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ー 科学と技術で産業を考える ー

ことラボ・コンテンツ

岩波徹の視点

工作機械とM&A

2025 年 03 月 12 日

 いま工作機械産業界を不安にさせているのはニデックによる牧野フライス製作所への敵対的株式取得(TOB)の問題だ。2月 12 日のこの「ことラボSTI」の視点『現場に残る”魔法の粉”』にも書いたが、この問題を経済活動の一環と感じているなら大きな間違いだ。資本主義で自由競争の原理だから問題ない、と言う人もいるがとんでもない。自動車向けの小型モータを作っているニデックと母なる機械(マザーマシン)を創る牧野フライス製作所を同じ土俵で議論すること自体が基本的な誤りだ。この問題に関しては“反対だ”という観点で触れてきたが、そもそもなぜ反対なのかこの問題をどのように理解するべきなのか、についてまとめた。
 ニデックグループにはOKKも三菱重工・工機部門もあるではないか、と考えているなら認識不足だ。私にはどちらにも知人がいる。OKKは質実剛健を旨とする根強いファンを持つ企業だが、あるゾーンに限られている。三菱重工の工作機械部門は、一般論になるが日本の製造業が抱えている“宿痾”を象徴する企業だ。大手製造業の“工機部門”は多くが「ぞんざい」に扱われていて、その結果として売却された。この問題は本稿の対象外なので別途考えるが、ここではトヨタにも日産にもホンダにも、生産設備を造る「工機部門」があるが、各社ともその工機部門を大事にしていない、とだけ言っておく。
 ものを作る仕事を“製造業”と表現するが、その世界に分け入ってみると簡単で判りやすい世界から複雑で全体像が見えにくい世界まで、“製造業”のひとことでは片づけられない幅も奥行きもある世界だ。「製造」だけではなく「設計」「組立」「販売」「保全」「修理」「販売」など、ひとつのものの製造には関連する様々な世界が必要だ。さらに製造現場では具体的に働く「ハードウェア」とそれを効率よく動かす「ソフトウェア」ばかりではなく、現場のノウハウを回していく「サードウェア」が重要だ。サードウェアとは「ことラボSTI」が提唱している概念で、ハードとソフトがあってもモノは作れない。それを補完する様々な製品や技術・技能を総称して「サードウェア」と呼んでいるが、消耗品や潤滑、切りくず処理など多様な問題を扱っている。ここには今の製造業が直面している多くの問題が潜んでいる。
 ものをつくるときに必要な工作機械は、あらゆる価値を生み出す源泉だが、それを生んだのは欧米社会、とりわけ英国だ。文明開化期に日本は、工業製品とそれを作り出す工作機械を輸入したが、工作機械を生み出す“大事さ”は輸入しなかった。その結果、いま何が起きているかというと自動車をはじめとした大手製造業は、工機部門の評価を下げ、必要なものは外部から調達すれば良い、と考えだしている。このような環境の中で、加工に必要な技術を開発しユーザーに提供するのは工作機械メーカーの最上位の企業だ。牧野フライス製作所は、それを実現している企業のひとつだ。ユーザー側のニデックが手を出すなどお門違いだ。金さえ出せば何をしても良いと考えているのはどこかの国の大統領のようだ。

コンピュータ万能の時代
 いまは廃刊になっているが 1960 年代に『コンピュートピア』(コンピュータ・エージ社刊)という雑誌があった。町の書店で“小僧”をやっていた時に卸問屋から送られてくる段ボールの中でひときわ目立つ大判の雑誌だった。コンピュータが築く新しい世界“ユートピア”ということだ。なにやら凄い機械らしい、ということは判った。当時の友人から、将来、人間が考えることは全て人工知能が変わりにやってくれる、とまで言われるとついて行けなかった。しかし、今の世界を見ると、そのようになっているから不思議な感覚になる。

デジタルエンジニアリングの暴走
 さてデータ処理会社でコンピュータの威力を経験した私は、1990 年代に製造業界とくに自動車業界で“見える化”が取りざたされるようになったときにこの「コンピュートピア」を思い出した。当時のエンジニア達が言うには、製造現場には様々な“暗黙知”が潜んでいて、それが多くの場合に障害になり、現場の自動化などの生産性向上を阻んでいる。ここの加工はAさんじゃないとできない、などと言ったら先に進めない。これを“見える化”することで数値に置き換えればデジタル化できて、現場の全員で共有化できる。生産性が上がる、というロジックだ。
 すると「見える化」が進めば、伝統のある工作機械メーカーの技術も誰にでも理解できる、と考える者も出てくるだろう。そうはいかないのです。製造現場には多くのノウハウがあり、すべてが見える化できるわけではない。一口に製造業と言っても、自動化が進み、生産ラインに材料を投入すれば出口には完成品が出てくるものもあれば、工場内のエリアを区切って、ショップにしてそこに材料などを運び込んで組み立てていく“屋台方式”もある。
 サーボモータの組立工場で、ロータのコアを組みつけたシャフトを“釜”のようなものの中に降ろすとズボッと音がしてコイルを巻きつけたモータコアが引き上げられてくるのを見たことがある。当然、そこには難しい技術が組み込まれているのだが、素材を吟味して締め付けトルクを確認しながら組み立てていく工作機械では、求められる技術が異なる。どちらが上かという議論ではない。
 牧野フライス製作所には、派手なことを嫌う社風がある。しかし完成度の高い製品を作り続ける秘訣を知りたいと外野からの干渉が尽きない。そして勝手に「金型に強いマキノ」などと呼んでいる。しかし牧野は自分から「金型のマキノ」などとは言ったことはない。
 原則として、部品加工はラインに乗って被削材がやってくる。必要な加工を素早くやって次工程に送り込む。加工の正確さと立ち上がりの俊敏さ、ONとOFFの切り替えの速さなどが求められる。一方の金型加工では、原則として一つの工具を使い長時間かけて素材を削り続ける。時間の経過とともに熱膨張が始まり加工精度に狂いが生じるが、それを起さないように熱対策をたてる。削る工具も大変だがそれを支える機械本体も、しっかり作り込まないと金型加工には使えない。牧野フライスは、主軸の発熱を抑える『軸芯冷却/アンダーレース潤滑システム』を開発している。工作機械としては最高位にランクされる。またアルミやチタンが多く使われる大型航空機部品の加工に圧倒的な強みを発揮する『MAGシリーズ』は、航空機部品加工の世界を変えた、と言われるほどの革命的な技術に溢れている。
 何でも『見える化』することにより、乗っ取ってしまえば手の内が判るだろう、と考えているとしたら全くの誤解だ。見える化できない技能の塊から最高位の工作機械が生まれてくる。ニデックがいままで行ってきたことから推測すると、テイクオーバーした企業の中で欲しいものだけ取ったら元の姿が残らないほど解体されてしまうだろう。あれこれ手を広げて“器用貧乏”だった東京測範の例を思い起こすとゾッとする。
 80 年代に米国の工作機械産業が衰退していったのは、工作機械メーカーの資産価値に目がくらんだコングロマリットが、著名な工作機械メーカーを次々にテイクオーバーしてそれをバラし、小分けして高値で売って投資資金を回収したからだ。(この辺の背景は『潰えた野望~バーグマスターはなぜ消えた』(マックス・ホランド著・ダイヤモンド社)に詳しい)。それを米国の“脱・製造業”と騒ぎ、米国は金融とIT技術に走った、と言われることが多いが、それは全くの間違いだ。米国がやめたのは“工学部のものづくり。すなわちコスト競争で価格が下落する仕事”で、軍需や医療、宇宙開発などには依然と強い力を持っている。表面上は似ているが米国のようなことをやっていたら軍需も医療も宇宙もない日本は、製造業が根絶やしになってしまう。いま起きていることは、資本主義を突き詰めていくと起こる現象だが、日本が真似ていては取り返しのつかないことになる。失ったあとでは取り返しのつかないことが進んでいる。産業を支える各方面の識者は「自由主義経済だから」などとのんびりしたことを言わないで、この問題に真剣に取り組んで欲しい。『ニデックって何なのさ』と、こちらが聞きたい。