれば、このような慢心は消えるのではないか。
ヘッジファンド、デリバティブ、レバレッジなど“金融工学用語”が英語ばかりなのが私には嬉しい。こうした日本を「遅れている」と訳知り顔でいう人がグローバル経済人なら、そんな人間にはなりたくない。『強欲資本主義 ウォール街の自爆』(神谷秀樹著 文春新書 2008 年)をお勧めする。この本位は“この世でもっとも強欲な職業”が登場する。少なくても製造業ではない。