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ー 科学と技術で産業を考える ー

ことラボ・コンテンツ

岩波徹の視点

たった3回のJIMTOF参加~EGが残したもの

2022 年 11 月 07 日

 いまでは“発展的解消”という印象だが、2020年4月1日に本田技研工業に合併されて解散してしまった、同グループの工機部門ホンダエンジニアリング(以下EG)が、日本工作機械工業会の会員だったことを覚えている人はもう少ないかも知れない。JIMTOFにも1996年、98年、2000年の3回だけだが参加した。
 EGは旧社名を「ホンダ工機」といい、ホンダグループが求める加工機や工具、金型などを開発していた。そこで展開されていた独特の哲学による設備は外部の者には知る由もなかった。その哲学とは、例えば「クルマを作るには200mのラインが必要だが、それだけの土地を買える会社はいい。ウチは金がないから半分しか買えない。だから1つの機械に2つの仕事をさせてラインを短くした」というように、固定観念にとらわれない斬新な発想が面白かった。機械そのものは量産出来ないので、試作し図面が固まったら懇意な工作機械メーカーに生産を委託するスタイルだった。だから3回の出展時には見たこともない加工機が並び、同社の小間は多くのエンジニアで溢れていた。
 話はそれより3年ほど遡る。さいたま市在住のエンジニアから「ホンダが直進性に優れたドリルを開発したらしいが、それは外販されるのかな」と質問が来た。こうした仕事をしていれば当然、ホンダに興味はあったがきっかけがなかった。この質問は渡りに舟だ。当時、EGはまだ埼玉県の狭山事業所の中にあったので、クルマに乗って訪ねていった。そのドリルは社内で使用するものだが秘密にしているわけではないから余分があれば売っても良い、との返事だった。その旨を依頼者に連絡したが、結果的には余分はなく購入はできなかったらしい…。
 しかしその訪問時に、いきなり手書きの図面を渡され「君はどう思う」と質問された。それは「ガラスショットピーニングマシン」と名付けられた新発想の機械のいわゆる“マンガ”(手書きの概念図)だった。切削加工後のワークに残る残留応力を解放するために、ショットピーニングといって細かな鉄球をぶつけていた。しかしそれだと部品の表面が荒れてしまう。そこでビーズ玉を含んだ高圧水をぶつけてみたら、それまでと同等の効果が得られ、しかも仕上げ面を荒らすことはない、との説明だった。はじめて訪問してきた社外の人間なのに、いきなり新しい機械のコンセプトを相談されて嬉しいやら混乱するやら大いに戸惑った。今の時代のエンジニアが聞いたら腰を抜かすかもしれない。実際にその機械は完成して、1998年の大阪で開かれたJIMTOFに出展されていた。しかし発案者は当時、米国に転勤していて、晴れ舞台にはいなかった。
 EGでは、こうした“マンガ”が年に数回、社内を飛び交うという。いわゆる“闇研”と呼ばれるもので、新しいアイデアが閃いた者が仲間を募るために「この指止まれ」とチラシを配って呼びかける。皆忙しいのに“闇研”などやる暇があるのか、と問うと「うちで働くものはHONDAに憧れて入社してきたわけではない。エンジン開発だ、二輪だ、F1だ、と勝手に自分の“配属”を決めて入社してくる。だからいまの仕事がいやでしょうがない。隙あらば、と闇研ルートを大事にしている」と説明された。
 当時、業績の思わしくなかった同社は身売り話まででていた。EGも自社で開発した工作機械を外販して食べていこう、と決断してのJIMTOF参加だった。しかし直後に「オデッセイ」が大ヒットして、工作機械を外販する必要性が薄れてしまった。結局、日工会を退会してJIMTOFにも参加しなくなった。2000年の最後の出展後に社内で反省会が開かれるからと意見を聞かれた。退会の理由は「工作機械メーカーが作る機械は、汎用性が高くてクルマづくりには無駄が多い。使うのはせいぜい5分の1だ。われわれはクルマづくりに特化した機械が欲しくてJIMTOFに実物を展示して手の内をみせて理解を求めた。だが、見学者は小間に溢れたが何も起きなかった。これ以上、手の内を晒すのは止めよう」との説明だった。
 これと類似する話はほかにもある。携帯電話(ガラケー)が普及したときにガラケー用金型に特化した小型型彫り放電加工機を欲しがるユーザーに対して加工機メーカーの反応は鈍かった。水回りの管材はブロンズが多いがそれは粘り気が強い。「年間200台買うから、当社仕様で作って、と頼んでも応えてくれない。仕方がないので購入してから自社でチューニングしている」と複数の管材メーカーに言われたこともある。
 工作機械は、軸ものや箱物を高速で高精度に加工するのが求められた機能だった。その先の工程は使う人が考えるものだとされた。それがいつしか自動車エンジンのような複雑な形状もひとつのシステムで仕上げることが求められるようになった。いまでは工作機械を作る側の論理と使う側の論理が歩み寄ってきたと思うが、世界的な変革の時代に対応するにはまだ歩み寄りが足りない。JIMTOFから遠のいたEGは、直後にはJIMTOF見学は自費で行くように社内に通達された。有休をとって自分で交通費を払っていきなさい。つまりクルマづくりには役に立たない展示会だ、と判断された(多分、いまでは違うと思うが…)。
 あの頃、自動車メーカーにクルマで訪問すると、他社製のクルマは遠く離れた駐車場に行くように言われていた。幸い狭山事業所の駐車場は正門のすぐ前にあり、そのようなことはなかった。礼を述べて席を立ったとき「岩波さん、今日はクルマですか?」と言われ「来た!」とトヨタに乗っていた私は身を硬くした。しかし「そうです」と答えた後に続いた彼の言葉に驚いた。「気を付けて帰ってください。ホンダに来た人が事故にあったと聞くと我々はとても辛くなるのです」と。私はすっかりEGのファンになり、退会後にも付き合っていたが、狭山から栃木に移り縁遠くなってしまった。