岩波徹の視点
2024年を振り返って
今年も目まぐるしく暮れていくが、皆さんにはどのような1年でしたか。世界が複雑になっていく中で、SNSの進化で情報量は増えていくのに私たちは何を基準にどのようなことについて判断しなければいけないのか、それさえ判らない時代になってきた。
話が深刻なものになる前に、今年の嬉しかったこと。
まずパリ五輪のやり投げで北口榛花選手が金メダルをとったこと。チェコ語も判らないのに、これだと思ったコーチに手紙を書いて押しかけた行動力。しかも競技は「やり投げ」。日本ではほとんど取り上げられることはない。五輪が近づくと途端にメディアは「メダルは何個」と根拠もないのに騒ぎ立てる。そんなに騒ぎたいなら、若い選手が活躍する陸上競技大会を日頃から取り上げろ! と言いたくなる。高校野球など、県大会の1回戦から中継があるのに、陸上競技の高校生の最高峰「インターハイ」はEテレで少しテレビ中継されるだけ。野球には昔からプロがあり、金銭感覚の鋭い大人たちが“純粋な”スポーツ精神とかけ離れた感覚で、即物的な世界を築き上げている。それは、わが子が野球で大成すればリッチになれる、と子供に期待する親なり“関係者”の期待が集約されている。いずれにしてもマイナーなスポーツのやり投げの金メダル、というより安直な野球ではないマイナースポーツでの成果が嬉しい1年だった。
さらに大谷翔平選手の本業の結果も嬉しいが、愛犬デコピンを連れて始球式をやったことは今年一番の喜びだった。マッチョな男どもが力と技を競うゲームの直前に、大観衆の前でボールを咥えて飼い主のもとに届けに走るなど、こんな演出を誰が考えたのだろうか。もし大谷選手本人なら、彼は本当に野球が好きなのだと思う。身の回りにいる、愛犬や奥さんも仲間に引きずり込む。彼と野球談議をしたらきっと朝までやっても終わらないだろう。
さて今年の一番ショックな出来事だ。それはJIMTOFで主催者が「公式ガイドブック」を作らなかったこと。コスト削減のためだという。多くの出展者が、カタログなどの資料は2次元コードで読み取ってください、としていた。出展者はコスト削減に努めるのは当然だ。しかし、既に出展者から出展料金を受け取っている主催者の「経費削減」が暴走して、金をため込もうと考えるなら、展示会の主催者になる資格はない。出展料金は出展者からの委託金だと思う。その金を使い、展示会を成功させるにはどうしたら良いか、知恵を出すのが主催者の仕事だ。しかし“冗費削減=コスト削減“は、資本主義が煮詰まった現代では思考停止に誘い込む魔法の言葉だ。
「公式ガイドブック」の製作は、削除されても仕方のないことか、を考える。JIMTOF2024に申し込むと多くの書類を主催者に提出する。それらはファイルされて今回展のすべてが記録される。しかし、出展者にはJIMTOF2024全体の記録は残らない。工作機械の展示会なのだから、工作機械を並べて、販売促進に効果があればそれでいいでしょ? と主催者が考えているとすれば大間違いだ。
ものづくりは生産設備があればできる、というものではない。目に見えない様々なものの総合力が必要だ。抽象的だが、文化と文明の違いを説明したい。機械設備は手順に従って電源を入れれば稼働可能だが、そこから“製品”が生まれるには目に見えないノウハウを動員する必要がある。
司馬遼太郎は、文明の恵みを享受するには手順に従って参加すれば、それだけでよい、という。しかし文化は面倒くさい手続きが必要だ。例えば、茶道の手続きは面倒くさい。お茶を飲みたければ、急須にお湯を入れれば目的を達成できるが、それでは茶道にならない。
JIMTOFという業界で最も重要なイベントを、コスト感覚優先で取り組んではいけない。海外から多くの工業会が視察に来ている。生産額では中国の後塵を拝していても、JIMTOFのレベルは高い、と思われたい。いまの運営は「貧すれば鈍する」への道を歩みだしたのではないか、と不安になる。
この「文明と文化」のことでもうひとつ。
12 月 18 日の日本経済新聞の朝刊に『ホンダ・日産統合へ』の見出しが躍っていた。資本主義社会では数字を基本に考えるから、司馬遼太郎がいう“文明”の領域の話だ。しかしクルマを作るにかかわる活動のすべては、数字では割り切れない“文化”の領域だ。これまでも多くの“提携”や“合併”などの事例があったが、今回の話には違和感がある。仕事柄、日産にもホンダにも接点があり、統合してもシナジー効果は発揮できないだろうと思う。その理由を紹介したい。
日産で懇意にしていた人々からは楽しそうな印象が薄かった。それはグループ全体ににじみ出ていて。関連企業からも同じような話を聞いたから間違いない。それは“疑り深い”というもの。ティア・ワン企業から、日産に新しい提案をしても技術そのものを評価する前に「他社はどうやっている?」と必ず聞く。しかも、他社の状況を判り易い表にして提出しろ、という。これに似たような話が全く別の場面で聞いた。ある機種~日本市場では3社しか参入していない機種。その購入コンペで敗れた企業が、あろうことか「3社の技術の差を比較表にしろ」と言われという。「うちは買ってもらえないので社内的にやれない」と断ると「次回のこともある。ポイントを稼いでおけ」と言われて表を作らされた、と。上記のティア・ワンの話をティア・ツーの会社にすると「何をいっている。あの会社だってこちらの提案に同じような対応する」と怒り出した。折角の提案を無視されたエンジニアは、折角だからと特許を申請する。そして特許権が切れると、ライバルの欧米企業が使いだす。役員が調べてみると自社の社員の特許だった。「どうして社内に告知しなかった」と上層部から叱られる。この会社には長居はできない、と大学院に入り「工学博士」になる。「工学博士が多い企業だから技術のニッサンと呼ばれるのだヨ」と話してくれた元役員は寂しそうに話してくれた。
一方のホンダはまるで反対だ。ホンダにアクセスするためのネタを探していた。1990 年代の中盤のことだった。知人のエンジニアから「ホンダが直進性の良いドリルを開発したらしい。それは外販するのか知っているか」と願ってもない問い合わせがきた。「そのようなテーマがあるなら大手を振って質問に行けます」と応え、所沢のホンダエンジニリングを訪ねた。有名な“社員食堂”で取材。「別に隠すことでもないから、余分があれば売るだろう」と言われた。結果的には“余分”はなく、外販はされなかったが、これを契機に所沢にはよく通った。
この最初の訪問で腰を抜かすようなことがあった。面会したHさんが突然1枚の紙を出し「これどう思う?」と聞いてきた。紙面には手書きでなにやら機械のようなマンガが書いてある。聞くと「加工後のワークに残る残留応力を取り除くために細かな鋼球をぶつける“ショット・ピーニング”という処理をするが、それだと面が荒れる。そこでガラスビーズと高圧水をぶつけると、表面はきれいなままで同じ効果が得られると思うんだ」と言う。「それは機械が完成したのですか」と聞くと。「まだだ。作るかどうか迷っているから意見を聞いている」と。なんと開発前の極秘事項ともいえる「開発案件」を部外者の、それも会ったばかりの私に聞いてきた。「完成したら記事書きますので教えてください」と丁寧に対応したつもりだが、プロのエンジニアに認めてもらえたようで嬉しかった。今なら、いや当時でもコンプライアンス上問題になるだろうから、彼の名前は伏せておく。そして、その『ガラスショット・ピーニングマシン』は 1998 年の大阪JIMTOFに出展されていたが、その発案者は米国に転勤していて、その場にはいなかった。
この「紙一枚」の開発案件は後に“ヤミ研”として話題になったいくつかの事例のひとつだ。ホンダでは年に何回か、2400 枚もコピーを取って社内に配布する“事件”が起きる。「こんなことを考えたのだが一緒にやらない」というお誘いだ。しかし事務所を見渡すと、皆さん忙しいそうで、隣の電話機が鳴っても隣の人は知らぬ顔で電話は鳴りっぱなしだ。「どうして取らないの」と聞くと「仕事が増えるから」とにべもない。「そんなに忙しいならヤミ研は成り立たないのでは」と聞いたときの回答が振るっていた。「ホンダで働いている人は“ホンダ”に入りたかったわけではない。みんな“F1やりたい”“二輪をやる”“エンジン開発だ”と、勝手にやりたいことを決めて入ってくる。だから配属された職場は嫌で嫌でしょうがない。「隙あらば」と、やりたいことに取り組もうとする。それを具体化したのが、あのとき配られた「ガラスショット・ピーニングマシン」だった。これはホンダの文化だ。
当時、自動車メーカーに他社のクルマで訪問すると、遠い駐車場を指定されて苦労する話を良く聞いた。初めて所沢のホンダを訪問して帰るとき「今日はおクルマですか」と言われた。「来た!」と身構えて「はい」と応えると「帰りは気を付けて下さい。お客様が交通事故を起こすと非常に辛くなるのです」と言われた。これをトヨタの方に言うと「うちなら、おクルマはトヨタですか」と聞くだろうな。これも一つの見解だと思うが…。
「統合」の具体的内容はまだ明らかになっていないが、DNAが明らかに異なる企業が協力しようとするときに無理に「統合」しなくても新しい企業関係を築いて欲しい。“資本主義”という数字で追いかける世界(文明)と、“ものづくり”という総合的な世界(文化)の違いを無視して「統合」という方向性が出てくるのは「100 年に1度」といわれる自動車産業の変革期に直面して我を見失っていると思える。慌てて時流に乗ることはない。