岩波徹の視点
体験的海外事情(グローバル世界観)②
前回の「ことラボSTI」でお届けした「体験的海外事情」の2回目として、日本では経験できない“宗教的体験”をお届けする。
日本人には宗教的因子の薄い人が多いといわれるが、それは“宗教”に対する考え方により異なる結論になると思う。正月には神社神道に帰依して葬式では多くの場合は仏教に従う。クリスマスはもとよりバレンタイン、イースターとキリスト的なイベントにも余念はない。そのくせ近所にイスラム教のモスクができると反対運動などが起きたりしている。
昔、ワールドカップのアフリカ予選で、どこかの国が相手チームに“呪い”をかけた、と問題になったがこれを笑うことはできない。当事者は真剣だったのだろう。このテーマは多分に「心の問題」だということを念頭に置いて話を進めたい。
昨年までの私は、各宗教イベントに便乗するような標準的な日本人だったが“心がけ”が少し変わった。姪っ子の長男が防衛大学を卒業して海上自衛隊に任官し徳島の航空機学校で訓練中だった。この機会に、と彼女の家族と岡山や徳島や香川の城郭や神社などを訪ねた。そのとき根拠はないが東西の神社には大きな違いがあると感じた。簡単に述べれば、規模の大小はあっても東日本では無機的で整然としている。西日本のそれは有機体で血が通っており、ヌメッとしていて“神様”を感じることができた。そんな体験だった。
そんな宗教的体験の薄い身なのだが、海外で体験した“宗教的体験”をお話しして、日本人のグローバル度を少しでも向上させることに貢献できればうれしい。
食事と宗教
世界中の人々はすべて独自の文化のもとで食事する。テーブルマナーと一体になっているが、人類の歴史で食事と宗教は密接にかかわりあっている。
一番衝撃的だったのは「ユダヤ人は魚を食べない」と怒り出した左隣に座ったご婦人だった。場所はミラノのエルミタージュホテルのリストランテ『イルサンブーコ』。イタリアの工業会UCIMUが《BI-MU94》に海外約 30 ヵ国から招待したメディアとの食事会の席だ。隣のご婦人はフランスからきたジャーナリストで、私が日本人だとわかると「フランスは日本人が思っているような農業国ではない」といきなり議論を吹っかけてきた。なんとかやり過ごしていたが運ばれてきたコース料理の一皿を見て突然怒り出した。そして上記のように「ユダヤ人は魚を食べないことをあなたも知っているでしょう?」と私を巻き込もうとしてきた。しかし私の頭の中をよぎったのは、ペテロだかパウロは漁師だったはず、的な知識だけだった。右隣のUCIMUスタッフは平謝りで、店のウエイターもあわてて皿を下げた。料理はシーフードのスパゲッティだった。代わりの料理が出てくるまでの繋ぎで出てきた大きなサラダボウルに入っている野菜を手づかみでムシャムシャ食べながら怒りが収まらない様子だった。
このことを次に立寄った独デュッセルドルフで旧知の太田氏に伝えると「それはUCIMUが悪い。こちらで人と食事しようとするときは相手の好みはもとより宗教についても配慮するのは当たり前だ」と喝破した。彼は1年前に、欧州の責任者になったばかりで、特段、国際派でもなかった。あとで判ったのだが私が“魚”と思ったのは“タコやイカなどのうろこのついていない魚”だった。しかも同じユダヤ教徒でもいくつもの宗派に分かれていて、そこにまで気を付けないといけないとのこと。
このユダヤ教というのがよくわからない。われわれが『聖書』というときはキリスト教の旧約聖書と新約聖書を頭に浮かべるが、新約聖書はイエス・キリストの物語だという。そして旧約聖書はユダヤ教でもイスラム教でも聖典だという。ならば、今係争しているパレスチナはイスラエルのものなのか? しかし旧約聖書というのは随分と残酷な物語が続く読み物で、“汝の隣人を愛せよ”というイエス・キリストと同じ舞台に乗るものではないように思う。よく知られているはずのキリスト教でも細分化されている。ユダヤ教にもイスラム教にも“原理派”があり、社会の複雑さは増幅している。仏教でも同じで細かく分かれているが、その日本から一歩外に出ると、宗教を巡って命のやり取りが当たり前のように展開していることが忘れられない。
儒教の縛り
一方、ものなりの豊かな東南アジアでは、仏教やヒンズー教などがある中で、東アジア社会に深く根を下ろしているのが儒教だ。とくに年長者を敬う精神は社会に深く根付いている。
司馬遼太郎は、韓国の儒教的精神の強さを、本家・中国に対して優等生であろうとしすぎた結果だと言っている。韓国では年長者の前で煙草を吸う者はいない。会食する場合でも年長者が同席している場合、飲み物は横を向いて飲むそうだ。相手に面と向かって杯を空けるなど失礼だという。食器を手にもって食べるのもマナー違反だという。韓国に出張する若い社員には、こうしたマナーを特訓している企業もある。
フィリピン大統領になったコラソン・アキノ氏は、ルーツは中国・福建省の客家(華僑)で、大統領外交の一環で北京に行くことになった。すると彼女は北京に直行せずルーツの福建省に寄り先祖の墓参りをしてから北京入りした。中国政府内では彼女に対する評価が一気に上がったという。
先祖や年長者を敬う、というのは“お年寄りを大事にしましょう”という長閑な話ではない。講談社刊の『中国の歴史』(全 12 巻)の第 12 巻『日本にとって中国とは何か』には驚くべき話が紹介されている。祖先を敬う宗教なので、子々孫々に及ぶシステムができているのだ。
例えば『孔子』は紀元前 500 年頃の人だが、その子孫はいまでも尊敬を集めている。そして『孔子生誕何百年祭』などでは今でも一族が集まるが、その時に序列がすぐわかるように、氏名に使われる漢字が決められている。初対面の子孫がお互いに名乗りあうだけで、どちらの世代が上なのかすぐに判明する、という。大勢の参加者の席次は自動的に決まるというシステムなのだ。さらに両親の兄弟は日本では“おじさん”“おばさん”だが、中国では細かく分かれている。詳細すぎてここでは紹介できないが、その論文を書いた中国社会史研究家の上田信・立教大教授によると、調査に向かった雲南省の村で貴重な体験をしている。1歳ほどの子供を背負って“子守り歌”を口ずさんでいた婦人のその歌は親族呼称の使い分けが歌詞だった。
♪爺爺(イエイイエイ:父方の祖父)、奶奶(ナイナイ:父方の祖母)、公公(ゴンゴン:母方の祖父)、婆婆(ボーボ:母方の祖母)、叔叔(シューシュ:父方の弟にあたる叔父)、舅舅(ジウジウ:母方の兄弟にあたるオジ)、姑姑(グーグ:父方の姉妹にあたるオバ)…、
中国社会では初めて会ったときに、目下の者が目上の者に正しい呼称を持って呼びかけることがマナーなので、それを間違えてはならないという“親心”がこのような子守歌になっていた。母親は中国社会で生きていくための基本的ルールを赤子に教えていたのだ。
そうした秩序を維持する心理とうらはらに“メンツ”に対するこだわりが強い。ある日本企業のトップが中国に行き、現地採用の社員と客先に出かけた時、社員の説明が間違っていたのでその場で訂正した。すると事務所に戻ると「私のメンツが丸つぶれだ」と激しく抗議された、と驚きながら語ってくれた。
だから、あるトップに中国に行くと遠来の客だから、と上座に通されるでしょ? と聞くと“そうだ”との返事。そのとき「日本人は中国の弟分なのだから、中国の貴方こそ上座にどうぞ」というとビジネスはうまくいくでしょう。といったのだが、賛意は得られなかった。中国と付き合うのは大変だ。
働きすぎのアジア人
一方、キリスト教文化のパワーが大きな欧米社会では、働くこと自体への距離感が東アジア人と異なる。米国のセンサメーカの日本法人の社長は、人間が怠けるからセンサ類で現場を補完しないといけない、という。加工機の前に立つオペレータはワークをセットして切削加工が始まると、それが終わるまで機械の前で雑誌を読んでいる。ほかにやることがないからだ。日本なら、その場面で加工中の音や振動などの異常に注意を払う。だから日本の現場ならセンサはいらない、とまで言った。
『ことラボSTI』では何度も書いているが、自動車部品大手のプレス工業の片桐利朗元社長から伺った話では、彼が米国支社長時代に労働組合と対立した。組合側は「仕事は片手でやるものだ。それなのに日本の男は両手で仕事をしている。卑怯だ」と言われた。彼らの意見では、もう一方の片手では、家庭の仕事、地域の仕事、社会の仕事、政治・宗教など多くの仕事があるのに日本の男は、それをみんな奥さんに任せて仕事ばかりやっている、と。
ご存じのようにキリスト教では、アダムとイブは「エデンの園」という楽園で何不自由ない暮らしをしていたのに神様の逆鱗に触れ楽園を追放され、自分で働かなければならなくなった。“原罪”というらしいが、人にとり重要な“労働”を“罪”と感じる社会がキリスト教文化だ。
司馬遼太郎講演録の中にこんなエピソードが紹介されている。19 世紀にフランスからインドネシアに布教に来た宣教師が、食べ物あふれた環境を見て「神様はおかしい。われわれは神様を信じて一生懸命に布教活動をしているのに、神様のことを全く知らない人たちがこんなに豊かな生活をしているなんておかしい」と。十分に検討してはいないが、いま世界では「欧米社会」対「アジア社会」の対立が進行しているような気がしている。この対立の根は深く、米国対イランもその流れの中にあると思う。新型コロナのパンデミックの時に、米国内で信号待ちのアジア系の老婆の後ろから男が襲い掛かった映像が流れたが、深刻な対立構造が顕在化したものだと思っている。
四方を海に囲まれて温暖な気候~最近はそうとも言えなくなったが、の日本列島は、太平洋戦争の敗戦から経済活動一本やりで国力の再建を図ってきた。その姿を“エコノミックアニマル”と蔑まれた時期もあった。東西冷戦時には米国の庇護のもと経済活動に専心して、政治的な存在感は薄くても一定の技術力で世界経済の一翼を担ってきた。いま世界は混とんとしているが、いつまでも東アジアに閉じこもっていないで総理大臣がいうように「世界の中心」に踏み出していったらどうだろうか。