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ー 科学と技術で産業を考える ー

ことラボ・コンテンツ

岩波徹の視点

社会を劣化させる“視聴率”

2024 年 10 月 02 日

 最近の視点には「製造業と関係があるの?」というテーマが増えてきた。道を外れているのかな、と思ったりしていたが「大丈夫、この道を行こう」と考え始めている。
 以前の動画ニュースで東大名誉教授の吉川弘之先生が、自動車が誕生したときに既に馬車文明が始まっていた欧米社会では、自動車の有用性を社会に訴えるため盛んに論文を書いて啓蒙したと話された。製造業は社会と向き合っていた。しかし、明治維新で欧米の先進技術を丸ごと輸入して近代化を進めた日本では、従来の日本社会とは別のユニットとして「製造業」が始まった。社会との関係は希薄で、敷地の中で怪しげなものを作り、水俣病やイタイイタイ病などの「公害」という名の、不法行為がまかり通った。
 近代産業社会を眺めてみると、日本と欧米社会にはそれほどの違いはないように見える。大都市にはオフィスビルが立ち並び、地方には工業団地があり、働く人々が暮らす居住区があり職場との間に交通機関あり通勤・帰宅を繰り返している。しかしその社会を根底で支えている思想・哲学・システムは大きく異なるようだ。
 1990 年代から欧州の機械産業を取材していて「おや?」と感じたことがいくつもあったが“哲学”との向き合い方もその「おや?」のひとつだった。彼の地のトップに話を聞いていると「大学では(ラテン)哲学を学んでいた」とかいう人が何人かいた。哲学など学んで製造業はうまくいくのか?と口まで出かかったが、その先が怖くて質問できなかった。しかし“philosophy”を「哲学」と思ったことが誤りだった。それは大上段に構えた言葉ではなく「考え方」程度の意味で、日本の大学の教養課程に近いようだ。
 さらに日本のように「文系」「理系」と、ステロタイプに分けるのではなく、もっと原理・原則を大切にしているらしい、というところまで判ってきた。私たちの国が近代産業を迎えたのは約 150 年前の明治維新だ。農業・漁業が中心で、各地に特産物があり家内制手工業レベルの産業はあったが、欧米から入ってきた近代産業のパワーはけた外れだった。当時の人は良く学んで「和魂洋才」のもと「殖産興業」に勤しんだ。軍部の暴走で戦争という悪手を打ち、80 年前にはそれまで築いた多くのものを失った。しかし、そこから懸命な努力で、何とか先進国の一員として地球上に存在している。
 いまの日本は、表面的には豊かな国のようだが、150 年前に仕組んだ“促成栽培”型社会のままだ。メディアとりわけテレビについて考えてみると、社会の成熟度について見方が変わる。1960 年代は“家電の時代”でテレビが普及した。そのときの勢いで地上波やBS、有線TV、専門チャンネルなど数え切れないくらいチャンネルが増えた。1960 年代の東京には①NHK、②NHK教育、③日本テレビ、④TBS、⑤フジテレビ、⑩テレビ朝日だけだった。コンテンツも貧弱で、大相撲の本場所があるときは②教育テレビと⑤フジテレビを残して全てのチャンネルで相撲中継をやっていた。ビデオ技術の未発達なこの時代は、取り組みが終わると「分解写真でもう一度」と、いま終わった取り組みが、コマ送りのスチール写真でカクカクと再現される。子供たちが良く真似ていた。このころフランスでは、放送するコンテンツがないとスタジオの時計を、ただただずっと映していたという。
 日本の民放はそんな呑気なことはやらない。広告宣伝費を稼ぐためにはスポンサーが納得するような材料を作らないといけない。そのための説得材料として“視聴率”を使う。しかも今では、細分化された指数で出てくる。巧妙な詐欺のようだ。番組の中身などはどうでもよい。“数字を取る”だけが目標で、膨大なコストが注ぎ込まれる。これまでも何度か書いたが、時間があるときに、リモコンを手に5秒くらいでチャンネルを変えていくことをお勧めする。似たような人が出てきて、何が楽しいのかハイテンションで笑い、騒いでいる。ショッピングチャンネルでは、これでもかと売り込んでくる。「いまから 30 分以内」というところに 35 分後に掛けたらどんな反応をするのかやってみたくないですか? 「いまだけお得な半額!」とか聞くと、作っている人が可哀そうになる。「価格」って何だ? 私たちは 150 年間に始まった近代資本主義の仕組みを消化不良のまま、製造業を回しているのではないか、と考えている。
 大きな力を持つメディアとしてテレビは依然として重要だ。スポンサーの顔色を窺わなくてもよいNHKは、視聴率などに振り回されずに、メディアの力が必要とさせる分野に取り組んで欲しい。